2010年10月9日発行の新聞『被団協』324号の内容をご紹介します。

◇基本懇・答申」30周年をも視野に◇

 国家補償の「援護法」実現へ 

長崎でも3日の連続学習集会

ことしの12月11日で、1980年に被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)がその「意見」を厚生大臣へ答申して丁度30年になります。
また、ことしの12月16日で、当時の村山内閣が国家補償の被爆者援護法を!という被爆者や国民の声を無視し、基本懇答申に沿った「原子爆弾被爆者の援護に関する法律」を制定して16年が過ぎることになります。
ことし6月の日本被団協総会は、いよいよ現行法の改正にとりくむ決意を確認、その骨子を発表、全国での討議をよびかけました。
今月17日・18日に東京で開かれる日本被団協全国代表者会議では、各地での討議の成果が持ち寄られ、討論が展開されます。
長崎被災協でも、9月4日と10月2日の2回、現行法とあるべき被爆者援護法についての学習集会を開き、さらに基本懇が答申を行って30周年を控えた11月27日には、「基本懇・意見」そのものの学習集会を計画しています。

◇私たちが要求する被爆者援護法・案◇

①現行の『援護に関する法律』前文を改正し、原爆被害に対する国家補償を趣旨とし、あわせて核兵器の廃絶への決意を明記すること。

②原爆死没者の遺族に対して弔慰金、あるいは特別給付金を支給すること。

③被爆者全員に被爆者手当を支給すること。

④厚生労働大臣は、被爆者が、政令で定める負傷又は疾病に羅患した場合は、その負傷又は疾病に対して医療を給付し、手当を加算すること。

⑤被爆者が、上記の政令で定めのない原爆傷害で、原子爆弾の傷害作用による負傷又は疾病に羅患した場合には、被爆者援護審議会の議を経て厚生労働大臣が認定することができるものとすること。

⑥被爆二世、三世に関する実態調査を実施し、希望する者には二世・三世手帳を発行し、健康診断・がん検診を実施すること、およぴ、政令で定める疾病に対して医療費を
支給すること。

⑦在外被爆者に対しても、その国情に応じて法の完全適用を行うこと。

 


 

 秋のとりくみをテーマに
第4回理事会を開催

  

長崎被災協は9月22日午後2時から今年度第4回の理事会を開き、秋のとりくみについて決定しました。
終結へ向かう原爆症認定集団訴訟については、原告45名中34名が認定され、未認定者についても準備が進んでいるとの報告があり、「支援する会」については、目的を達成したことを確認して解散することになるが、来春の定例総会で決ること、さらに原爆症認定審査が異常な状態にあるという報告もなされました。
国家補償の「被爆者援護法」へのとりくみについては、3回連続の学習集会を開くことを確認、ことしの嬉野での相談事業講習会への参加要項も決まりました。

 


 三ツ山支部が総会ひらく 
  

被災協三ツ山支部(支部長井川清澄さん)は、9月12日午後2時から2010年度の総会を開き、井川会長が1年間の活動の経過を報告、会計担当の榎さんから支部の会計の収支決算について報出口され、いずれも了承されました。
このあと111月の九州ブロック相談事業の参加について、参加者にはこれまで通り一人2万円の補助を行うことを含めて提案、承認されました。さらに、原爆症認定集団訴訟の経過についての井川会長の報告を受けて、今後の「支援する会」のあり方についても意見を交換しました。
また、長崎被災協の三つの課題、
①いまの「援護に関する法律」を「国家補償の援護法」へ改正をめざす。
②「非核三原則」をはつきり法律にする。
③長崎被災協を公益財団法人とするための検討に入る。
ということについて井川会長が報告、みんなで確認しました。

 


 国家補償の被爆者援護法めざし、連続学習集会始まる 

長崎被災協では、この秋、連続の学習集会を計画しました。
第1回は、9月4日の午後2時から長崎被災協・講堂で。日本被団協中央相談所理事・横山照子さんが、「現行法の内容」 について報告しました。
厳しい酷暑の日で参加者が予定に達しませんでしたが、長崎被災協の会員だけではなく、被爆体験者の会や平和団体、医療関係者の方々も参加しました。
第2回は10月2日に、日本被団協でまとめた「現行法改正案」について山田事務局長の報告をもとに意見を交流。さらに11月27日には「基本懇・意見」をめぐっての学習会です。

 


 

