2010年11月9日発行の新聞『被団協』325号の内容をご紹介します。

◇全国的なうねりをつくろう◇
 国家補償の「援護法」へ 
被団協全国代表者会議ひらく

日本被団協は、10月20日・21日の2日間、束京で全国都道府県代表者会話を開き、「援護に関する法律」から「国家補償の被爆者援護法」へのとりくみなど、これからの運動についての意思統一を図りました。
東京都港区芝の東京グランドホテルでひらかれた今回の全国都道府県代表者会議の討議の中心は、いまの「援護に関する法律」から国家補償の「被爆者援護法」への(法改正運動)でした。

20日の午後1時30分からはじまったこの会議のl日日のほとんどは、改正する法の内容についての報告とそれに対する質疑と討論でした。まず事務局から各地でのこの問題についての論議の状況が報告されましたが、各都道府県段階ではかなり検討がすすめられています。来年の定期総会では新しい法の枠組みを決めることになりました。
21日には、終結へ向かう原爆症認定集団訴訟の現状が報告され、また、「非核三原則の法制化」運動をさらに前進させることを確落しました。
この代表者会議に長崎からは、理事の池田さん、同田中さん、山田事務局長、柿田事務局次長が参加しました。
21日の午後は、参諌院で院内集会がありました。



 アメリカがネバダで核実験
長崎被災協も直ちに抗議  

10月14日の朝刊は、一斉に、9月15日にアメリカがネバダで臨界前核実験を行っていたことが分かったと報じました。
『核のない世界』を唱えるオバマ政権下ではじめての核実験でした。実験の目的は、持っている核兵器の有効性と保管上の安全性を調べるため、と説明しているそうです。「核兵器の有効性」とは、いざというときに核兵器をすぐに使えるようにしておく、ということです。
長崎被災協は、10月15日に、「65年前の原爆によって傷つき、待体の知れない病気に苦しみ、家族を失い、戦後を必死になって生き抜いてきた私たち被爆者は、心の底からの怒りをもって、今回の貴国の核実験に抗議の意思を表明します」という抗議文をオバマ大統額宛に送りました。
また、17日の日曜日には、(核実験に抗議する長崎市民の会)の抗議の座り込みに参加しました。

 


 

 『法』を改正し、原爆症認定制度の抜本的改善を! 
県保険医協会が大臣へ要請

  

長崎県下の保険医の先生方で組織されている長崎県保険医協会は、10月20日。細川律夫厚生大臣宛に「被爆者援護法を改正し、原爆症認定制度を抜本的に見直す要請書」を送り、原爆症認定申請に対する却下の割合が急激に増大してきていることを指摘し、これは審査会が定めた「被爆者援護法の精神に則り、より被爆者救済の立場に立ち、原因確率を改め、被爆の実態に一層即したものとするため」とした同指針の趣旨に反するもの、ときびしく追求しています。
また、厚生労働省がいまなお残留放射線、内部被爆の影響を否定していることについても、その誤りを指摘、「原爆の惨禍を二度と繰り返さないためにも、被爆者援護法を改正し、現行の原爆症認定制度を抜本的に見直すことにより、被爆の影響を否定しえない疾患、健康被害を有する全ての被爆者を速やかに原爆症と認定することを要請するものである」と締めくくっています。

※保険医協会は、国民医療の充実と向上を図り、保険医の経営と権利を守るために設立された団体です。

 



 山口仙二氏に長崎新聞文化賞 
授賞式は11月25日

今年度の長崎新聞文化賞に長崎被災協・日本被団協の顧問の山口仙二さんら3名が決まりました。平和福祉部門で受賞された山口さんは、よく知られているように、昭和31年に長崎青年乙女の会の結成にとりくみ初代会長となり、さらに同年6月の長崎被災協結成に際しては12名の準備委員の一人として尽力、昭和59年5月には長崎被災協会長に就任、同年日本被団協の代表委員の一人に選ばれ、被爆地長崎だけでなく全国の被爆者運動のリーダーとして活躍されました。この間、アメリカ、ヨーロッパでも核兵器の廃絶を訴え、国際的にも大きな足跡を残されたのが、今回の受賞に結びつきました。授賞式は11月25日となっています。
山口さんのほかには、同じく平和福祉部門で白浜敏氏、文化教育部門で池田高良氏が選ばれました。

