2012年7月9日発行の新聞『被団協』345号の内容をご紹介します。

◇『被爆体験者』訴訟◇
長崎地裁が不当な判決 原告らはただちに控訴

 長崎地裁(井田 宏裁判長)は6月25日、国が定めた地域外にいて被爆したため、被爆者と認められていない359人が、いまの制度の不合理を指摘し、被爆者と認めるよう求めた裁判で、原告(訴えた人たち)の主張を全面的に退け、訴えた人たちを被爆者と認めることも、この人たちが被爆したときにいた地域を被爆地域と指定することも、一般に 「原爆手帳」とよばれている「被爆者健康手帳」を交付することも拒否する判決を下しました。さらに判決は、原告が主張する放射線被曝による急性症状(脱毛や下痢など)についても、脱毛や下痢は多種多様な原因によっても発症するとして、また記憶違いのおそれもあるとして、原爆の放射線の影響とは認めませんでした。
国の主張丸呑みのこの不当な判決に憤りも新たにした原告団は、7月2日、福岡高裁へ控訴しました。

許せない不当判決
原告らが抗議声明

長崎地裁の不当な判決に対し、被爆体験者の組織・全国被爆体験者協議会と被爆体験者訴訟を支援する会が、判決当日発表した「声明」の全文は、下記のとおり
本日、長崎地方裁判所は被爆体験者訴訟において、原告の請求を棄却する不当な判決を下した。原爆が投下されて67年目を迎え、被曝者は高齢化し、放射線障害に苦しんでいるなか、被爆者なのに被爆者と認められない「被爆体験者」の不合理・不条理を乱す判決が下されるものと確信していた。
それにも関わらず、判決では私達の主張が認められず、不当な判決が下された。わたしたちは、この67年間、原爆放射線の影響で様々な健康被害を被ってきた。それにもかかわらず、被爆者援護法に基づく被爆者として認めず、苦しみを継続させるこのような不条理を許すことはできない。
この4年7ケ月のたたかいのなかで26人の原告の死に直面した。高齢化し健康被害に苦しむわたしたちに残された時間はすくない。しかし、わたしたちは、控訴し、正義が実現するまでたたかいを継続していくことを宣言する。
来るべき控訴審で、さらに原爆放射線被害の実態を明らかにして、必ずや勝利を勝ち取りたい。
改めて、控訴審をたたかうぅことを誓って、不当判決を受けての声明とする。

被爆者5団体も「声明」を発表
長崎の被爆者5団体(長崎被災協、手帳友の会、手帳友愛会、原爆遺族会、平和運動センター被爆連)も長崎地裁での不当な判決に対し、抗議の声明を発表、7月2日記者会見を行いました。
「声明」では、「血も涙もない判決」と指摘、「私たち被爆者5団体は、被爆地長崎の裁判所でこのような判決が出ることは極めて残念で、怒りを禁じえない」といっています。

長崎被災協は、判決骨子と要旨を配布
長崎被災協では、この判決を1980年の「基本懇 原爆被爆者対策基本問題懇談会)答申」 の枠を一歩も超えていない不当判決と位置づけ、判決の翌日、裁判所が作成した判決骨子と判決要旨のコピーを全理事に送りました。


《原爆症》とは、原爆の放射線のために被爆者が被ったケガや病気を指します。被曝して87年目が来るというのに、原爆の放射線は、いまなお、被曝者を苦しめています。それなのに政府は、被爆者のケガや病気に、きちんと向き合おうとしないのです。

◇原爆症…政府は、この苦しみにどう向き合っているのか◇

裁判を闘って……
業を煮やした被爆者は、裁判にとりくみました。提訴した被爆者の多くは裁判で勝利し、困った政府は、「話し合い」での解決に乗り出しました。そしてできたのが2008年3月の 「新しい審査の方針」でした。そしてその2ケ月前(2008年1月)に発表されたのが「新しい審査のイメージ」だったのです。

新しい審査のイメージ
古い審査のあり方をのり越える、という意気込み新たに登場した「新しい審査のイメージ」は、その冒頭にこう書かれていました 。
今後の原爆症認定の審査に当たっては、
①被爆から長い年月が経過し被爆者が高齢化していること
②放射線の影響が個人毎に異なること
 などに鑑み、これまでの原因確立による審査を全面的に改め、迅速かつ積極的に認定を行うこととする。

では、いまはどうか
下の表を見てください。原爆症認定申請の審査では、この3カ月に認められたのは、申請者の半分をちょっと超えただけ。
ここでダメだった人で納得できない人は異議申し立てができますが、異議を認められたのは僅かに2人だけなのです。異議を申し立てた人の1%にも達しません。

