2009年3月9日発行の新聞『被団協』305号の内容をご紹介します。

原爆病院問題の経過を確認
第6回(拡大)理事会ひらく
当面のとりくみについて協議

長崎被災協は、2月17日に本年度第6回の拡大理事会を開き、ひとまず決着した長崎原爆病院問題についての経過を確認すると ともに、これからのとりくみについて協議し確定しました。

「病院問題」の経過
経過報告の中で山田事務局長が、長崎市の新病院計画について、

  1. 長崎市は現在の市民病院の所在地に、伊藤市長当時から計画してきており、すでに現在地に隣接する用地の買収もすすんでいたこと、
  2. 昨年になつて県知事から、原爆病院を吸収した形でのより高度な医療に耐える高機能病院を作り、運営は日赤原爆病院に任せるという構想が示されたこと、

 

  • そのため市議会としても特別委員会をつくり検討に入ったこと、

 

  • その結果、市議会の特別委員会は、従来の長崎市の計画を補強した新構想で望むべきだとの結論を田上市長へ報告したこと、

 

  • 県の構想が原爆病院をなくすものであることを重視した被災協としては、他の被爆者団体とともに市長へ、原爆病院をなくすことには反対、という決意を表明したこと、

 

 

  • さらに日本被団協の会議を通じて全国に訴えたこと、

などを具体的に報告し、さらに今後の課題として原爆病院が真の被爆者医療の担い手として機能するよう被爆者組織としても力を注ぐ必要がある、と訴えました。

このあと議事に入り、当面のとりくみについて検討しました。

① 原爆症認定集団訴訟
このことについては、山田事 務局長が現状を報告するとと もに、
(ア)裁判傍聴を多くの人に勧めること、
(イ)署名運動を推進すること、
(ウ)裁判がどういう状況にあるのか、その意義を明らかにすること
を提案、全員で確認しました。なおこのことにかかわって、出席者から支援する会に加入している団体を訪問する活動の大切さが 指摘され、事務局で具体化を図ることになりました。

② 相談事業講習会
この後、今年11月に長崎市で開催される九州ブロック相談事業講習会を成功させることについて協議、久しぶりに長崎を訪れる 県外の方たちに被爆地ガイドを計画してはどうか、の意見も出されました。

③ 来年度の課題は…
今年3月27日に開催される第54回評議員会へむけて、09年度はどういうことに重点を置いて取り組むかについて、それぞれに 知恵を出し合うことになりました。

 


 

◇ 長崎市長、県の提案を拒否 ◇
 原爆病院はそのまま存続へ 
新病院は、現病院の跡地に建設

 2月16日、長崎市の田上市長は、長崎市民病院改築にかかわって長崎県が提起した長崎原爆病院を取り込む形での新病院構想は受け入れられないという態度を表明、知事へ回答しました。
これによって存続が危ぶまれていた長崎原爆病院問題はひとまず解決し当面、その存続が決定しました。
2月20日頃が原爆病院問題の山場となると想定されたため、長崎被災協など長崎の被爆者5団体は、1月17日には学習集会を開き、同19日には長崎市長へ原爆病院の存続を文書で要請したほ、1月24日・25日に福岡市で開かれた日本被団協九州ブロック代表者会議や、2月4日・5日に東京で開かれた日本被団協代表理事会で、山田事務局長が 現状を訴え、「原爆病院をなくすな」の要請書を長崎市長へ送ろうと呼びかけました。
また、2月1日には市民の会の主催で「新市民病院を考えるつどい」が開かれ、また11日には、同じく市民の会の主催 で講演とシンポジウムの集いが開催され、山田事務局長がシンポジウムに発言者として出席したほか、参加した被災協の会員は会場から積極的に発言しました。
その一方で、公立病院の統合を推進している総務省の公立病院改革懇談会座長を登場させ、「(総務省の)ガイドラ インでも明確に日赤の実名を挙げて病院の再編・統合を求めており、国も日赤長崎原爆病院との統合を成功させてほしいと思っている」と語らせ、「長崎市が国の方針に反して統合を受け入れないのであれば、結果責任は市と市長が負うことになる」 と、脅しとも思える同座長の発言を掲載した新聞もありました。
こうした中での市長の決断で、長崎市は、当初の方針をさらに拡充した新病院計画に沿って、充実した新しい病院の建設を めざすことになったため、原爆痛院はとりこわされることなく現状のまま存続することになったのです。