 


 

◇原爆症認定審査◇
 厚生労働省に改善のあと見えず 

これまで私たちは、厚生労働省の原爆症認定審査のあり方が
①1日の審査件数が多すぎること、
②審査件数に占める「却下」が多すぎること、
を指摘してきました。
厚生労働省も、5月24日には、「部会」を2つ増やし、臨時委員も2名増員という計画を発表しました。
では、審査状況はどうなったのでしょうか。
8月、9月、10月に行われた被爆者医療分科会(新設された第5部会、第6部会)での審査をまとめたのが下の表です。

 被爆者医療分科会(第5、第6審査部会)での審査結果

審査月日 審査件数 認定数 却下数 保留数
8月23日 448(100) 12(2.6) 435(97.1) 1(0.2)
9月13日 567(100) 19(3.0) 541(95.4) 7(1.2)
10月25日 744(100) 35(4.7) 702(94.4) 7(0.9)
合計 1759(100) 66(3.8) 1678(95.4) 18(0.9)

 ()の数字は当日の構成比%   月

この表で明らかなことは、相変わらず、①1日の審査件数が多すぎること、②審査した中での却下の割合が高いこと、です。 ① についてみると、8月・9月・10月と次第に多くなってきています。これはどれも1日の審査数です。1日の審査時間を午前10時から午後5時まで、途中昼食時間を1時間とすると、正味6時間の審査なので、10月の場合でみると、審査数744件を2つの部会に分けて審査したとしても、l件当たりの所要時間は58秒に過ぎません。②の「却下」の割合は、平均95%を超えています(最高97.1%、最低94.4%)原爆投下から65年、もう原爆の影響なんかほとんどないといいたいのでしょうか。
 


 いまから30年前に発表された「基本懇・意見」とは・・・② 

  厚生大臣の私的諮問機関「被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇)は、東京大学総長経験者2人、東北学院大学教授、元最高裁判事、NHK解説委員、元フランス大使、原子力安全委員会委員それぞれ各1人の計7名で構成されていました。
この中の元最高裁判事は、かつて「戦争の被害は国民はがまんするのが当然」という判決 (1968.11.27)を下した時の最高裁判事の1人です。
彼らが1年半の審議ののちにまとめた結論は、《およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命、身体、財産について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による「一般の犠牲」として、全ての国民がひとしく受忍すべきところであって、法律論として、開戦、講和というような、いわゆる政治有為について、国の不法行為責任など法律上の責任を追及しその法律的救済を求める途は開かれていないというほかはない。》というものでした。
ところが、これでは「原爆医療法には国家補償的配慮がある」といった最高裁の孫振斗判決を否定することになるので、「被爆者対策は原爆被害という特殊な戦争被害に対する救済制度」として位置づけ、一般戦者との均衡論を持ち出したのです。
さらに、原爆犠牲といっても人によって差があるのだから、その人の被害に応じて「必要の原則」を重視した被爆者対策が必要、と言ったのです。

 



 

長崎被災協10月の動き

2日 国家補償の被爆者援護法についての第2回学習集会。
山田事務局長が、日本被団協の改正案について報告。
4日 放射線影響研究所理事会(谷口)
7日 新聞『被団協』発送作業
9日 東京で原爆症認定集団訴訟全国弁護団、支援する会合同会議(柿田)
14日 改正被爆者援護法検討委員会(山田)
15日 アメリカが臨界前核実験を 行ったというニュース。
オバマ大統領へ抗議文送付
17日 アメリカの核実験に抗議して、「市民の会」が平和公園記念像前で座り込み。
長崎被災協も参加。
19日 日本被団協代表理事会(山田)
20日 日本被団協全国都道府県代表者会話(山田、田中、池田、柿田)→21日午前中まで
21日 午後 参議院会館・会議室で与野党国会議員を囲んで要請集会。(山田、田中、池田、柿田)
24日 東南アジアからの留学生の研修集会(山田)
29日 医療と福祉を考える懇談会理事会(柿田)
30日 市民平和大行進