2006(平成18)年度事業報告

「はじめに」

私たちはこの1年、
①原爆被害の実相を語り残し、書き残そう、
②みんなで戦争の火を消そう、
③原爆投下責任を追及し、核兵器廃絶を世界に呼びかけよう、
④原爆被害への国家補償実現をめざし、現行被爆者対策の改善を迫ろう、
⑤生きがいを 語り合える組織づくりをめざそう、
⑥財政の確立につとめよう、
を方針として、長崎被災協の事業を展開してきました。

 

Ⅰ.原爆被害の実相を語り残し、書き残すとりくみ

長崎被災協結成50周年の昨年、私たちは、60年余という歳月の経過に加えて、 原爆被害の実相を消し去ろうとする政治的な力が動いていることを重視し、被爆の実相を語り残し、書き残すとりくみを最大の事業に位置づけることにしました。こ の方針に沿って、被爆体験記を募集するとともに、聞き書き運動にとりくみました。 残念ながら被爆体験記の収集は十分な成果を上げることができませんでしたが、聞 き書き運動には報道関係者の協力を得たこともあって、成果につなぐことができました。その一方で、一部とはいえ、もう書くことはないとか、話したくないという 拒否反応もみられました。
いくら書いても話しても理解してもらえない、核兵器を持つ国は減るどころか増えてきている、国の冷たい被爆者対策は変わらない、というもどかしさもあろうかと思われますが、私たち被爆者が書くのを止め、語るのを 止めた時、昨年も指摘したように、喜ぶのは原爆被害の事実を消し去ろうとしてい る人たちであり、誤った核戦争被害観が流布され、核戦争の危機につながることを 忘れてはなりません。
収集したr証言」は、長崎被災協50年史とともに、ことし8月までに発刊しようと、目下作業が進行中です。
修学旅行の児童・生徒を主たる対象とした「語りべ」活動には、これまで同様に 積極的にとりくみました。これまでの5年間の実施概要は、次ページの表のとおりです。ただ、講師となる長崎被災協会員の高齢化、病弱化は避けられず、講師の養成と補充は重要な課題となっています。
また、「語る」内容についても、単に62年 前の辛かったこと、悲しかったことを伝えるだけでなく、なぜいま原爆のことを話すのかを明らかにすることができれば、いまを生きる聞き手とのつながりを強める ことになるのではないかと思われます。この意味で、何をどのように話すかについて、「語りべ」の間でも話し合い、考えあう機会がもっと必要なのではないでしょう か。
原爆の遺構めぐりなど歩いて回る活動については、健康上の理由などから長崎被災協としてはとりくんでいませんが、長崎の証書の会などの企画に沿った活動には、 長崎被災協の会員も積極的に対応してきました。
  
これまでの5年間の修学旅行などでの被爆体験講話実施状況

小学校 中学校 高校 一般
2006 321
(22,370)
28
(2,507)
11
(1,739)
6
(793)
336
(27,409)
2005 313
(20,377)
30
(2,807)
16
(3,221)
4
(163)
363
(26,568)
2004 275
(21,112)
64
(6,773)
23
(4,715)
161
(11,751)
523
(44,351)
2003 311
(21.917)
62
(18,830)
36
(6,401)
9
(391)
418
(47,539)
2002 328
(21,807)
95
(10,841)
25
(4,872)
10
(1,322)
458
(38,842)

 

