2005(平成17)年度事業報告

「はじめに」

2005(平成17)年度は、被爆から60年目の年であり、私たちは5月の定例評議員会で、
① 核兵器の廃絶と原爆被害への国家補償実現をめざす、
②有事法体制づくりに反対し、改憲の動きに反対する。
③原爆症認定訴訟の勝利をめざす。
④現行制度の活用をはかるとともにその改善をめざす。
⑤生きがいを語り合える組織づくりをすすめることを確認するとともに、
⑥財政の確立をめざし、60周年運動を成功させるために300万円募金運動を提起し、
新たな意気込みでとりくんだのでした。

また6月はじめの日本被団協総会では、7つの課題が提案され、確認されました。
①国会請願100万人署名
②原爆症認定集団訴訟をみんな の裁判に、
③「ノーモア ヒロシマ ナガサキ国際市民会議」の成功をめざす、
④国連で の原爆展開催、ニューヨーク行動への代表派遣、
⑤10・18大集会の成功をめざす、
⑥「原爆 と人間展」パネル新聞『被団協』の普及、
⑦被爆60年大運動募金3000万円達成、
の7項目で、とくに②③④⑤は4大課題としてとりあげられたのでした。こうしたテーマのもとにと りくんだ1年間の活動の概要は以下の通りです。

 

Ⅰ.核兵器の廃絶と原爆被害への国家補償実現をめざして

2005(平成17)年は、NPT(核不拡散条約)再検討会議の年であり、5年前の再検討会議での合意文章での核兵器保有国による核兵器廃絶への「明確な約束」をどう発展させるかが注目されていました。
そのため、日本被団協は国連本部での原爆展の開催とともに、ニューヨークへの積極的な代表団派遣を計画、長崎被災協もそれに応じ、副会長(理事)谷口稜嘩氏、理事下平作江氏、理事田中重光氏の3名を派遣、3名はそれぞれに任務を全うしました。
しかし、日本被団協、長崎被災協の代表団を始め、世界各地からニューヨークに集まった人たちの核兵器廃絶を求める大きなうねりにもかかわらず、核兵器保有国なかでもプッシュ政権による独善的な対応によって、NPT再検討会議は成果を生むことなく閉幕し課題は2010年に持ち越されたのでした。
一方私たちは、この結末に落胆してしまうのではなく、海外の報道関係の取材には積極的 に応じて核兵器廃絶への被爆者の思いを明らかにし、海外代表との交流についても意欲的にとりくみました。
また、国内にあっても、県下すべての自治体の首長、議長へ核兵器廃絶と原爆被害への国 家補償実現を求める私たちの運動への賛同署名をよびかけました。このとりくみでは、町村段階ではほぼ80%の賛同を得ることができたものの、市のレベルでは長崎県知事や長崎市長が消極的な姿勢を示したためか、きわめて低い結果に終わりました。
その後「平成の大合併」がすすみ、県下79の市町村が13の市と10の町になったこともあり、改めて100%の達成を めざして取り組むことが必要です。
市民への直接的な呼びかけとして、街頭宣伝行動も2回行い、いずれも1時間の行動で1000枚のチラシを配布し、150名前後の賛同署名を得ました。1時間に1000枚のチラシといえば、1分間に16~17人がチラシを受け取ったことになり、1時間に150名の署名といえば、2分に5人が署名に応じたことになります。

私たちは、秋月辰一郎氏の「死の同心円」などにもとづくアニメ映画「アンゼラスの鐘」の製作、上映運動にも参加しました。
私たちは、アメリカ・イギリスの核実験には機敏に抗議文を送り、抗議の座り込みを行い ました。また核ミサイル搭載可能なアメリカのイージス艦の長崎港入港にも抗議文を送付しました。
日本被団協が提唱し実行委員会をつくって開催した「ノーモア ヒロシマ ナガサキ国 際市民会議」(7月29日~31日東京)にも5名の代表を送り、秋の「大集会」へは26人が参加、さながら集団訴訟決起集会の観を呈した大集会の成功に寄与しました。
こうしたとりくにもかかわらず、プッシュ政権は核兵器の使用をも含む先制攻撃論を堅持 し、他方、核の拡散もまた深刻な状況を生んでおり、核兵器廃絶をめざすいっそうのとりくみが必要です。さらに、原爆被害(戦争被害)への国家補償を拒む根拠となっている戦争被害受忍論を打ち砕くことも、大きな宿題となっています。

