2014年2月9日発行の新聞『被団協』364号の内容をご紹介します。

◇国家補償の被爆者援護法実現へ◇
新しい年の課題などを確認
被災協第7回理事会ひらく

 

長崎被災協は、1月21日午後2時から今年度第7回の理事会を開催、前回(11月26日開催)以降の主な動きを確認の上、最近の私たちを巡る状況の特徴の報告を受けたあとこれからのとりくみについて協議、確定しました。

山田事務局長は、私たちを取り巻く状況について、二つの面にから報告しました。一つは「原爆症認定制度のあり方に関する検討会」の無責任な検討結果にもとつく原爆症認定審査のあり方をめぐる政府側の動きであり、もう一つは「戦争のできる国づくり」を目指し、最近ますます露骨になった政府の動きです。

全く新しさが見られない「新しい審査の方針」改訂版
1月号でもお伝えしたように、今回の改訂は、厚生労働大臣が設置した「原爆症認定審査の在り方検討会」が3年間の議論のまとめとしての「報告」を出したことで、それに沿って、原爆症と認めるかどうかの審査を担当する疾病障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会が、「新しい原爆症認定の方針」として公表したもので、内容は若干の表現の修正を行っただけ。目本被団協が、直ちに、憤りを込めた抗議の「声明」を発表したのも当然のことでした。
そしてこういう状況だからこそ、国家補償の被爆者援護法実現へ向けての取り組みを前進させなければならない、と事務局長は強調したのでした。

「戦争のできる国づくり」をつきすすむ安倍内閣
一方、戦争のできる国づくりに執念を燃やす安倍内閣の動きからも、目が離せません。
去年の11月には、「国家安全保障会議」関連の法律が制定され、12月にはこの制度が発足したのでした。アメリカの国家安全保障会議(National Security Council)をまねたもので、日本版NSOとも呼ばれています。この機関は、日本の外交、安全保障に関する政策、国家戦略の司令塔といわれるもので、その事務局は局員60人を擁し、情報収集・分析に当たると言われており、さらにこの部署の運営のためにも、暮れに成立した特定機密保護法が必要だったと言われています。こうして、心に留めておくべき自体が進行しているのです。


宮内県議会議員の暴言に被爆者5団体が抗議文を送付

1月23日の夜、佐世保市内で開かれた県知事選挙の個人演説会場で、宮内雪男県会議員が「原爆や水爆を相手候補に叩きつけるような勢いでたたかってほしい」と発言したことが報道されました。このことについては各方面から抗議の声が上がりましたが、これを知った被爆者5団体は、「宮内議員に強く抗議するとともに、この《失言》に対し、自らの責任をどのように取られるのかを注目する」という「抗議文」を送付しました。
(被爆者5団体=長崎被災協、手帳友の会、手帳友愛会、原爆遺族会、平和運動センター被爆連)


九州の被爆二世の会が組織化へ

2月1日、長崎や福岡など8つの被爆二世の会は共催で第2回「被爆者運動継承の学習・交流会」を、福岡県春日市で開催しました(第1回は昨年長崎市で開催)。
この会合には、各地から40名が参加、日本被団協中央相談所委員の伊藤直子さんが「被爆者運動から学んだこと」と題して講演、そのあと、二世の要求、被爆体験や運動の継承などについて4つのグループに分かれて論議しました。この会に長崎からは佐藤会長ほか4名、諌早からは森会長ほか1名が参加しました。
そのあと、「九州ブロック被爆二世協議会準備会」を、長崎、諌早、佐賀、福岡、熊本の二世の会の賛同で発足し、世話人に南義久氏(福岡県被爆二世の会会長)を選出しました。
今後、準備会は

①被爆二世の要求実現、

②被爆者運動の継承、

③情報の発信、共同、共有化

などを目的とし、日本被団協と連携しながら、「1年以内に協議会発足」を目標に、活動を進めてゆくことになりました。


現行法の欠陥を正し「私たちの援護法」へ

被爆者のための法律と言われる今の法律は『原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律』です。この法律は、その前にあった「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」と「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」を、一つにまとめた法律で、「国家補償の被爆者援護法を」という被爆者・国民の大きな運動に耐えられなくなった政府が苦肉の策として1994年12月に制定したものなのです。
この法律は、全部で39条から成っていますが、この法律には、「前文」がついています。
この文章の下の段に掲載されているのがそれで、法律の内容や特徴を知る上では便利です。ということは、この法律が持つ欠陥も、この「前文」を読むとわかるのです。
早速目を通して、この法律はなぜいけないかを考えてみようではありませんか。そして、この欠陥をなくすには、どこをどう改めたら良いかをみんなで考えてみようではありせんか..そこが、これからの私達の取り組みのスターなのです。
もちろん私たちは素人ですし、いろいろ考えが足りないところもあるでしょう。しかし、そういったことは、お互いに知恵を出し合えば克服することができるのです。
3月上旬を目標に「私たちの被爆者援護法案(骨子)を作ろうではありませんか。
そのあとは、この援護法案(骨子)へ賛同を私たちの手で周囲に広げてゆくのです。
とにかく自分たちで作った被爆者援護法案(骨子)への賛同を呼びかけるのですから、自信を持って訴えることができるでしょう。(山田拓民)

