2013年11月9日発行の新聞『被団協』361号の内容をご紹介します。

第36回九州ブロック相談事業講習会
九州全域から、200名が参集
真剣に学び、楽しく過ごした霧島での2日間

36回目を迎えた日本被団協九州ブロックの『被爆者相談事業講習会』は、鹿児島県被団協の担当で、霧島神宮温泉郷の「ロイヤルホテル」を会場に10月26日から27日にかけて開催され、九州・沖縄の各県から200人の被爆者・二世が参加して有意義な2日間を過ごし、「来年は宮崎市で会いましょう」を合言葉に散会しました。

26日午後2時から始まった第1日は、開会行事のあと午後5時まで3人の講師が報告を行いました。
最初の報告は精神科医師の立場から『ストレス・認知症・死……それから』というテーマで中澤正夫先生が、高齢化に伴って生じる「物忘れ」についても、単に思い出せないというだけのことなら「人は忘れられるから元気でいられるし、さらに記憶できる」と指摘されました。ただ、「物忘れ」という現象は《認知症》の初期症状でもある、とも注意されました。では、病的な「物忘れ」とそうでないものとをどこで区別するのかーー
「自分はもの忘れする」ということを忘れないうちは大丈夫だとのことでした。

検討会」での審議の模様などを報告
2番目に登場された日本被団協の田中事務局長は、まず、最終版を迎えた『原爆症認定制度の在り方検討会』(集団訴訟の結果制定された「基金に関する法律」の附則で定められた検討会。13名の委員で構成されており、日本被団協の坪井代表委員、田中事務局長も委員)の現状について報告するとともに、日本被団協が提案している内容と、田村厚労大臣も、9月の「定期協議」の中で「認定制度をより良い制度とするために必要に応じて被爆者援護法を改正すべきであること、司法判断と行政判断との距離を埋めてゆく必要があることは、概ね共通認識となっている」と発言していることなどを紹介しました。

制度の問題点などを良く知ろう
3番目は、中央相談所の伊藤直子理事。まず、原爆症認定については、現行の対象疾病を原爆の放射線に起因する疾病に限定するのは1957年の「原爆医療法」以来変わっていない誤った規定であり、改正すべき重要な課題と指摘しました。このほか、健康管理手当についても、更新の必要がない疾病に羅患していたら変更を勧めるなどきめ細かな対応が必要だと実例を上げながら紹介、併せて当日配布された『平成25年度・被爆者相談事業講習会教材』の活用を促しました。

来年は、宮崎市での開催決まる
これらの報告で《講議》は終わり、休憩のあと、恒例の懇親会で会場は盛り上がりました。
2日目の27日は午前9時に開会し、前日の「講義」への活発な質疑応答で、参加者はそれぞれに前日の講義の内容を確認、来年の開催県・宮崎の佐々木会長の挨拶を受け、全員で「原爆許すまじ」を斉唱、九州ブロック相談事業講習会は幕を閉じました。
長崎からはこの講習会へ、坂本副会長、山田事務局長、柿田事務局次長のほか10名 計13名(うち4名が二世の会)が参加しました。


またもアメリカが核実験
被爆者5団体は直ちに抗議文送付

アメリカが、今年7月から9月にかけて、核実験を行ったことが、この程明らかとなりました。
このことを知った長崎の被爆者5団(長崎被災協・被爆者手帳友の会・被爆者手帳友愛会・原爆遺族会・平和運動センター被爆連)は、10月31日付でオバマ大統領へ、被爆者としての思いをこめた抗議文を送りました。オバマ大統領になってから、今回の核実験は、実に14回目となります。

日本被団協も抗議文を送付
アメリカの核実験に対し、日本被団協も、10月31日付でオバマ大統領あてに抗議文を送り、「一日も早い核兵器の廃絶を求めて世界に訴え続けてきた私たちは、度重なる核実験を断じて許すことはできない」と抗議しました。


原爆症認定を求め新たな訴訟はじまる

10月21日午後1時30分から長崎地裁で、原爆症認定を求める山本寛さんが厚生労働大臣を訴えた原爆症認定を求める裁判の第1回法廷が開かれました。
この法廷で山本さんは、原爆のために健康を損なった被爆者に対する厚生労働省の不当な対応を指摘し、自分の疾病は原爆症と認定されるべきだと主張しました。国側は、山本さんの訴状に対し、答弁書で争う姿勢を示しました。
そのあと、法定ではこれからの審理の進め方について協議、第2回目の法廷は12月26日午前11時30分開廷と決まりました。
この日、裁判所に山田事務局長をはじめ13名の被爆者が駆けつけ、傍聴席から山本さんを励ましました。
なお、山本さんと同じ疾病(心筋梗塞)は8月の大阪地裁の判決で原爆症と認められ、政府が控訴しなかったので確定しました。


