2009年12月9日発行の新聞『被団協』314号の内容をご紹介します。

◇九州ブロック被爆者相談事業講習会」 ◇
 8県から320名長崎に集う 

 第32回九州ブロック被爆者相談事業講習会は、11月27・28日の2日間、長崎市大浦海岸通のホテル・ロワジール長崎で開催、九州各県から参加した322名は、はじめての企画だった三菱造船所史料館の見学や被爆遺構めぐりをふくめて、有意義な2日間を過ごしました。第1日の開会行事では、主催者中央相談所理事の横山照子さん(長崎)の挨拶のあと、知事(代理)、開催県代表、九州ブロック選出代表理事の挨のあと、講演に移りました。
まず、 九州大学大学院准教授直野章子さんが、1984年11月に発表され、25周年を迎えた「原爆被害者の基本要求」の意義について語り、日本政府が固執する「戦争被害受忍論」こそ、日本国憲法の不戦主義、基本的人権の尊重、主権在民の精神にそむくものと指摘しました。ついで登壇した元被爆者相談所相談員の伊藤直子さんは、集団訴訟の取り組みの中で勝ち取った「新しい審査の方針」の もとでの原爆症認定審査は、一面きびしくなっていることを指摘、申請書の記入や添付書類などについてもきちんと対応することが大切だと述べました。
3番目に日本被団協の田中煕巳事務局長は、集団訴訟運動の成果を確認するとともに、その上に立って被爆者運動の基本である「ふたたび被爆者をつくるな」の要求実現をはかるために、核兵器廃絶をめざし、原爆被害への国家補償の実現へ向けての取り組みを、単に被爆者だけでなく、国民各層と提携した運動としてゆくことが大切と、これからの運動のあり方を提言しました。

2日目は分科会

2日目は午前9時から3会場に分かれて分科会が開かれました。第1分科会は、伊藤直子さんを助言者に「相談活動」について、第3分科会は、田中煕巳さんを助言者に「被爆者運動」について、意見を交流、第2分科会「被爆者の医療と健康問題」では、長崎原爆病院の朝長万左男院長の講話をもとに質問や意見を出し合いました。

にぎやかに懇親会

1日日の夜は懇親会で賑いました。議会の都合で開会式には出席できなかった田上長崎市長は懇親会の冒頭にあいさつ。長崎からの歓迎の出しもの「蛇踊り」のあと、各県がそれぞれに喉を競い合い、楽しい時間を
過ごしました。

 


◇ 長崎地裁(第2次訴訟)結審◇
 判決は来年5月24日 

 原爆症認定第2次集団訴訟の長崎地裁での最後の審理が11月16日にひらかれ、原告側からは原告の川原進さんと弁護士の森永正之さんが最終の意見を陳述、被告国側も意見陳述を行い、裁判は結審しました。
判決は来年5月24日とな りました。この裁判の原告は、当初18人でしたが、途中で2人が取り下げたため16人となっていました。その後、裁判の進行中に厚生労働省が10人を認定、従って未認定の原告は6人です。
集団訴訟を支援する会では、まだ、認定されていない6名の原告全員の勝訴を勝ち取ろうと、今月15日(土)午後2 時から長崎駅前高架広場で恒例の街頭宣伝を実施するほか、決起集会の開催など多彩なとりくみを検討しています。なお8月6日の日本被団協と当時の総理大臣との間で交わされた「確認書」によって、1審で原告が勝訴した場合、国は控訴せず、判決が確定します。

 

結審の法廷での意見陳述 原告 川原 進
11月16日に長崎地裁で川原進さんが述べた意見陳述の概要です。
私たちの裁判も、4年経過しました。この間に、原告のうちの 3名が亡くなりました。一緒に 判決の日を迎えることができないことを残念に思っています。
しかしこの間、長崎地裁を含めて多くの裁判所で、国の原爆症認定の誤りがきびしく指摘されたのでした。その結果、国も「審査の方針」を改定せざるを得なくなりました。
長崎県下でも、原爆症と認定された被爆者の数は、約2倍に増えました。これは、それまでの原爆 症認定審査がどんなに原爆被害の実態からかけはなれていたかを物語っています。
では、現在の審査のあり方は正しいのでしょうか。私はそうは思いません。国は3・5キロ以 内での被爆などを条件にしてい ますが、これにしても昔の特別被爆者制度のむし返しのように思えてなりません。積極的認定の対象疾病についても、文字通り積極的に認定しようとしているのは、ガン、白血病、副甲状腺機能克進症の3つだけではありませんか。
被爆して64年目を迎えています。私が被爆したのは生後8ヵ月のことでした。思えばつらく悲しい64年間でした。
私たちがこんな苦しみを抱えているのは、すべて、あの戦争のせいであり、あの戦争を始めた国の責任であることを、国は自覚すべきです。
裁判長にお願いします。どうかこのように人を欺く「新しい 審査の方針」に惑わされることなく、被爆者の訴えと原爆被害の実態を十分にご理解頂き、厚生労働省によって突き放された私たち6名の負傷・疾病を原爆症と認めて下さい。