援護に関する法律・前文
昭和二十年八月、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は、幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず、たとい一命をとりとめた被爆者にも、生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し、不安の中での生活をもたらした。
このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の保持及び増進並びに福祉を図るため、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を制定し、医療の給付、医療特別手当等の支給をはじめとする各般の施策を講じてきた。また、我らは、再びこのような惨禍が繰り返されることのないようにとの硬い決意の下、世界唯一の原子爆弾の被爆国として、核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の確立を全世界に訴え続けてきた。
ここに、被爆後五十年のときを迎えるに当たり、我らは、核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし、原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう、恒久の平和を念願するとともに、国の責任において、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ、高齢化の進行している被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ、あわせて、国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため、この法律を制定する。


国家補償の援護法目指し
被災協が学習集会

長崎被災協は、2月7日午後2時から、先の理事会で決定し「国家補償の被爆者援護法をめざす学習集会」2階会議室で開催しました。この日はあいにくの空模様でしたが、30名が参加しました。山田事務局長はいまの援護に関する法律の「前文」をつかって、現行法の問題点を明らかにするとともに、各地で話し合う機会が必要と述べました。


城山九条の会が山田事務局長を招いて憲法集会

結成9周年を迎えた城山憲法9条の会では、3月16日午後1時30分から聖マリア学院中学校多目的集会室で「春を呼ぶ憲法と文化の集い」を開催することになり、被災協の山田事務局長も招かれて「被爆者はなぜ国の償いを止めるのか~憲法を生かす視店から~」のテーマで講演をすることになりました.。なおこの日は、マジック、ギター弾き語り、落語、合唱なども予定されており、同会では「どなたでもご自由に参加できます」と言っています。


なぜ、いま国民保護法なの?

1月29日、被爆者5団体の代表は、長崎市の国民保護計画策定について、長崎市から説明を受けました。被災協からは田中重光理事と柿田富美枝事務局次長が参加しました。
国民保護計画については、これが持ち出された2006年、当時の伊藤一長市長と被爆者5団体との間で、「核攻撃を受けた場合、対応できないのだから、場の国民保護計画には核攻撃想定は記述しない」ということで一致していました。ところがその後県は、繰り返し協議を求め、その回数は31回に及んだということです。しかし、長崎市はこれまで同様「核攻撃事態は想定しない」とし、これまでと変わらないと述べました。被爆者5団体は、改めて原爆被害の実相を訴え、国が推し進めようとする国民保護計画ではなく、核兵器廃絶をこそ推進してゆくよう求めました。(柿田富美枝)

「有事に、住民がどう避難するかなどを定める国民保護法案の要旨が固まった。(中楽) 小泉首相は来年の通常国会で成立をめざすという」と中国新聞が社説で書いたのは、2003年11月のことでした。その2年後には、「国民保護に関する基本指針」が発表され、そこには次のように書いてありました。
「我が国を取り巻く安全保障環境については(中略)大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散の進展、国際テロ組織等の活動を含む新たな脅威や平和と安全に影響を与える多様な事態への対応が差し迫った課題となっている。」
そして、翌年、各地方自治体へ「国民保護計画」の策定が求められたのです。当時は既に、爆弾や焼夷弾の時代ではありませんでした。だから、これを聞いた被爆者は「核戦争から市民を守る手立てなどあるはずがない」と怒りました。核戦争から市民を守る唯一の道は核兵器の廃絶以外にない、という被爆者や市民の声に押されて、長崎市は、「核攻撃事態」を除く「保護計画案」県に提出したのです。
今回、県が長崎市に改めて要請したのは、どのような意図に基づくものかわかりませんが、長崎市は、これまでの姿勢を堅持すべきです。(山田拓民)


1月のうごき

6日 仕事始め
8日 新聞『被団協』発送作業
11日 長崎の証言の会・新年の集い (山田)
14日 香焼被災協・新年の役員会 (山田)
17日 事務局会議
18日 健康友の会・新年の集い(山田)
二世の会・会議
19日 県商工団体連合会・創立40周年記念式典 (山田)
20日 被爆70周年記念誌編集会議
21日 第7回理事会
長崎市被爆者対策部との懇談会 (谷口・山田)
25日 県九条の会(山田)
29日 原爆病院運営委員会 (谷口)