2008年6月9日発行の新聞『被団協』296号の内容をご紹介します。

◇長崎被災協定例評議会・理事会◇

憲法改悪阻止の決議も採択
ことしも「ふたたび被爆者をつくるな」と意気高く

 長崎被災協第53回定例評議会と今年度第2回理事会は、5月30日午後2時から、長崎被災協蘇生で開かれ、昨年度の運動と財政についての報告を承認、ことしの活動方針と予算を確定しました。
ことしの活動方針について 提案した山田事務局長は、安倍政権の下での賑やかさはないが、再来年に国民投票法(正しくは「日本国意法の改正手続きに関する法律」といい、昨年5月与党だけの賛成で成立)が全面施行されるのを前に、改憲を目指す動きが活発化してきていることを指摘しました。
討論の中では、アメ リカの原爆投下兼任を追及することの大切さ、戦争被害への国家補償を求める上で、国の戦争兼任の追及は欠かせないこと、被爆体験者らとの連携も重要、などの補強意見が表明されそれらを取り入れて別掲のように、ことしの課 題がまとまり、出席者全員の拍手で今年度活動方針、予算などが決まりました。

 

 私たちのことしの課題

  • 「原爆被害者の基本要求」を身につけ、払たちの要求に確信を持ち、「ふたたび被爆者をつ<るな」の運動を推進します。
  • アメリカの原爆投下責任を追及し、謝罪を求めます。
  • 政府の被爆者対策の問題点を明らかにし、その是正を求めるとともに、被爆体験者や東京大空襲被害者らとの連帯を深め、
    国の戦争兼任を追及し、戦争被害受忍論の打破、戦争被害への国家補償の実現をめざします。
  • これらの運動を発展させるためにも原爆被害の実相普及につとめます。
  • 組織内では、「ひとりぼっちの被爆者をつ<らない」工夫と努力を重ねます。
  • 公益財団法人化を目指すとともに、事務局体制の強化、財政の確立をはかります。

憲法改悪阻止の特別決議も採択
また、憲法「改正」を阻止し、特にその9条を守り発展させる決意を表明する特別決議も採択し、午後4時半、評議員会・理事会は閉会しました。


4月5月の施定状況
 4月5月の原爆症認定状況はつぎのとおりでした。いずれも積極的認定の枠内です
原爆症認定審査結果     平均認定率=97.4%

審査月日
審査数
認定数
保留数
却下数
4月7日 62 56 6 0
21日 84 79 5 0
5月12日 17 127 5 0
19日 105 102 3 0
合計 268 249 19 0


◇長崎地裁・第一次訴訟◇
判決は6月23日に

原爆症認定集団訴訟第1次訴訟(原告27名)の長崎地裁での判決は、6月23日午前2時からと決まりました。
結審からほぼ11カ月目という この種の裁判では異例の判決となります。
集団訴訟を支援する会では、当日は法廷だけでなく裁判所を埋め尽くす傍聴参加を呼びかけています。
(判決当日の予定)
①午前10時 県庁下の江戸町公園に集合し、地裁へ。
②午前11時判決判決結果を待機グループへ発表。
③閉廷後、長崎市図書館へ移動して報告集会。
その後の行動などを確終して、解散。



原爆初認定集団訴訟 ◇11人の原告全員勝訴◇
仙台・大阪両高裁で判決

5月28日には仙台高裁で(原告2名)、同30日には大阪高裁(原告9名)で原爆症認定集団訴訟の判決があり、いずれも原告全員が勝訴、厚生労働省の連敗は8となりました。
厚生労働省の不当な控訴に対するはじめての高裁判決でしたが、厚生労働省の主張は退けられました。
 仙台では要医療性を積極的に容認
仙台高裁の二人はともにガ ンでした。手術後の後障害でのかなりの期間の通院治療が 原爆症認定に必要な「要医療性」に当たるかどうかが争いの焦点でしたが、判決でははっきりとこれを認めました。
大阪では貧血も原爆症と認める。
大阪高裁での原告は9名でしたが、うち4名は「新しい審査の方針」の積極的認定に 該当しましたが、あとの5名はその対象ではありませんでした。
しかし大阪高裁は、被爆状況、その後の健康状態などを勘案し、甲状腺機能低下 症、貧血なども原爆症と認定したのでした。
却下処分は違法
こうして仙台高裁・大阪高 裁は、原告全点に原爆の放射 線起因性、要医療性を私め、 却下は違法と断じました。


