2012年3月9日発行の新聞『被団協』341号の内容をご紹介します。

◇原爆症認定制度をめぐって◇
 放射線起因性偏重から原爆による全傷害の補償へ
被団協、「第9回検討会」へ提案
=病気・障害がある被爆者には加算=
被団協の原爆症認定制度の改善案

日本被団協は、2月24日に開催された第9回「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」で、原爆の人体への障害作用を放射線害に限定し、しかもその放射線の影響をきわめて狭く小さく評価するなど、多くの問題をかかえる現行の原爆症認定制度を廃止しそれに代わる日本被団協としての代替案を提案しました。
この日本被団協が提案した代替案のあらましは、
① これまで殆どの人が対象となっている健康管理手当の制度にかえて、すべての被爆者を対象とする「被爆者手当」を創設する。手当の額は、健康管理手当の額を目安。
②疾病・障害を持つ被爆者については、医療費は国の負担とするとともに、手当については重篤度に応じて3段階に区分、もっとも重篤な被爆者については現行の原爆症手当相当額とする。
というものです。
いまの「原爆症認定制度」の欠陥の第1は、原爆の傷害作用として誰でも知っている「熱線」「爆風」「放射線」の中の「熱線」「爆風」による被害を無視していることです。
そのため、熱線による火傷も爆風による骨折・打撲も対象からはずされています。
法律の本文では 「原爆の傷害作用」といっておきながら、その《ただし書き》で「放射能に起因するものでないときは…」とし、その放射能という言葉を放射線に読み替えて、「放射線に起因するケガや病気」に限定してしまっているのです。
欠陥の第2は、放射線についても、原爆から放出された第1次放射線に限定していることです。
こうして、原爆の傷害作用は、小さく小さく評価されているので、原爆症認定を申請しても、なかなか認定)されないのです。このような状況を打ち被るのが、日本被団協の新構想なのです。

原爆症認定制度の在り方に関する検討会

 2010年8月6日、当時の総理が広島を訪れた折、原爆症認定の制度についてその見直しに言及したのを契機に発足した厚労省の検討会。森亘東大名誉教授、長瀧重信放影研影研元理事長ら12名に日本被団協坪井代表委員、同田中事務局長も加わり、14名で構成されています。第1回会合は同年12月9日に開催されました。


諌早で二世の会が発足 4月には役員体制確立へ

 2月19日(日)午後2時から3時半まで、諌早市長田町公民館に被爆二世7名、諌早被災協・前道会長ほか役員11名、二世の妻1名、長崎被災協坂本副会長、柿田事務局次長の22名が集まり、「二世の会」 が開かれました。
諫早での会は7名の二世(男性2名・女性5名)の自己紹介から始まりました。
甲状腺疾患、腎臓病、脳梗塞などの病気を抱えている人もいて、病気で治療費がかかるという参加者も少なくありませんでした。また、いまは健康だが、これからが心配だという声も聞かれました。そして、数の力は大事だから、ぜひ、みんなで二世としての声を挙げたいという意見が出されました。
このあと、長崎被災協、諌早被災協の役員の皆さん方一人ひとりに被爆の体験を語ってもらいましたが、被爆者の原爆体験の聞き取りは大切だという声も上がりました。
そしてこれからも二世の集まりを開こう、二世の会を作ろうとことになり、この日、2月19日、「二世の会」を発足させることになりました。 次回は4月に集まりを開き、役員体制を整備し、会則をつくり、今後の活動などを話し合うことを決めました。

諌早被災協が恒例の役員研修会を小浜で開催

 諌早被災協では、毎年年度末に、小浜で役員の研修会を開いてきましたが、ことしも、2月14日午後3時から、温泉旅館「わたや」で開催しました。この日のテーマは、日本被団協が提起している「国家補償の被爆者援護法の内容と運動」で山田事務局長が、約1時間に渡って報告、そのあと、参加者から感想などを出し合いました。夜は、懇親会で楽しみました。


