2012年9月9日発行の新聞『被団協』347号の内容をご紹介します。

◇沖縄でも国を提訴◇
『戦争の被害を国はつぐなえ』
いまこそ「受忍論」打破へ!

 大日本帝国政府がポツダム宣言を受諾し、あの戦争が終結してから67年目の8月15日、壮絶な地上戦が展開された沖縄戦の被害者とその遺族ら40人が、国に対して謝罪と損害賠償を求めて、那覇地裁へ訴状を提出しました。
すでにことし5月に最高裁へ移っている東京大空襲被害者訴訟、さらに昨年12月から高裁へ移っている大阪大空襲被害者訴訟についで、3番目の戦争の被害に対する謝罪と国家賠償を求める集団訴訟となります。

国は住民に謝罪を!
沖縄の訴訟の場合は、旧日本軍の戦闘行為や戦時行為が住民に多数の死傷者を出したことを「国には国民を保護する義務があるにもかかわらず、それに違反し、国民に多大の損害を与えた」として、謝罪文を渡すことと、原告(訴えた人)1人当たり1千1百万円、総額4億4000万円を支払うよう被告である国に求めています。

戦後の放置責任も追求
また沖縄の訴訟の内容は、戦争中、住民の財産は、もとより、生命・身体までも危険に晒した国の責任の追求だけでなく、戦後にあっても、住民の被害救済を放置してきた国の責任についても追求するものとなっています。

沖縄戦被害者に謝罪を
那覇地裁遺族ら国を提訴
沖縄の訴訟の弁護団では、さらに原告を募り、提訴者を増やしてゆくとのことです。

戦争披害受忍論の一掃を
戦後、1956年に私たち被爆者が自分たちの組織を立ち上げた時から、私たち被爆者が掲げてきた「原爆被害への国家補償要求」は、こうして、空襲による被害への補償要求、地上戦での被害への補償要求へと拡大・発展してきました。
「いまこそ、私たちの平和憲法・日本国憲法になじまない《戦争被害受忍論》を一掃する時です」と山田事務局長は話しています。


◇長崎被災協・ことしの課題◇

①原子力発電所の再稼働に反対し、原子力発電から自然エネルギーへと、エネルギー政策の転換を強く要求します。
②日本国憲法施行65周年に当たり、日本国憲法を守り、戦争も核兵器もない世界をめざします。そのための第一歩として、外国の軍事基地の撤去を求め、非核3原則の法制化をめざします。
③現行の「被爆者の援護に関する法律」の問題点を国民の前に明らかにし、国家補償の被爆者援護法の制定をめざします。
④今年も原爆被害の実態を国の内外で明らかにします。福島原発の被害についても、放射線被害隠しを許さず、被害者への完全な補償実現を目指し、福島県民と連帯してとりくみます。
⑤被爆二世の組織化をめざし、二世の方々との交流を深めます。
⑥長崎被災協の支部がない地域での組織化を図ります。
⑦世界の、県内外の、様々な動きについて、その意味を考え、きちんと対応できるよう、学び合う機会をつくります。
⑧新しい法人制度への移行の時期が迫りました。「一般財団法人 長崎原爆被災者協議会」の設立を目指します。
⑨東京大空襲犠牲者の会、佐世保空襲被害者の会などとの連帯を強めます。


今年の九プロ講習会
◇10月14日~15日◇
熊本・南関のホテルで開催

秋は、九州ブロックの被爆者の会の講習会の季節です。昨年は福岡に集まりましたが、ことしは熊本です。長崎からは、ことしも貸切バスで往復しようと、準備に入りました。皆さん方のご参加をお待ちしています。
開催日時:第1日10月14日14:00~
第2日   15日~12:00
開催場所:熊本県南関町ホテル セルキア
当日の集合 長崎被災協裏10月14日午前9時
出 発   午前9時15分 会場到着13時30分
途中停車  9時45分・諌早駅裏ロータリー
10時10分・大村医療センター入口

◇講習会の内容◇
※10月14日午後2時~午後5時

①原爆と原発

②被爆者対策の活用と相談活動

③被爆者運動のこれから

午後6時~午後7時30分懇親会
※10月15日9時~11時20分

①相談活動をめぐって

②被爆者運動と2世運動

なお、終了後大刀洗の平和記念館、キリンビール工場を視察、長崎帰着は午後6時ころの予定
※全日程の参加費¥20,000


被爆から67年
欠陥ばかりの被爆者対策
今度こそ国家補償の実現へ

1954年3月1日の南太平洋ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で第五福竜丸などの日本漁船が死の灰を浴び、9月23日には第五福竜丸の通信士久保山愛書さんが放射線障害のため亡くなったことから、国内では原水爆反対の声が高まり、1955年8月には広島市で原水爆禁止世界大会を成功させました。