Ⅱ.戦争の火を消し、核兵蕃廃絶をめざすとりくみ

昨年私たちは、国民保護計画に端的に現れている戦争を想定した状況づくりに警告を発すると共に、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意して」確定された日本国憲法を守り発展させることこそ「ふたたび被爆者をつくらない」道であることを明らかにし、戦争被害受忍論を一掃し、原爆の被害、戦争の被害への国家補償制度の確立をめざそうと決意しました。
国民保護計画については、市や町の段階で策定の時期を迎えたので、被爆5団体(長崎被災協、原爆遺族会、被爆者手帳友の会、被爆者手帳友愛会、平和運動セン ター被爆連)で、長崎市を中心に、佐世保市、長与町、時津町へも要請行動を行いました。
長崎市長は、長崎市国民保護協義会へ被爆者団体代表も参加するよう求めましたが、被爆者団体としては、協議会へは参加せず、協議会を傍聴したほか、さ まざまな機会に、「核攻撃に対処する方法はなく、核攻撃から国民を守る唯-の道は 核兵韓廃絶の実現だけだ」と訴えてきました。その結果、長崎市では、核攻撃事態 への対処の項を削除、核兵器廃絶の重要性を説いた序論を付した「長崎市国民保護計画案」を市長が提案、長崎市国民保護協議会もこれを了承しましたが、県との 協議はすすまず、「計画」は年度を越えました。
ただ残念なことに、こうした対応を 見せたのは長崎市だけで、他の市や町は核兵器による攻撃がどのような被害をもたらすのかについて論議することもなく、安易に政府の方針に従ったのでした。
こうして、私たちは長崎市においては、核攻撃事態について政府が自治体へ押し付けている誤った認識を自治体として拒否するという-定の成果をおさめることができたものの、国民保護計画そのものの間愚点、あるいは有事体制づくりのもつ危険性については、長崎被災協内部でも十分な討議を尽くすことは出来ませんでした。
その結果、市民・県民の間に、いま政府がすすめている有事体制づくりに秘められた危険な側面について広めることは出来ませんでした。この意味で、「みんなで戦争の火を消そう」という課題は、さらに次年度へ持ち越されることとなりました。
憲法問題については、県9条の会の呼びかけ人に山田事務局長が加わり、またナガサキ9条フェスタ実行委員会にも参加し、5月と11月の集会などにも参加して、 長崎での憲法を守る運動、9粂を守る運動の一翼を担いました。
戦争被害受忍論を打破しようということでは、3月に東京大空襲の被害者らが、空襲被害の補償と国の謝罪を求めて訴訟を起こしました。長崎被災協としても、連帯のメッセージを送って、原告団を激励しました。
私たちはまた、原爆投下責任をあいまいにする限り核兵器はなくならないと指摘し、核兵器廃絶と核の傘の除去を求め、すべての核実験に反対するとともに、核 兵器搭載可能な艦船の長崎港入港に反対することを決めました。この立場から、10月21日から3日間開催された核兵器廃絶地球市民集会ナガサキでも、実行委員会 に参加し、特に被爆者フォーラムの運営などについて成功のために貢献しました。
核実験は8月31日にアメリカが、10月9日に北朝鮮が行いました。長崎被災協としては、それぞれプッシュ大統領と金正日国防委員会委員長あてに抗議文を送っ たほか、核実験に抗議する長崎市民の会と共同で、平和公園での座り込みを行い、抗議の意思を示しました。
米艦船の入港については、5月にアメリカの原子力空母エイブラハム・リンカー ンが佐世保に入港したほか、2月には長崎港に核ミサイル装備可能なトマホークを発射できるアメリカのイージス艦マスティンが、佐世保には原子力空母ロナルド・レーガンが入港しました。長崎被災協は、プッシュ大統領あてに抗議文を送りまし た。
恒例の10月の市民平和大行進にも、長崎被災協の職を立てて参加しました。

 