◇新しい審査の方針◇
これが『積極的認定』の範囲
まだまだ多い問題点

新しい審査の方針による原爆症の認定審査が進行してい ます。
現在審査が行なわれているのは、「新しい事査の方針」 で 「積極的認定」とされている分野です。
これは、一定の被爆者が厚生労働省が原爆の放射線による病気と考えている 5種類の病気のどれかにかかった場合、特別にダメだという理由がない限り、原爆症と静めようという制度です。
いまは、これに当てはまる人たちを集めて審査をしているので、認定率は毎回90%を越え、却下はゼロとなっています。
もう少し具体的にみると、「積極的謬定」の対象となるには、被爆状況では、下の表 の 「こんな方が……」 にある 3つのうちのどれかに当てはまる人であって、さらにその右の「こんな病気ににかかったら……」の中に挙げてある5つの病気のどれかにかかつた場合、つまり、爆心地から3・5キロ以 内で被爆しており、胃ガンに かかっているという場合は、稚極的に認定されるというわけです。
しかし、3・5キロ 以内で被爆していても、甲状腺機能低下症では、積極的認定の対象とはなりません。積極的認定の枠外でも、被曝した放射線量や病歴などを審査して、認定するかどうかを決めることになっていますが、どのような審査になるのか、 いまは不明です。
新しい制度で、認定の枠はひろがりましたが、被爆者への線引きや対象疾病の不十分さなど、多くの問題を抱えて います。これからの運動で改善させなければなりません。

 

こんな方が・・・・・

  1. 爆心地から3.5キロ以内で被爆した方
  2. 原爆投下から100時間以内に(長崎の場合8月13日の午後3時までに)爆心地から2キロ以内に入った方
  3. 100時間以上たって、約2週間以内に爆心地から2キロ以内に入った方で、そこに1週間程度以上滞在した方

 

こんな病気にかかったら

  1. 各種のガン(悪性腫瘍)
  2. 白血病
  3. 副甲状腺機能亢進症
  4. 老人性でない白内障
  5. 放射線に起因する心筋梗塞

 

 


◇法廷での陳述・要旨◇
原爆被害は物差しでは測れない
 新原告 川原 進

 原爆が投下された時、私は 生後8ヵ月足らずでしたので 当時のことは母から聞いたことです。私たち一家は、大黒町で酒屋を営んでいましたが、強制疎開にあって、・大事なものは木原1丁目の叔父の家に預け、当時の時津村へ引っ越していました。長崎市からはずい分離れていましたが、家が高台にあったので、閃光をまともに受けました。
当時父は兵隊に行っており、時津の家には祖父と母、2人の姉と私の5人が暮らしてい ました。原爆で長崎が六変だ ということで、祖父が本原の叔父宅へ向い、それから1週間ほどたった8月15日、私は母に背負われて、みんなで木原へ預けてあった家財を引き取りに行ったそうです。作業は1日では済まず、数日間、通ったそうで、当時はそれが原爆とも知らず、放射能の危険性も知らなかったわけで、放射能に汚れた土や石に触れ、放射能を含んだ埃を吸い、水を飲んだのでした。
私は小さい頃から貧血がひどかったそうです。青年時代は比較的元気でしたが、平成17年にガンが見つかり、手術を受けました。
私の場合、被爆の場所も、入市の時期も新しい審査の方針にいう 「積極的に認定」の範囲には該当しません。しかし私は、原爆の被害は秤や物差しで計れるものではないと思っています。原爆の特質を考慮して頂き、却下処分を取り消して下さい。



=読書のコーナー=
土井秀夫のミステリー「切断」 著者 土井秀夫

今回のご紹介は、「ミステリー作品」。
反核・平和のとりくみで 大忙しの土山秀夫先生の作品を収録した光文杜文庫「江戸川乱歩と13の宝石」 第二集を書店の書棚で見つけました。
作品の 題名は「切断」。雑誌「宝石」 の昭和33年9月号に掲載されたということなので、まさに50年ぶりの再登場です。ミステリー作品ですので、内容の詳細は省きますが、台風が迫る嵐の夜、ある大学の病理学研究室に泊り込んだ研究者が、
病理標本に重大な誤りを発見する所から始まり、緊迫した 一夜の描写がみごとに読者を魅了します。  (山田拓民)