   ことし4月・5月・6月の原爆認定審査状況

審査開始日 審査数 認定 却下 保留 合計
4月9日 申請審議 101 90 0 11 101
異議審査 6 0 0 6 6
4月23日 申請審議 45 26 0 19 45
4月23日
(全大会)
申請審議 159 70 83 6 159
異議審査 9 0 9 0 9
5月21日 申請審議 107 104 0 3 107
5月28日 申請審議 16 8 0 8 16
異議審査 23 1 0 8 23
5月28日
(全大会)
申請審議 127 31 89 7 127
異議審査 36 1 29 6 36
6月4日 申請審議 18 0 0 18 18
異議審査 26 0 0 26 26
6月11日 申請審議 46 44 0 2 46
異議審査 1 0 0 1 1
6月25日
(全大会)
申請審議 76 6 70 0 76
異議審査 120 0 109 11 120
合計 申請審議 695 359 342 74 695
異議審査 221 2 147 72 221
①申請審査とは原爆症認定審査を、異議審査とは異議申し立てについての審査を指す。
②小委員会での審査では「却下」は出さずに「保留」としておき、月1回開催される全体会で、「却下」が決まることになっている。
③原爆症認定審査では、審査した695件中359件51.6%が認定されているが、異議申し立てについては、認められたのは221件中僅かに2件0.9%に過ぎない。
異議申し立て制度は機能しているといえるのだろうか

 

審査時間は1人なんと2~3分(?)
さらに下の表を見てください。1人の審査にどのくらいの時間を費やしているかを計算しました。中には7分前後もありますが、多くは1分台から長くて3分台。
これできちんと審査できるのでしょうか。

一件当たりの審査所要時間

月 日 開催部会 審査数 審査
開始
審査
終了
審査
時間
1件当たり
審査時間
4月9日 第1部会 107 10時 17時 ※6時間 360÷107=
3.36分
4月23日 第3部会 45 9時 11時 2時間 2.67分
分科会 168 11時 17時 ※5時間 1.78分
5月21日 第2部会 107 10時 17時 ※6時間 3.36分
5月28日 第3部会 39 9時 11時 2時間 3.08分
分科会 163 11時 17時 ※5時間 1.84分
6月4日 第4部会 44 11時 17時 ※5時間 6.82分
6月11日 第1部会 47 10時 17時 ※6時間 7.66分
6月25日 分科会 196 11時 17時 ※5時間 1.53分


① ※印については、昼食休憩時間1時間を差し引いた。
4月9日の場合7時間-1時間=6時間
② 終了時刻は明示されていないので、いずれも午後5時とみなしました。
厚生労働省に問い合わせたところ、「概ね、そういうところでしょう」とのことでした。
したがって、6月4日。同11日などについては、4月23日や5月28日の例をみると、午前中で審査を終了したことも考えられますが、資料がないので、一応、午後5時まで審査にかかったとして計算しました。
③1部会・第2部会は悪性腫瘍を、第3部会は白血病、副甲状腺亢進症などを、第4部会は白内障、心筋梗塞などを受け持っています。

なぜ、こんな審査がまかり通るのでしょう
ーつは、国が始めた戦争で国民したに大変な苦しみを与えたという反省の気持ちが日本政府に見られないから。そしてもう一つは、あの2発の原爆で、今も大勢の人たちが苦しんでいるとなると嫌がる国がある、と日本政府が思っているから。あなたは、どう思いますか? (山田拓民)


長崎被災協 6月の動き

4日 日本被団協・代表理事会 (谷口・山田)
5日 日本被団協・総会 (谷口、山田、広瀬、池田、田中、柿田)→6日まで
7日 被団協総会参加者で中央行動
12日 新聞『被団協』発送作業
13日 福岡市で九州ブロック 各県代表者会議 (谷口、山田、柿田)
15日 報道関係者学習集会に講師として出席 (山田)
17日 長崎の証言の会座談会 (山田)
19日 県生協連総会 (柿田)
21日 医療と福祉を守る懇談会 (柿田)
23日 県九条の会総会 (山田)
全国原爆症認定集団訴訟終結集会 (柿田)
25日 「被爆体験者」訴訟で原告全員に敗訴の判決
28日 長崎原爆被爆者対策協議会 (谷口)
広島へ向けての平和大行進出発集会で激励の挨拶 (山田)
29日 秋に市民平和大行進を主催する世界平和祈念実行委員会に出席 (谷口)