2009年2月9日発行の新聞『被団協』304号の内容をご紹介します。

◇ 新長崎市民病院問題 ◇
原爆病院との統合に反対
被爆者5団体が市長へ要請

 前号でお知らせしましたように、長崎市の成人病院を統合しての長崎市民病院改築計画に対し、県知事が突然「原爆病院を合併し、高度医療にふさわしい高機能病院を」と提案して以来、長崎市も対応に追われているようです。
事態を重視した被爆者5団体(長崎被災協、原爆遺族会、被爆者手帳友の会、被爆者手帳友愛会、平和運動センター被爆連)は、1月17日(土)の学習集会「どうなるのか原爆病院」のあと、午後6時から代表者会議を開き、原爆病院をなくすことには反対することを決定、早速19日(月)午後1時、長崎市長に面会、被爆者5団体の思いを文書で要請しました。長崎被災協からは、この要請に谷口会長が参加しました。

新病院の運営は、日赤、で…県の病院構想

県の新病院構想では、建設は市がおこなうものの、出来上がった病院の運営は日本赤十字社が行うことになっており、現在の市民病院、成人病センターの医師、看護師などの職員の身分・待遇についても問題が生じそうです。

市従組が原爆病院との合併に反対表明
このように県の新病院構 想では、市の職員の身分・待遇上の問題が生じると長崎市役所従業員組合では、県の構想に反対を表明、1月19日午後6時半から長崎市江戸町公園で決起集会をひらき、集会後長崎市役所まで行進しました。この集会に山田事務局長が出席、連帯の挨拶を送りました。

 

長崎原爆病院

昭和33年、被爆者の大きな期待を担って片淵町に誕生した長崎原爆病医院は、昭和57年に茂里町に新築、移転。昨年開院50周年を迎えました。
病床数360、うち約300床が日常使用されており、そのうち被爆者が使っているのは100床だとか。長崎の被爆者だけでなく、九州はもとより全国の被爆者の期待を背に、診療に当たってきた病医院です。

◇原爆病医院の吸収・合併◇
 本音は「医師不足」対策か? 
被置き去りにされる患者・被爆者

原爆病院をなくして大病院を、という狙いは…

長崎新聞(09年1月27
日付)に掲載された知事へのインタビューでみても、もっと大きな狙いは「研修医にとって魅力ある高機能病院にしないと医師不足に対応できない」というところにあるようです。そのためには、原爆病院などなくていい、というのでしょうか。

長崎市の医師不足は 深刻なのでしょうか?
これも長崎新聞のインタビューに答えた長崎大学医学部長の言葉(08年12月10日付)では、市中心部は医師が多いのだそうですが、今の医師たちがリタイヤしたとき、若い医師たちが長崎へ来なけ
れば10年後20年後には大変な事態になると指摘されています。
実は医学部を卒業しても病院での2年間の研修が義務づけられていますが、その医学生たちが長崎で研修を受けたがらないのです。

医学部卒業生に敬遠されている長崎
いまの医師の研修制度では、医学生は国が指定する病院から研修する病院を自由に選ぶ ことができるのです。
病院の方の受け入れる定員と希望する学生の数を見てみると、長崎県の場合50%を切っており、九州・沖縄に、こんな県は他にはありません。
全国的に見ても、40%台というのは、長崎県以外には4 県しかないのです。
県知事などは、これは長崎の場合、高機能病院の整備が遅れているからだ、と考えているようです。だから、原爆病院をなくしてでも長崎に高機能病院を、となるのです。

研修では、高度な医療 を学ぶのでしょうか?
病院での研修の内容は
①医師としての人格の滴養、と②基本的な診療能力の修得、です。
これが臨床研修の基本原 則です。決して高度な医療技術の習得ではありません。
原爆病院をなくすことよりも、なぜ、長崎大学の卒業生も長崎での研修をいやがるのか、長崎大学医学部や長崎県は、その原因をこそ考えるべきではないでしょうか。

