2012年4月9日発行の新聞『被団協』342号の内容をご紹介します。

◇被災協の理事会・評議員会開催◇
新年度の連動方針などを決定
「被曝がれき」問題で声明を採択

長崎被災協(長崎原爆被災者協議会)は、3月30日に、本年度第6回の理事会と通算第60回の評議員会を開催、新年度の方針と予算等を決め、あわせて新しい法人への移行を確認、さらに被曝がれき問題についての声明を採択しました。
当日は、①2012年度事業計画、②2012年度予算案のほか、③一般財団法人への移行を控えての準備の内容、④一般財団法人になったときの定款案、について事務局から原案が提示され、異議なく承認されました。なお定款については、二世、三世もはっきり位置づけられることになりました。 ※「定款」とは、団体の規則・規約に相当するもので、会の名称や事務所の所在地、会の目的、会の仕事の内容役員の人数や選出方法などを定めたもので、これまでは「寄付行為」と呼ばれていました。このあと、国家補償の被爆者援護法の実現をめざすとりくみについては、事務局から(ア)署名運動の推進、(イ)県議会をはじめ市議会、町議会への賛同決議の要請、(ウ)組織内だけではなく一般の人たちへも呼びかけた学習集会の開催、などが提案され、承認されました。
ついで、政府が東北の被災地の「がれき」の処理を都道府県へ要請したことをめぐって、事務局から「東電と政府の姿勢は容認できない」という趣旨の《声明》の提案があり、かなりの時間をかけて審議した結果、声明文に福島の人たちとの連帯の思いを示す言葉を追加することで承認されました。
こうしてこの日の理事会・評議員会は午後4時20分終了しました。
この声明文は、4月2日に政府並びに関係方面へ送付されました。

平和サミットをぜひ長崎で
被爆者5団体が県・市へ要請

「2016年に日本での開催が予定されている国連の平和サミットをぜひ被爆地ナガサキで」
長崎の被爆者5団体は、2月21日には長崎市へ、3月13日には長崎県へ要請しました。この要請に、長崎被災協からは、長崎市へは坂本副会長が、県への要請には山田事務局長が参加しました。この平和サミットは、G8と呼ばれる主要8カ国(アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ロシア、ドイツ、イタリア、日本)の代表が参加し、1975年にフランスで第1回が開かれたのを皮切りに、輪番で会場を提供、当面する課題について論議するもので、日本はこれまで下の表のように、5回会場国を担当しましたが、会場に充てられたのは東京3回、北海道1回、沖縄・九州(沖縄、福岡、宮崎)1回でした。つぎに日本が会場国となるのは2016年で、2015年にNPT再検討会議が開かれた翌年であり、ぜひ被爆地長崎で、と要請したわけです。

 

日本で開かれたサミット。

開催場所
1979年 6月 東京
1986年 5月 東京
1993年 7月 東京
2000年 7月 沖縄、福岡、宮崎
2008年 7月 北海道

消えた!ヒロシマ・ナガサキの灯 上野公園の東照宮

東京・上野公国の中にある東照宮は、徳川家康・吉宗・慶喜を祭る由緒ある社として有名ですが、同時に広島、長崎で採取した火を境内に絶やさず灯し続け、ヒロシマ、ナガサキを忘れるなと訴え続けてきた社としても慕われてきました。

ところが、この火が消えていたのです。
そしてそばの壁には、つぎのような貼紙がありました。
長崎での灯の採取には、ささやかですが長崎被災協もお手伝いしました。
その灯が……。
(下が「貼紙」の内容。)
広島・長崎の火モニュメントは先代宮司の意向により建立されたものです。
現在当宮との関わりは一切ございません。
お問い合わせ下記までお願いいたします。
連絡先 電話 03 XXXX XXXX
FAX 03 XXXX XXXX


5月、いよいよ『会』発足へ
被爆二世のつどいひらく

 長崎市内を対象とした2回目の「被爆2世のつどい」が、3月25日午後2時から長崎被災協2階会議室でひらかれ、9名の二世と1名の三世、それに被災協の会員が9名の19名の集会となりました。
なお、この中の1人は、この日の集会に駆け付けて頂いた福岡の二世の会のメンバーの方でした。
まず自己紹介から始まりましたが、やはり健康上の不安が多くの方から述べられました。当月の参加者の中にも、重い心臓病で、子供(つまり被爆三世)に付き添われて参加された方もありました。当日親子で参加された方は、4組ありました。
昨年1月末に実施した二世を対象としたアンケートの結果について、柿田事務局次長がその概略を報告しましたが、そのなかの「被爆体験を親から聞いた」という答えが68%だったことも、当日の参加者の話題となりました。
また、親の体調が良くないときに、「そろそろ二世が引き継ぐべき時が来た」と思ったという発言もありました。
健康面では、東京や神奈川などの二世手帳や医療補助のことも関心を集めました。また、二世健診の受診率は、世の人たちの健康への関心度を示すことになるので、都合をつけて受診すべきだという意見もあれば、検診の内容が二世の期待にこたえるものとなっていない、という声も聞かれました。