Ⅲ 原爆被害への国家補償の実現をめざし、現行制度の改善を求めて

この課題での中心的なとりくみは、不当な原爆症認定申請却下の取り消しを求める集団訴訟でした。2003(平成15)年4月17日に青山さんら3名が長崎地裁へ訴状 を提出して始まったこの訴訟も、2006年度末には27名の原告を擁する訴訟(これを第1次訴訟と呼ぶことになりました)となり、21回の口頭弁論を終え、いよいよ ことし7月31日には結審となろうとしています。
また、6月26日には、第2次訴 訟として5名が提訴、年度内に5回の口頭弁論を終え、原告5人はいずれも意見陳述を行っています。
第2次訴訟の原告は、このあとさらに提訴者が増える見込みです。
全国の状況は、原告は22都道府県、245名に達していますが、うちすでに33名 が亡くなっていることも重大です。スタートから3年余を経て、判決も出始めました。
5月12日に大阪地裁で、8月4日には広島地裁で、1月31日には名古屋地裁で、さらに3月20日には仙台地裁で、同22日には東京地裁で、それぞれ判決があ り、原告総数86名中75名の却下処分が取り消されました。
残念ながら名古屋で2名、東京で9名の原告については却下が容認されましたが、判決はいずれも厚生労 働大臣の原爆症認定者査は原爆被害の実態に即していないと厳しく批判するものと なっており、今後の判決もこの視点を踏襲するものと思われます。
しかし、楽観は許されず、積極的な支援運動をさらに大きく展開する必要があります。なお、却下 処分を客観した判決の内容は、名古屋地裁の場合は病気が放射線との関係が薄いと いうものであり、東京地裁の場合は被爆の状況や急性症状の発症の程度から見てたいした被曝ではない、というものでした。
原爆症認定をめぐっては、与党・野党ともに議員の懇談会などを設置して対応するなど国会議員の動きも活発になりました。
しかし厚生労働省は5地裁判決すべてについて控訴し、訴訟は高裁へ移っています。長崎においても、単に判決を目標にするだけでなく、控訴させないことをふくめた支援運動の構築が必要です。
現行制度の活用をめぐっては、昨年度も日常的な相談活動にとりくむとともに、県の委託事業である県下巡回相談会も、下記のように実施し、出席者の中から 「被爆者についての制度や被爆者の運動のことがよくわかった。ささやかだが運動に使ってほしい」と居住地(開催地)の役場を通じてお礼と募金が寄せられたこともありました。

 

県下巡回相談会実施状況

実施日時 実施場所・参加者 健康講話内容
10月26日
10:30~12:00
対馬市美津島町
(16名+職員2名)
なし
10月26日
15:00~16:30
対馬市厳原町
(15名)
なし
10月27日
9:00~10:30
対馬市豊玉町
(15名)
なし
11月16日
11:00~13:00
雲仙町小浜町
(30名)
寝たきりにならないために
11月16日
15:00~17:00
島原市
(28名+職員1名)
消化器ガンについて
11月17日
13:00~15:00
諌早市高木町
(10名+職員1名)
生活習慣病について

 

また、日常的な相談の内容と件数は下の表のようになっています。

相談内容 件数
手帳・医療について 107
諸手当について 216
原爆症認定について 114
被爆二世について 9
その他 21
467

 

Ⅳ.生きがいを語り合える組織づくりについて

 昨年は、長崎被災協、日本被団協にとって結成50周年の大きな節目の年でした。 6月には、長崎市筑後町のセントヒル長崎で、「長崎被災協結成50周年の記念のつどい」をひらき、参加した150名.を超える人たちと50年にわたる運動を称え、これからへの期待を語り合いました。「つどい」には現職の国会議員や各党の県組織代 表も多数参加され、私たちははげまされました。また、日本被団協誕生の地は長崎であるだけに、結成50周年の祝賀会が8月9日に長崎市大浦町の長崎ビューホテ ルで開催されました。
 こうした催しは、私たちにとって50年の歴史を振り返るチャンスとなり、これ からの運動への大きな励ましとなりました。しかし他方、高齢化は着実に進んでお り、それぞれに自分の穀に引きこもりがちになる傾向は否定できません。支部や会で「つどい」をもてるところが減ってきています。理事会には理事でない会や支部 の代表者を加えて「拡大理事会」の形での開催につとめていますが、理事会で決まったことがなかなか会員に伝わりにくいのも事実です。これらをどう克服するかは、 これからの大きな課題といえるでしょう。
なんとしても、独りぼっちの被爆者をつ くらないよう、長崎被災協としても、各会・支部としても工夫が必要です。
 

Ⅴ.財政の確立

 私たちの運動を推進する上で、財政の確立は重要な課題です。
この1年募金、 寄付に応じて頂いた額が240万円を越えています。また、被爆体験講話を担当され ている方々から寄せて頂いた額も、1年間で130万円を越えました。
併せて、心から感謝申し上げます。