2004年1月9日発行の新聞『被団協』243号の内容をご紹介します。

『被団協』243号目次
1・3課題成功へみんなの力の結集を
2・第5回口頭弁論は1月13日に
3・被災協の被爆者調査から


賀春

自衛隊のイラク派遣という最悪の状況の中での越年でしたが、ことしも、戦争も核兵器もない21世紀をめざして、がんばりましょう。特にことしは、『原爆被害者の基本要求』をつくって20年目の年。戦争の被害・原爆の被害は受忍(がまん)できないし、受忍(がまん)させてもいけないことを日本中に、世界中にひろめましょう。
2004(平成16)年 元旦
(財)長崎原爆被災者協議会

①集団訴訟  ②国際市民会議 ③国連での原爆展
3課題成功へみんなの力の結集を

現地日本被団協が全国代表者会議開く

日本被団協は、12月2日午後3時半から翌3日午後4時まで、東京・新宿の日本青年館で全国都道府県代表者会議を開きました。全国から集まった都道府県の代表者は、ことしの総会で決めた今年度の3つの重点課題
①原爆症認定集団訴訟を推進する、②ノーモアヒバクシャ国際市民会議を成功させる、③国連での原爆展を成功させるーのその後の経過についての報告を受け、新たな決意で残された期間に悔いのないとりくみをすすめることを確認しました。
この代表者会議に長崎からは、日本被団協代表委員山口仙ニ顧問、同代表理事葉山利行会長、同全国理事山田拓民事務局長、同池田早苗理事、同田中重光理事のほか、横山照子中央相談所理事、柿田富美枝事務局次長の7名が参加しました。翌日に中央行動を展開
改憲指向議員への特別要請も
代表者会議につづいて、4日には、舞台を議員会館に移し、外務省、厚生労働省、政党・国会議員への要請行動がくりひろげられました。
このなかでは、前日の代表者会議の中で、毎日新聞のアンケートに日本の核武装について検討すべきと答え、憲法改正に賛成と答えた議員を訪問、この見解を撤回する要請も行われました。長崎では谷川議員が・・・・
長崎選出の国会議員の中でただ一人、谷川弥一衆議院議員(自民)が、核武装について検討すべきだ、憲法改正に賛成と答えていました。長崎の代表団は議員会館に同議員を訪ね、「見解」の撤回するとともに被爆者から原爆被害について体験を聞く機会をつくるよう要請しました。同議員は留守でしたが応対にでた秘書は、忙しい中で地元の秘書がアンケートの趣旨をとりちがえて回答したのではないか、本人は決してそのような考えを持っていない、と釈明しました。ことしの原爆展開催は困難に
ことしの国連本部ロビーでの原爆展開催は困難となったため、対応は後日検討されることになりました。

◇原爆症認定集団訴訟◇
第5回口頭弁論は1月13日に法廷埋め尽くす傍聴参加を

 原爆症認定集団訴訟の長崎地裁での第5回口頭弁論は、1月13日午後1時10分かた開かれます。この日は、原告の1人が意見陳述を行うほか、弁護団からこれまでの被告厚生労働大臣側から提出された準備書面に対する意見が述べられる予定です。また原爆の被害の生々しい状況を記録したビデオを法廷で上映することも、検討されています。「支援する会」では、傍聴席を埋め尽くす傍聴参加を呼びかけています。
当日は、長崎地裁玄関に12時30分までに集合、同時刻から傍聴券配布のための抽選が行われます。法廷は1時間程度ですが、その後自治会館で報告集会が開かれます。とりくみすすむ弁護団
弁護団(団長 中村尚達弁護士)は、12月5日に続いて25日にも午後6時から県弁護士会会議室で会議を開き、対応を協議しました。
また、原爆症認定審査の柱とされている原因確率論についての第1回の検討会が1月6日に開かれました。広瀬訴訟の判決は2月に
国側の控訴で福岡高裁へ移っていた健康管理手当の不当な打ち切りをめぐる広瀬方人さんの裁判は、同裁判所での12月18日の口頭弁論ですべての審理を終結し、2月27日に判決が行われることになりました。

許せない原爆投下機の示威
―スミソニアンへの抗議・要請の旅を終えてー

12月27日のワシントンポスト紙は、展示説明に広島での死者の数などを加えるべきたど社説で主張したとか・・・・・。

山田拓民

12月11日、スミソニアン航空宇宙博物館への抗議・要請とアメリカ市民との交流を目的とした私たち日本被団協の代表団―田中熙巳日本被団協事務局長を団長に、東京の西野稔さん、熊本の朝長民子さんと私の4人は、成田を立ちました。ワシントンへ着いたのは、12日へ日付が変わる寸前。寝たのは午前3時ころ。午前6時には起床。午前9時からのナショナルプレスセンターでの記者会見に駆けつけました。
すばらしかったシンポ
記者会見後、スミソニアン博物館への要請署名の提出と要請行動でしたが、博物館側は25000の署名が入ったダンボール箱を受け取っただけ。
13日にアメリカ大学での「21世紀のヒロシマ・私たちは過去をくり返すのか」というテーマでのシンポジウムは、午前9時から午後6時まで、3つの分野でそれぞれ6名ずつ計18名の著名な研究者らが発言する大変な討論集会。私たちのために同時通訳を配置してありました。ここでは昼食時間に、私と原水禁の代表として訪米していた広島の小倉さんという女性が被爆の体験をもとにスピーチ。
14日の午前中は積雪のため動けず、午後はある教会でのヒバクシャ集会。いろんな宗教、会派の方々の熱のこもった集会でした。

エノラ・ゲイに憤り
15日はエノラ・ゲイの一般公開日。バージニア州に新設された航空宇宙博物館にそれは展示されていました。まるで軍用機展示場かと思える雰囲気の中に、それはありました。原爆投下という凶暴犯罪に使われた凶器。それが何の反省もなくここに置かれていることに、押さえようのない怒りを覚えました。

厳しく、充実した行動
聞けば、ボックスカーもオハイオ州の空軍基地に展示されているとか。被爆60周年を前に、長崎からも抗議団を派遣しなければならないのではないかと思いました。
16日は、朝から夜まで学校や平和団体の事務所を訪問して、被爆体験を語り、被爆者の思いを訴え、意見を交わしました。
思えば、きびしい日程でしたが、充実した毎日でした。


被災協の被爆者調査から

「近いうちに核兵器が…」
緊迫する核兵器をめぐる情勢を被爆者はどうみているのかー近いうちに核兵器が使われるのではないかと答えた人は34%でしたが、そう思わないと答えた人が40%を上回りました。もっともその中には「そう思いたくない」「そうはさせない」という回答も含まれています。
「健康状態」
回答者の95%が、通院中あるいは入院中と答えています。「健康」と答えたのは5%にとどまりました。これは、健康管理手当の受給率に見合う数値といえるでしょう。しかも、複数の疾病を持っています。
「家族構成」
上の健康状態から見て一人暮しに不安が付きまとうのは当然として、高齢の夫婦二人暮しも、もしどちらかが倒れた時のことを考えると二人だから安心とはいえないのが現実です。
地域としての、あるいは組織としての「一声」運動、助け合いの態勢づくりが大きな課題です。