次回は5月27日と決め、いよいよ二世の会を発足させようということになりました。


長崎被災協2012年度の課題

 (1)原子力発電所の新設はもとより、現在ある原発の再稼動にも反対し原発から自然エネルギーヘとエネルギー政策の転換を要求します。
(2)憲法施行65周年にふさわしく、憲法を守り、戦争も核兵器もない世界をめざします。
(3)原爆医療法ができて55年。現行法の問題点を明らかにし、国家補償の被爆者援護法の制定をめざします。
(4)原爆被害の実態を、国の内外で明らかにします。福島原発被害についても、福島県民と連帯して取組みます。
(5)被爆二世・三世の組織化をめざし、二世・三世の方々との交流を深めます。
(6)支部のない地域での組織化をはかります。
(7)世界の、県内外の様々な動きについて、学びあう機会を作ります。
(8)新しい法人組織への移行を実現します。
(9)焼夷弾などの被害者の会との連携を強めます。


被曝がれきの処理について」
被災協理事会・評義貞会「声明」の概要

 政府は、東北の「被曝がれき」の処理について、全国の都道府県へ協力を要請したということですが、本来、「被曝がれき」の処理は、事故を起こした東京電力と、原子力発電を推進してきた政府が責任をもってなすべき性格のものです。総量2247万トンといわれる東北の「被曝がれき」のうち1年間で処理できたのは、僅かに6・7%にすぎないといわれていますがどうしてこんなに遅れているのが東京電力と政府は、その原因を明らかにすべきです。
福島第一原発での事故が明らかになったとき、東京電力や政府の関係者がまず口にしたのは、「直ちに人体に影響を与えるものではない」という言葉でした。この言葉がきわめて危険なことを知っている私たち被爆者は、同じような危険な状態に福島の人達を曝そうというのかと、憤りを覚えたのでした。原爆の被害を小さく小さく評価してきた政府は、いま同じことを福島の皆さんに押し付けようとしているのです。
私たちは、東京電力と政府が危険性を取り除く努力もしないまま、「被曝がれき」を全国に持ち出そうとしていることに、大きな不安と憤りを禁じえません。

長崎被災協55年の歩み
(4)2011年1月~同年5月

9月 4日
国家補償の被爆者援護法をめざす学習集会①

9月 26日
核実験に抗議する長崎県下の市民団体交流会

10月 2日
国家補償の被爆者援護法をめざす学習集会②

10月14日
東京で被爆者援護法改正検討委員会
10月15日
アメリカが核実験 オバマ大統領へ抗議文送付

10月20
日本被団協全国都道府県代表者会議
10月21日
参議院会館で与野党国会議員へ国家補償の被爆者援護法制定について要請
11月 1日
被爆者がもとめる『被爆者援護法』について被爆体験者集会で山田事務局長が報告
11月 9日
佐賀県嬉野市で九州ブロック相談事業講習会
11月25日
顧問山口仙二氏が長崎新聞社文化賞を受賞
11月27日
「基本懇意見」をめぐっての学習集会を開催

12月4日
佐世保市での日本平和大会で谷口会長が挨拶

12月8日
爆心地公園の不戦の碑前で恒例の不戦の集い

1月13日
日本被団協の法改正検討委員会に事務局長が出席
2月 5日
被爆2世の会全国交流集会(柿田事務局次長)
3月23日
新法人制度への移行について県と打ち合わせ
4月 1日
長崎市が谷口稜嘩会長を市政功労者として表彰
4月14日
被爆者5団体代表が上京し、政府関係首脳へ迅速な被災者の救援とエネルギー政策の転換を要請
5月23日
被災協結成55周年集会企画委員会ひらく
5月25日
アメリカの核実験に抗議文を送付。被爆者5団体としても抗議文を送付した
6月25日
「長崎被災協結成55周年記念のつどいを長崎市茂里町の「リアン」で開催

 



長崎被災協 3月の動き

2日 福岡市で九州ブロック代表者会議 (山田 柿田)
9日 新聞『被団協』発送作業
11日 さよなら原発・長崎集会 長崎中央公園に1,000名結参加(長崎被災協10名) 集会後湊公園までパレード
13日 平和サミット誘致について被爆者5団体が県へ要請 (山田)
14日 日本被団協代表理事会 (山田)→15日まで
16日 被爆体験を語り継ぐ会
25日 被爆二世のつどい
30日 第6回理事会、第60回 評議員会