 
「基金」法、いよいよ成立へ
だけどわかりにくい、法のねらい

 8月6日の日本被団協と当時の総理大臣との間で交わされた『原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に関する確認書』第3項「議員立法により基金を設け、原告に係る問題の解決のため活用する」の具体化としての法案が、いよいよ国会で成立しようとしています。

(11月30日午後3時現在)
「原爆症認定集団訴訟の原告に係る問題の解決のための基金に対する補助に関する法律(案)」この法案は、その第1条でこの法律の趣旨をこう述べています。

「この法律は、原爆症認定集団訴訟に関し、これを契機に原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づく医療の給付を受けるための認定に関する見直しが行なわれたことを踏まえ、訴訟の長期化、被爆者である原告の高齢化等の事情にかんがみ、平成21年8月6日に関係者の間において
行なわれた原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に関わる確認の内容に基づき、原告に係る問題の解決のための基金に対する補助に関し、必要な事項を定めるものとする。」

法律の文章がわかりにくいのは定評があるところですが、 この文章も一読して「ああそうなのか」と納得する人はまずいないのでは。

わかりにくいのは、「確認」のときからのこと

その「確認書」の内容という のは、冒頭に記したとおりです。原爆症認定集団訴訟を起こした被爆者をめぐっての問題解決のために何かお金がいるらしいことはわかりますが、何のためのお金でしょうか。なぜ「基金」などををつくる必要のためにわざわざ法律までつくる必要があるのでしょうか。そしてその為にわざわざ法律まで作らいければならないとは、いずれにしても国は3億円出すというようですから、厚生労働省の責任で支出すればよさそうなものではないでしょうか。

すっきりした〆を

終版をむかえました。とはいえ長崎の裁判も来年5月の判決を待たなければ終結はできませんし、「基金」をめぐる扱いがすっきりしなければ、敗訴原告は控訴をあきらめることはできないでしょう。ともかく、私たちも国民も、納得できる法律が必要なのです。

 


◇はじめての交流集会に4都県から20名参加◇
 ノーモ・ヒバクシャ・9条の会 
九ブロ相談事業講習会

 九州ではじめての「ノーモア・ヒバクシャ・9 条の会」の交流会が、11月14日の午後から翌15日の午前中にかけて、長崎被災協の(地下)講堂でひらかれ、20名が参加し、和やかな中にも真剣な意見交換が行なわれました。県別の参加状況は、埼玉1名、東京4名、福岡2名、長崎13名でした。
この 「ノーモア・ヒバクシャ9条の会」は、「ふたたび被爆者をつくるな」を合言葉に、憲法わけても9条の改悪を許すな、と顧う人たちの運動です。「ノーモア・ヒバクシャ」は被爆者の願いなので、「被爆者の9条の会」と考えられそうですが、そうではありません。被爆者はもちろんですが、「ふたたび被爆者をつくるな」の願いに賛同し、憲法9条を守ろうという人は誰でも参加できる会なのです。この長崎の交流会も、被爆者ではない東京の工藤雅子さんと長崎の柿田富美枝さんの司会で進行しました。会では長崎の山田拓民さんと東京の吉田一人さんが報告を行い、それぞれに意見を交流、福岡の直野章子さんがまとめを行ないました。
第1日が終了すると、会場を移して懇親会もにぎやかに進行、楽しい語り合いが続きま
した。

 


◇訂正とおわび◇

11月号で11月23日に現行法改正をめざす「第3回検討委員会」がひらかれるとお伝えしましたが、11月19日の誤りでした。おわびして訂正します。ところが19日には緊急の代表理事会が開催されたため、同検討委員会はひらかれず、12月17日に延期されました。

 



長崎被災協11月の動き

4日・相談員会議

7日・集団訴訟街頭宣伝
〃・いきいきコープ時津煮り準備(柿田)

8日・いきいきコープ時津祭り(柿田)

9日・被爆体敦者との打ち合わせ(山田〉

13日・NPT再検討会議などでの渡米代表選考会議

14日・ノーモアヒバクシヤ9条の会  長崎集会→15日正午まで

16日・集団訴訟(第2次)審理 飢・地球市民集会プレ集会

27日・九州ブロック被爆者相談事業、  講習会→28日正午まで