被爆者が組織を結成
これに励まされた被爆者は、翌56年には長崎での同大会を成功させようと被爆者の組織づくりに取り組み、被爆地では、同年5月に広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協)を、また6月には長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)を結成、さらにこの年8月、長崎市での第2回原水爆禁止世界大会を成功させた翌日、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)を結成したのでした。

核兵器の廃絶と原爆被害への償いを要求
全国の被爆者団体は、国民的な支援を背景に、核兵器の廃絶と原爆の被害への国の償いを求めて、政府へ迫ったのです。政府は驚きました。それまで政府は、戦争の被害については、国民は我慢するのが当然という考えを国民に押し付けてきたのです。
残虐この上ない原爆の被害に曝された被爆者は、「この被害は国が始めた戦争のせい、国が償うのが当然」「こんなひどい被害を我慢できるか」と立ち上がったのです。

原爆医漂の制定
こうして政府は、被爆者が全国組織である日本被団協を結成して約7か月後という短期間で、一つの法律を作り上げたのです。『原爆医療法』という法律です。
この法律の中身は3つでした。

① 被爆者を特定して、被爆者に「被爆者健康手帳」を渡す。
② 被爆者には国の負担で健康診断を実施する。原爆の放射線によるケガや病気は国が治療する。

これはいまも引き継がれてきています。

 

おかしいぞ、この法律
この法律のどこがおかしいのでしょうか。大きな問題として、3点を指摘できます。
■被爆地域とは、原爆の被害を受けた範囲を指すわけですから爆心地を中心にした円形になるのが当然ですが、この法律では原則として長崎市の範囲を被爆地域と指定したために奇妙な形となり、被爆者の特定に無理を生じている。
■原爆の傷害作用を「放射線」に限定しているため、熱線、爆風などによる被害が無視されている。
■何よりも亡くなった被爆者が放置されている。

なぜ、こんな欠陥が?
原爆の被害を小さく見せることは、政府にとって都合のいいことです。原爆の被害を小さく見せることは、アメリカにとっても重要なことでした。敗戦の年の9月、東京へ進駐してきたアメリカの准将ファーレルはこう声明しています。「広島、長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、原爆放射能のために苦しんでいる者は皆無だ」。そしてその年の10月には、広島・長崎の救護所は閉鎖され、被爆者を収容していた軍関係の病院がアメリカに接収されて、患者は追い出されたのです。

援護に関する法律にも引き継がれたこの欠陥
その後被爆者は、今度こそ「戦争被害への国の償い」としての「被爆者援護法」を!という運動を展開、1994年の暮れにいまの「原子爆弾被爆者の援護に関する法律」を制定させましたが、この法律も「国家補償」の法律とはならず、「被爆地域」の是正もされず、熱線・爆風などの被害は無視されたのでした。

今度こそ、国家補償の援護法へ
こうして、日本被団協も長崎被災協も、今度こそ戦争の被害への国の償いという趣旨を明らかにした、本当の「被爆者援護法」を制定させようと取り組んでいるところです。
(山田拓民)

原爆症認定に現れている被爆者対策の欠陥
こうした被爆者対策の欠陥は、原爆症認定のあり方にも、影を落としています。いま、被爆者医療分科会と呼ばれている原爆症と認めるかどうかの審査会では、150件程度の審査を5時間でやり上げるのは普通ですが、これだと1件当たりの審査時間は2分となります。
この審査時間内に異議申し立ての審査も行われますが、100件の異議申し立て審査で異議を認められて認定されるのは1件あるかないかというのが実情なのです。
もしも厚生労働省に、国が始めたあの戦争のせいで67年たった今でもこんなに被爆者を苦しめているという思い、申し訳ないという思いがあれば、こんなことは絶対に出来ないのではないでしょうか。


長崎被災協 8月の動き

2日 九州コープ平和学習会で報告 (山田)
3日 平和公園のエスカレーター落成式 (谷口)
5日 市立大学教育研究集会で報告 (山田)
7日 立命館大・アメリカン大合同セミナーで報告 (下平・山田)
8日 同上・合同セミナー2日目 (谷口・山田)
平和の灯 (柿田)
9日 原爆犠牲者慰霊平和記念式典(谷口、柿田)
KTNコメンテータ(山田)
政府への要請(谷口、坂本、山田)
15日 不戦のつどい (山田)
18日 九州民医連学習集会で報告(山田)
19日 日本共産党結成90周年記念集会(谷口、山田)
21日 第3回長崎二世の会  (柿田)
24日 北九州市で11月の二世講座の打ち合わせ (柿田)
28日 拡大理事会
30日 諌早二世の会