今こそ、徹底した論義を尽くそう!
~「検討会」(骨子)を読んで~ 山 田 拓 民

厚生労働大臣の諮問機関「原爆症認定制度のあり方に関する検討会」は去る10月29日、年内にまとめるとされている「最終報告」の骨子を発表しました。
もともとこの「検討会」は、全国的に展開された原爆症認定を求める集団訴訟の結果、厚生労働省による多くの被爆者への「却下処分」が裁判所で否定され、《司法と行政の乖離》が目に余る状況になり、原爆症裁判の終結に際してできた法律の付則に「検討会」を作って検討することが添えられて発足したものでした。
厚生労働省の認定審査においても、裁判においても、却下した場合、その理由が添えられます。両者の「却下理由」を付き合わせ、どちらが被爆者対策として理があるかを判断すれば、これからの厚生労働省の認定審査のあり方が浮かび上がってくるはずです。
しかし、今回発表された「最終報告の骨子案」を見ると、そうした配慮の跡も、論議の様子も伺えません。
この3年近くの間に、検討会の中で「被爆者対策はこうあるべきだ」とまとまった意見を提起したのは、日本被団協だけだったといっても過言ではありません。それなのに被団協の意見は棚上げされようとしているのです。
なぜこうなったのか。考えられることの一つは、第1回の「検討会」の中での和田厚生労働省被爆者援護対策室長の発言です。そこでは、

①行政の判断は審査の方針に基づいているが、司法の判断は個別事情を重視している、とか、あるいは

②行政の審査は被ばく線量や疾病の特性に照らして放射線起因性がないと判断しているのに、裁判では認定とする判決が相次いでいる、

などとあたかも厚生労働省の審査が精緻を極めているのに、裁判所の方は不適切だ、と言わんばかりの報告がなされているところにも原因があるのではないかと思われます。これを鵜呑みにすると、審査の詳細についても十分ご存ない委員の先生方にとっては、現行の行政ベースで行くしかないな、ということになるのではないかと思われるのです。
いまこそ、原爆症認定審査はどうあるべきかを、とことん議論する場が、必要なのだと私は痛感しています。


厚労省の原爆症認定審査は
すべて闇の中
原告 山本 寛

私は1940年3月7日生まれで、原爆が投下された時は、長崎市立山町の自宅の庭で遊んでいました。当時5歳5ケ月でした。
当日は晴天で、パンツだけで遊んでいました。爆音がして、閃光が走り、一瞬の出来事でその後のことはよく覚えていませんが、気がつくと地面に転がっており、左頸部より出血しておりました。
家の中の襖、障子はなく、物が散乱しておりました。祖母は頭部から出血しており、母が手当をしました。
その後、立山の防空壕へ避難しようとしましたが、満員で入れず、自宅にある簡易壕のようになっていた溝の中で2~3日過ごしました。
その間、発熱、下痢症状等があり、母も随分心配したと言っておりました。私は、被爆時までは病気一つしたことがなかったのに、被爆後は病気がちの弱い体になってしまいました。小・中学校とも普段でも風邪の症状があり、少しひどくなると学校を休みました。
2005年12月、突然胸の激痛に襲われ、救急車で市民病院に運ばれ、心筋梗塞、心不全と診断され、その後、入・退院を繰り返した後、2010年2月に大学病院へ移り、ペースメーカー埋込みの手術を受けました。
私は、2008年4月9日に原爆症の申請をし、2010年3月25日に却下の通知を受け、異議を申し立てをしましたが、2013年3月23日に棄却の通知を受けました。行政手続法は、申請があったら遅滞なく審査を始めなければならないと定めています。私の申請は、遅滞なく審査されたのでしょうか。
さらに私には却下された理由がわからないのです。
厚生労働省の審査は、全てが闇の中の出来事のようなもので、とても納得できません。
これを鵜呑みにすると、審査の詳細についても十分ご存じない委員の先生方にとっては現行の行政ベースでいくしかないなということになるのではないかと思われるのです。
いまこそ、原爆症認定審査はどうあるべきかを、とことん議論する場が、必要なのだと私は痛感しています。


長崎被災協10月のうごき

3日 長崎市が被爆者対策の基本理念に「基本懇意見」をそのまま掲げていることで、その撤回を求めて、市原対部長へ要請
(谷口・山田)
7日 事務局会議(当面の取り組みについて)
8日 日本被団協・全国代表者会議⇒9日まで
(山田・柿田・森内、佐藤、森)
10日 代表者会議参加者を中心とした政党・官庁への要請行動
新聞『被団協』発送
11日 市民大行進部会(谷口)
14日 異議申立ての意見陳述について3名との打ち合わせ(山田)
15日 14日に続いて3名との打ち合わせ (山田)
17日 異議申立ての意見陳述3名(山田)
18日 異議申立ての意見陳述3名(山田)同1名(柿田)
大和荘抽選会 (坂本)
21日 原爆症認定訴訟第1回法廷 (山田ほか)
22日 第64回評議員会・第5回理事会
26日 鹿児島県で九州ブロック相談事業講習会(長崎からは13名参加)
長崎市民大行進 (谷口ほか)
31日 医療と福祉を考える懇談会(柿田)