◇これが原爆症認定審査◇
1件あたりの審査時間は58秒=認定率はわずかに3%=
審査の96%は、あえなく却下 口頭意見陳述で被爆者が指摘

 2月訪日の午後、厚生労働省の係官2名が長崎へ来て、今年2回目の原爆症認定審査での却下処分に対する異議申し立ての口頭陳述が行われました。

Aさんは、白内障で原爆症の認定を申請したのでしたが、認められなかったのです。まずAさんは、船大工町での被爆の状況から話しはじめました。さらに原爆投下の翌日、お父さんと大学病院で看護婦長をしていた叔母の安否を尋ね、岩川町へ入った時の様子を話しました。大学病院の中は足を踏み入れることもできないような有様で、惨状は言葉では言い尽くせないものだったといいます。結局叔母は見つからず、その日は引返したのでした。翌日以降も、Aさんとお父さんは、岩川町あたりに叔母を探して歩き回ったのです。10代の後半、目に異常が目に異常を感じるようになったのは、10代の後半頃からだそうですが,眼科に診てもらったのは視力の低下が仕事に支障をきたすようになった50代に入ってからのことだったといいます。
審査会での審査の実態・認定・却下・保留を決める原爆症認定審査会は31人の委員で構成されており、Aさんの審査をしたと思われる平成21年12月21日の審査は、午前10時に始まり、午後5時まで。そのうち正午から1時間を昼食休憩とすると、6時間(360分)が審査のための時間となります。そしてこの日は、下の表のように合計376件の診査を行っているのです。
第103回 被爆者医療分科会での審査の実態
開催日時 2009年12月21日 10時~17時
委員の出欠状況 出席25名 欠席6名
審査の結果

審査数 認定 却下 保留
原爆症 365 12 351 2
異議申立て 15 1 14 0
合計 380 13 365 2

1件当たりの審査時間は、なんと0.96分(58秒弱)なのです。

審査の書類は少なくない

原爆症認定を求めて提出される書類は、最低、認定申請書、医師の意見書・健康診断個人票があり、必要があればさらにいくつかの検査の結果も添付することになります。認定申請書にしても、被爆の状況、疾病の発生状況などを詳しく書こうとすれば別紙を添付することになるのです。これだけの分量の書類をどうして58秒弱で判断できるのでしょうか。

申請の96%は却下

そしてこの神業ともいえる処理の結果、審査した365件のうち351件が振るい落とされ(却下率96%)、2件が保留となり、認定されたのは僅かに12件なのです(認定率3%)。

まさに、認定のための審査ではなく、却下のための審査としかいえません。

残念ながら、これが原爆症認定審査の実態なのです。

さよなら原発 3.11ナガサキ集会

東日本大震災と福島原発事故から1年目の3月11日、長崎でも、集会とパレードが催されます。集会は、賑橋・親和銀行裏の機関車のある公園「中央公園」で、午後l時から始まります。また、午後2時半からはパレードです。中央公園を出て浜の町を通り湊公園まで。「原発はもういらん」の声を大きくしましょう。

4月2日は福田須磨子忌

 4月2日は、詩人で反核・平和のとりくみに文字通り一身を捧げた福田須磨子さんが亡くなられて、38年目の命日です。この日は毎年、午後5時から爆心地公園の東南端の須磨子碑の前で追悼と核兵器廃絶への思いを新たにする「つどい」を開いています。
ことしも、みんなで誘い合い、集まりましょう。

長崎被災協55年の歩み
(4)2010年9月~同年12月

9月 4日
国家補償の被爆者援護法をめざす学習集会
9月 7日
佐賀(嬉野)で九州ブロック代表者会議

9月14日
日本被団協代表理事会

9月25日
集団訴訟を支援する会臨時総会
9月26日
核実験に抗議する県内市民団体交流会

10月 2日
国家補償の援護法をめぐって第2回学習集会
10月14日
東京で改正被爆者援護法検討委員会
10月15日
アメリカが臨界前核実験を行ったというニュースに、オバマ大統領へ抗議文送付
10月17日
アメリカの核実験に抗議し、「市民の会」として平和公園で坐り込み
10月19日
日本被団協代表理事会
10月20日
日本被団協全国都道府県代表者会議(長崎から4名参加)⇒21日まで

10月30日
長崎市市民平和大行進


11月 9日
佐賀県嬉野で九州ブロック相談事業講習会
11月20日
日本被団協主催で「法」改正をめぐる懇談会
11月25日
山口仙二氏に長崎新聞文化賞
11月27日
「基本懇」意見をめぐっての学習集会

12月12日
日本被団協が基本懇意見をめぐってシンポ
12月21日
恒例の歳末「恵の丘」訪問



長崎被災協 2月の動き

4日 平和サミット・シンポ
9日 新聞『被団協』発送作業
11日 映画会での署名活動《諌早》
12日 映画会での署名活動《長崎》
14日 諌早被災協役員研修会 (山田)
15日 アピール署名1周年のつどい (山田)
19日 諌早で2世のつどい (坂本・柿田)
21日 平和サミットの件で被爆者5団体代表が市長へ要請 (坂本)
26日 映画会での署名活動《長崎》
28日 原爆症認定審査・異議申し立て意見陳述 (山田)