 

Ⅱ.有事法体制作りに反対し、改憲を阻止するために

昨年のこの時期に指摘した「国民保護計画」の危険な内容は、この1年間にいっそう明らかになりました。10月21日には、五島福江島の沖に外国の軍艦が迫り福江島の住民が危険だという想定の下に、4万人余の住民をすべて本土へ避難させるという図上訓練も行われました。
また、「ふたたび被爆者をつくるな」「長崎を最後の被爆地に」と訴え続けてきたこの長崎の地が、ふたたび核攻撃にさらされることを想定した「国民保護計画」の実態も明らかになりました。
そしてこれらと連動し、憲法・教育基本法改「正」の動きも、10月の自民党の「新憲法草案」、11月の民主党の「憲法改正への提言」の発表により、加速してきました。
私たちは、2005年度においても、「長崎県九条の会」あるいは「ながさき9条フェスタ」 実行委員会に加わり、5月、11月の憲法集会の成功のためにとりくみました。
また、国民保護計画については、他の被爆者団体とともに県知事、長崎市長へ面会して、核攻撃想定のもとでの県民・市民の保護はありえないことを指摘し、県に対してはその撤回を、市に対してはそのような「計画」は作らないようにと求めました。
しかし、この「国民保護計画」の危険な性格は、まだ、県民・市民の中に浸透していないのが実態であり、この「計画」に盛り込まれている戦争被害受忍論についても明らかにしながら、実質的に機能させないとりくみが必要です。

 

Ⅲ 原爆症認定集団訴訟の勝利をめざして

原告29名を擁する原爆症認定集団訴訟では、支援する会の事務局を担当して裁判支援運動を推進してきました。長崎被災協の9名の相談員は、原告を支えてきました。法廷がひらかれる直前の土曜日に実施してきた街頭宣伝行動は定着し、毎回、成果を挙げていました。
裁判は、5月の立命館大学教授安斎育郎氏の証言の後は原告本人尋問に入り、それも2006(平 成18)年4月で終わり、その後原告個々についての意見書を提出、国側の反論を待って最終準備書面が提出されて年内に結審し、来春頃には判決となる見通しです。こうして裁判はいよいよ最終盤をむかえ、支援運動も大きな山場を迎えています。
3月からはじまった原爆症認定第2次申請運動では、3月に3名、4月に2名の申請を行いました。

 

Ⅳ.現行制度の活用をはかるとともにその改善をめざして

私たちは現行制度の周知徹底をはかるとともに、現行制度の問題点については県・市の担 当者とも話し合い、その改善を求めてきました。
私たちは、原爆症認定制度についても、却下された場合泣き寝入りするのではなく、異議申し立ての場合も単に書面審査に終わらせず、長崎での口頭審査を実現し、認定審査の問題点を明らかにするなど工夫してきました。
そうした中で、きわめて困難とされている異議申し立ての認容(審査に対する異議を認めて却下処分を取り消し、原爆症と認定すること)を実現した例も生まれています。
だだ、厚生労働 省は日本被団協の代表に対しては極めてかたくなな態度をとりつづけており、決して放置できない状況となっています。
医療と福祉が深刻になってゆく中で、相談活動の重要性も増してきています。それに対応するため、相談員も研修をかさねました。また、原爆症認定集団訴訟について、相談員の会でも論議しました。さらに3月からはじまった第二次集団申請にもとりくみ、長崎からも3 月に3名、4月に2名の申請を行いました。
この1年に私たちが扱った被爆者や家族からの相談の内容と件数は次のようになっています。

相談内容件数

手帳・医療について 62
諸手当について 305
原爆症認定について 46
被爆二世について 8
その他 12
433

 

また、昨年度も県の委託事業としての県下巡回相談会にとりくみました。相談会では、地元の医師による健康講話をとり入れ、あわせて最近の被爆者をめぐる諸問題を報告、さらに個別の相談に応じました。