原爆症認定集団訴訟は終結に向かうものの、改善されない審議のあり方
一向に機能しない「定期協議」

7月20日の長崎地裁判決と、申し合わせに従って控訴者がなかったことで、7年余にわたった長崎での原爆症認定集団訴訟は、事実上終結し、あとは、昨年8月6日の政府と日本被団協との確認書に従って、「基金」についての処理が残るだけとなりました。

取組みの結果

 第l次訴訟では27名の方が裁判に訴えた中で、20名が勝訴し、原爆症と認定されました。
第2次訴訟では18名の方が裁判に参加し、14名が認定され、合計34名が認定されました。 裁判に参加された方は合計45名なので、認定率は約78%となります。なお裁判の中で、14名の方が亡くなられました。

裁判を終えて認定審査はどう変わったか?

裁判が進行する中で、認定のための「審査の基準」は、2度改定されました。これまで2㎞以内でなければ審査の対象にもならない、といわれてきた爆心地からの距離は、約3.5㎞以内ならガンなど5種類の病気については積極的に認定する、となりました。この病気の種類も、判決を反映して、昨年2つ増え、7種類の病気が対象となりました。

しかし、問題も・・・

一つは申請がふえたこともあって、1日に、400あるいは500、さらには600を超える審査もおこなわれるようになったのです。1日というのは、午前10時から午後5時までをさします。昼食時間を1時間とすると、1日の審査時間は6時間(360分)です。1日に360人の申請を審査したとすると1人あたりの審査時間は1分です。600人を審査したとすると、1人についての審査時間は、なんと36秒なのです。

ますます増える却下件数

こんな審査だから、認定されない人がどんどん増えています。たとえばことし8月23日の被爆者医療分科会での調査を見ると、-審査件加勢が448件、うち認定されたもの12件、却下435件、保留1件という状況です。

却下理由も示さない厚労省

「却下するときはその理由を示せ」と法律(行政手続法)は定めています。ところが厚生労働大臣は、大量の却下処分を行いながら、却下された人に対し、却下の理由も明らかにしないのです。

確認書は紙切れか?

昨年8月に交わされた「確認書」では「定期協議の場を設け、今後、訴訟の場で争う必要のないよう、この定期協議の場を通じて解決を図る」ことになっていますが、これまで定期協議は1回ひらかれただけで、次の開催期日も決まっていません。
裁判は終わっても、私たちの課題は残っています。

 


 いまから30年前に発表された「基本懇・意見」とは・・・① 
  

いまから30年前の12月11日、当時の園田 直厚生大臣の私的諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」が「原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について」を大臣宛に答申しました。これが、『基本懇答申』と呼ばれるものです。
この答申の2年前の3月、最高裁は、福岡県によって被爆者健康手帳の交付を拒まれた韓国人被爆者孫振斗さんが起こした裁判の判決中で、「手帳」交付を定めた原爆医療法について、「(原爆被爆という)特種の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面をも有するものであり、その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にあることは、これを否定することができない」との判断を示し、孫さんは勝訴し、被爆者健康手帳を手にすることができたのでした。
その頃、日本被団協に結集する被爆者は、核兵器の廃絶、国家補償の被爆者援護法制定を求めて、国の内外で積極的なとりくみを展開していました。政府は、孫さんへの最高裁判所判決は、被爆者の運動に油を注ぐものと判断、立ち上げたのが、「原爆被爆者対策基本問題懇談会」でした。
この懇談会は、厚生大臣の期待に応えて、その答申では、原爆は「人間の想像を絶した地獄を現出した」といいながら、戦争の被害はすべての国民が受忍(がまん)すべきものとして、被爆者にも《がまん》を強いたのでした。



 

長崎被災協9月の動き

5日 集団訴訟支援署名を裁判所へ提出(谷口、山田)
提出した署名総数17,434名分
7日 本年度第3回(拡大)理事会
8日 新聞『被団協』発送作業
9日 長崎弁護団会議(山田・柿田)
12日 被団協代表理事会(谷口、山田)→13日まで
17日 集団訴訟を支援する会が街頭宣伝(長崎駅前高架広場)
20日 長崎地裁判決→判決後市町村会館へ移動して報告集会
23日 集団訴訟を支援する会拡大運営委員会
24日 全国弁護団、原告団、支援する会の全国会議(森内、柿田)
26日 ララコープ
NPT訪米報告集会(谷口、池田、小峰))