原爆病院は、これからも、二世三世を含め被 爆者にとって大事な大事な病院なのです。
 新 病 院 を め ぐ る
長崎市と県の構想 

長崎市が示す新しい市立病院の構想の要点

  1. 通常型の救命救急センターを整備するほか脳血管障害、心疾患、ガン医療、周産期医療などに対応できる病院にする。
  2. 病床数は当初の450床計画を506床に見直すことで検討中。
  3. 診療科は、内科、小児科、外科、脳神経外科、産婦 人科など最終的には20以上になる見込み。
  4. 医師数は、当初の82名体制から142名捧制へ検 討中。また看護師については415名、その他の職員については87名で計画をすすめている。
  5. 設置場所は、現在の位置に周辺の用地を加える形でほぼ買収も終わった段階。この位置については、長崎市南部の拠点病院として機能してきた経過もあり、地元住民からの要望も強い。
  6. 原爆病院は存続する。

県が示した新しい病院構 想の要点

  1. 市民病院、成人病センター、原爆病院を廃止し、新たに一つの高い機能を持つ病院をつくる。
  2. 現在の三つの病院のベッド数の合計は950床だが、これを600床とする。原爆医療センターには、そのうちの47床をあてる。
  3. 新病院は長崎市でつくるが、新病院の管理、運営は日本赤十字社にゆだねる(病院職員は一旦全員解雇し、必要なだけ再雇用する)
  4. 設置場所は、新しくつくられる長崎駅(今の長崎駅より西へ移動)の裏とする。

原告3人が被爆状況などを証言
 原爆症認定集団訴訟(長崎地裁)

  1月26日の午前10時半から午後3時半まで、長崎地裁で、第2次原爆症認定集団訴訟の口頭弁論が開かれ、この日は、長谷さん、森田さん、栗原さんの3人の原告が、被爆したときの状況、その後の健康状態について、弁護士の質問に答える形で証言を行いました。これに対し厚生労働大臣の代理人は、数十年前に提出された手帳交付申請書について、書いたのは誰かとか、その一部がワープロとなっているのはなぜか、あるいは同申請書の記入事項に今証言した病名が書いてないのはなぜか、など、何のための質問かと思わせるような質問に終始しました。
次回は2月9日で、午後1時10分から鈴木さん、川副さん、川原さんの3人の原告が証言します。

支援する会では、傍聴席を埋め尽くし尋問を受ける原告を励まそうと呼びかけています



◇全国統一行動を展開◇

原爆症認定問題の決着を!

 原爆症認定集団訴訟の早期解決を求める全国統一行動日として設定されていた1月17日、原爆症認定集団訴訟を支援する会・長崎では訴訟を支援する会は、午後2時から同3時まで1時間、長崎駅前高架広場で街頭宣伝にとりくみました。
参加者は19名でチラシ800枚を配布し、214名の署名と405円のカンパが集りました。 この統一行動は16日に東京など6都県で、17日に長崎、熊本など3県で展開されました。
次回の行動は、2月14日の午後2時から長崎駅前高架広場で行います。


ガザ地区への軍事行動をやめよ、と抗議文送付

長崎被災協など県下の被爆者5団体は、ガザ地区で子供をふくむ大勢の犠牲者を出しているイスラエルの空爆について、1月9日、同国政府に対して抗議文を送るとともに、日本の麻生首相、アメリカのプッシュ大統領へも攻撃を中止させるよう要請文を送りました。

お願い
各支部・各会の動き や新年度の計画などを被災協事務局へお知らせ下さい。

 


 

長崎被災協1月の動き

5日・仕事はじめ

6日・新聞「被団協」発送作業

8日・生協ララ・コープ会長ら年始の挨拶に来訪

12日・(成人の日)・長崎平和研究所運勢委員会(山田)

17日・原爆症認定集団訴訟全国統一行動・午後2時から長崎駅前で街頭宣伝
・午後3時半から被災協2階会議室で市民病院間題で学習集会。
このあと被爆者5団体で長崎市長への申し入れを決める

18日・「健康友の会」新年の集いで挨拶(山田)

19日・熊本の原爆症認定訴訟高裁口頭弁論。激励に長崎からも参加(森内、山田)
・市民病院間題で、被爆者5団体が長崎市長へ要請(谷口)
・アメリカ新大統領オパマ氏へ長崎来訪を要請したことで被爆者5団体で記者会見(谷口)
・長崎弁護団会議(柿田)

20日・いきいきコープ理事会(柿田)

21日・当面のとりくみについて事務局会議
・市従組などが原爆病院との統合反対で決起集会 被災協からも連帯の挨拶(山田)

23日・九州ブロック代表者会議 (山田、柿田)⇒24日まで

26日・長崎地裁での原煤症認定集団訴訟、原告長谷さんら3名への本人尋問
31日・県九条の全役員会(山田)