◇ 全国の皆さんありがとうございました!! ◇
原爆病院は残りました 
=長崎原爆被災者協議会=

長崎原爆病院を残せ!の声をあげて下さった全国の被爆者の皆さん。ありがとうございました。
日本被団協代表理事会からは、長崎市長あての原爆病院を守れ!の要請書コピーが、東京都の被爆者団体「東友会」からは、都内各区、各市の被爆者団体へ呼びかけたとのお知らせと東友会から長崎市長への要請書コピーが、北海道被爆者の会からも……
と、まさに全国各地からの激励のお便りと長崎市長への要請文送付のご報告を頂きました。
長崎の被爆者5団体の動きと相まって、こうした全国の被爆者団体からの声が、今回の長崎市長の決断の大きな支えとなったことは、疑いのないところです。
ここに心から厚く御礼申し上げますとともに、地元長崎の被爆者組織として、長崎原爆病院が、真に被爆者医療の砦としての役割を果たしうるよう、見守ってゆく責任を痛感しています。
これからも、どうぞよろしくお顔いいたします。本当にありがとうございました。

◇被爆者の「反対」に苦慮?◇
 金子知事から丁重な書簡届く 
これから」への決意を表明

 長崎被災協は、金子知事から2月17日付けの丁重な書簡を受け取りました。
その中で知事は、県の提案が受け入れられなかったのは大変残念だが、やむをえないものとして受け止め、これからも 地域医療体制の確保に全力で取り組むとの決意を表明しています。
ただ、書簡に添付されていた記者会見の記録では、「被爆者の人たちも、冷静に考えて議論をしたのだったら状況が変わったのかもしれない」「特に披爆者の人に反対されたら、もうこの間題は難しいんじゃないかな」「私たちは原爆病院を守りたいために病院統合の提案をやったんだけど」と知事が被爆者の反対をすごく気にしている様子があちこちに見られました。


 ~諌早被災協~
 恒例の役員研修会を開催 

 諌早被災協では、2月18日・19日の2日にわたって、恒例の役員研修会を雲仙市小浜町で開催、15名が参加して和やかな中にも実のある研修を行いました。

この研修会には、山田事務局長も参加し、長崎市の新病院建設にかかわる16日の長崎市長決断の経過や原爆病院が残った意義、
17日に開催した理事会で決まったこれからのとりくみについて報告、意見を交わしました。



◇読書案内◇


 

 

ルポ 高齢者医療-地域で支えるために-
佐藤幹夫著(岩波新書)

 「高齢者医療」が、今どんな状況にあるのか、これからどうなろうとしているのかは、平均年齢が75歳といわれる私たち被爆者にとって、重大な関心事です。といっても、何がどうなっているのかわかりにくいのが現実です。
たとえば、ベッドに横たわり、点滴の管、酸素吸入の管、排泄の管などを挿入され、脈拍や血圧測定のために計測器につながれた被爆者は、手厚い看護を受けているといえるのか、それとも医師不足、看護師不足の中で、放置された状態なのか、にわかには判断できないでしょう。  あの原爆地獄を体験した私たちですから、終末期ぐらいは安らかに人間らしく逝きたいものと思っていたときに、この本とめぐり合いました。
筆者は、これまで障害者に焦点を当ててとりくんできたフリーのジャーナリスト。今回は、八つの地域と病院を筆者の目で確かめ、制度の実態と病院と地域の取り組みを紹介します。

(山田拓民)


長崎被災協2月の動き


1日・病院問題を考える市民の会(山田・柿田)

4日・日本被団協代表理事会(山田)⇒5まで

7日・長崎平和研究所総会(山田)

9日・原爆症認定集団訴訟(長崎地裁)口頭弁論原告3人への本人尋問

・原爆病院運営委員会(谷口) 10日・新聞『被団協』発送作業

11日・病院問題を考える講演とシンポジウム

13日・県原対課による監査

14日・14時から長崎駅前高架広場で、全国統一行動の街頭宣伝行動

17日・第6回(拡大)理事会

18日・諌早被災協が恒例の役員研修会(山田)

19日・医療と福祉を考える懇談会理事会(柿田)

27日・原対協理事会(谷口)