この1年間の実施状況はつぎのとおりで、個別の相談では、健康管理手当関係4件、二世問題3件、原爆症関係3件、介護関係2件、手帳関係1件でした。

実施日時 実施場所 健康講話内容
10月27日
10:00~12:30
壱岐市芦辺町 百田昌史医師
歯周病
10月27日
14:30~16:30
壱岐市郷ノ浦町 赤城昭医師
健康管理と歯科事情
10月28日
10:00~12:00
壱岐市勝本町 尼子直喜医師
歯と健康について
12月15日
14:00~16:00
松浦市福島町 なし
12月16日
10:00~12:00
松浦市(中心部) 松尾彰医師
認知症の治療と介護
1月19日
13:00~15:00
諌早市高来町 近藤美代子医師
美味しく食べましょう

 

11月に鹿児島で開かれた中央相談所の相談事業講習会は、今回も400名を越える盛会でした。長崎からは33名が参加しました。
小泉政権の下で、社会保障の全般にわたっての低下が見られるときだけに、被爆者問題だけでなく、社保協(社会保障推進協議会)や医福懇(医療と福祉を考える懇談会)を通じて、医療・福祉の向上をめざしました。
しかし、たとえば介護保険ひとつとっても、保険料の大幅値上げと介護内容の切り下げは深刻な問題となっています。実態の把握につとめ、改善にとりくむことが求められています。

 

Ⅴ.生きがいを語り合える組織つくり

私たちは本当に高齢化し、病弱になってきました。ともすれば、家に引きこもりがちになりそうです。こうした時こそ、ともに語り合う揚が必要です。ひとりぼっちの被爆者をなくすことは、被爆者組織の大きな課題なのです。
昨年もこのことを重視し
①被爆者をめぐるさまざまな問題について語り合い学び合う工夫をすること。
②うたう会「ひまわり」の活動 の発展をはかること。
③映画・演劇などの文化事業の後援、紹介活動にも力を入れる。
④相 談事業の充実、発展をめざすこと。
⑤被爆体験の語り残し、書き残すとりくみをすすめること。
⑥二世問題についても組織化をはかること。
⑦いきいきとした支部・会の活動となるようつとめること。
と私たちの努力目標を決めました。この中で、「被爆者うたう会ひまわり」は精力的な活動を続けてきました。「被爆者(原爆)問題を語りあい学び合うつどい」は、隔月開催で11月(第9回)まで終了した後、休業状態となりましたが、もちろんその後休眠していたわけではなく、長崎平和推進協会の被爆体験講話での発言自粛要請問題が起こったことから、3月にはさらに幅広い形での開催を行うなど工夫も凝らしたところです。
被爆体験の 継承という課題では、昨年度も主として修学旅行生を対象に363回実施し、話を聴いた児童・生徒などの数は26,568名にのぼりました。しかし、つぎの表のように、その数は過去5年間では最も少なく、この減少傾向は憂鹿すべき状況といわざるをえません。
また、書き残すとりくみは実現できませんでした。映画・演劇などの後援、紹介活動にはある程度力を入れたものの、反響は大きくはありませんでした。「在外被爆者」問題、「二世」問題、「被爆体験者」問題などは重要な問題であるにもかかわらず、長崎被災協としての十分なとりくみはできませんでした。
また、支部や会での活動についても、さらに工夫が必要なようです。被爆者の新聞『被団協』の読者拡大も、思うようにはすすみませんでした。

 

小学校 中学校 高校 一般
2005 313
(20,377)
30
(2,807)
16
(3,221)
4
(163)
363
(26,568)
2004 275
(21,112)
64
(6,773)
23
(4,715)
161
(11,751)
523
(44,351)
2003 311
(21.917)
62
(18,830)
36
(6,401)
9
(391)
418
(47,539)
2002 328
(21,807)
95
(10,841)
25
(4,872)
10
(1,322)
458
(38,842)
2001 310
(27,828)
112
(13,401)
41
(8,043)
22
(1,296)
485
(50,568)

 

Ⅵ.財政の確立

被爆60周年の運動を支えるための300万円募金をよびかけ、組織の内外からの多くの協力をえましたが、実績は目標の3分の2に留まりました。
また通常会計においても、最近の観 光の低迷を反映して、被爆者の店の経営も思うにまかせず、残念ながら困難な状態がつづいています。