2014年10月9日発行の新聞『被団協』372号の内容をご紹介します。

基本要求』を掲げて30年
核戦争起こすな、核兵器なくせ
原爆被害者援護法、いますぐに

 今年は→日本被団協が・「原爆被害者の基本要求」を発表して、30年目の年です。日本被団協は、10月19日(日曜日)午後1時から、『基本要求策定30周年記念のつどい』を開きます。また長崎被災協は、その前日(10月18日・土曜日)の午後2時から開催する『学習集会』で、『「基本要求」30周年の持つ意味』について考えることにしています。

政府は市民が被った原爆の被害を償え」という被爆者の要求は30年前の『原爆被害者の基本要求』で、突然現れたものではありません。この要求は、私たちが被爆者団体を結成した1956年以来掲げてきた要求なのです。長崎被災協結成の準備委員会が発行した『結成の呼びかけ』チラシでも、一私達はここに団結して国家の補償が実現出来るようにする為に被災者の会を結成したいと思います」と訴えています(長崎被災協の結成は、1956年6月23日)。同年8月10日に結成された日本被団恰も、9月の代表者会議で原爆死没者を含む被爆者に対しての国費による補償を求めています。こうした私たちの要求への対応を迫られた政府・厚生省が、翌57年3月31日に公布したのが「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(原爆医療法)でした。
ところがこの法律は原爆の被害から熱線・爆風による被害を排除し、さらに原爆の放射線による被害にしても一次放射線(爆発時に最初に放出された放射線)に限定、原爆で亡くなった人たちへの対策は何もなく、とうてい被爆者が求めた『被爆者援護法』とは呼べない代物でした。
これらの欠陥は、その後、1994年12月に制定された『原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律』にもそのまま引き継がれ、現在に至っているのです。
ところで、1978年3月、最高裁は判決の中で「原爆医療法は(中略)実質的に国家補償的配慮が制度の根底にあることは、これを否定することができない。」と指摘したのでした(孫振斗訴訟)。この判決に慌てた政府・厚生省は、早速、東大総長経験者2名、大学教授1名、最高裁裁判官経験者1名など、そうそうたるメンバーをそろえて、「被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)」を設置、1980年12月、答申『爆被爆者対策の基本理念及び基本的おり方について』が発表されたのです。これは今なお厚生労働省の被爆者対策の基本理念とされており、長崎県や長崎市の「被爆者対策事業概要」にも、麗々しく掲げられています。
1984年11月に、日本被団協の『原爆被害者の基本要求―再び被爆者をつくらないために』が作られた背景には、こうしたことがあっためです。
『基本要求策定30周年』の今年、私たちは今一度、この『原爆被害者の基本要求』に目を通し、政府に迫ろうではありませんか。
(山田拓民)

◇『基本懇・答申』からの抜粋◇
およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産などについて、その戦争によってなんらかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国を挙げての戦争による「一般の犠牲」として、全ての国民がひとしく受忍しなければならないところであって、政治論として、国の戦争責任を云々するのはともかく、法律論として開戦・講和というような、いわゆる政治行為(統治行為)について、国の不法行為責任など法律上の責任を追及し、その法律的救済を求める道は開かれていなというほかはない。


第1回核兵器全面廃絶デーに街頭行動

9月26日『第一回国連核兵器全面廃絶国際デー』に呼応して、長崎被災協10名と長崎原水協20名が参加して、午後4時半から6時までの2時間、長崎市浜の町の『ハマクロス411』前で、通行客に「ふたたび被爆者をつくるな」を呼びかけ、「核兵器廃絶アピールヘの賛同署名」運動を展開しました。
「うたごえ協議会」や龍崎鬼一朗さんらの平和の歌声が繁華街に響き渡り、大勢の人が足を止め、署名に協力しました。(柿田富美枝)

成功した二世の会の『平和音楽フェス』

 9月27日(土)・28日(日)の2日間、長崎被災協・二世の会・長崎は、長崎被災協の地階講堂で『平和音楽フェス』を開催しました。
来年の被爆70年に向けての集会の準備として位置づけ、また70年事業の活動資金づくりとして、初めての有料コンサートでしたが、大盛況で終えることができました。諌早の二世の会からも大勢駆けつけ、手伝ってくれました。
被災協の方々にも、たくさん来ていただきました。
ペルーの民族音楽のインカニャンをはじめ、出演してくれた多くのミュージシャンによるすばらしい歌と演奏に、幼児や小学生から大人まで手拍子で会揚が一体となって楽しみました。音楽で平和を伝えるコンサートの二日間でした。(柿田富美枝)


核兵器禁止と原爆被害への国の償いを求めて
18日14時から被災協・講堂で学習集会

前の記事でもでもお知らせしていますように、長崎被災協は、10月18 日午後2時から、長崎市岡町の・長崎被災協・地下講堂で、『私達の願い、届けよう、国へ、世界へ』というテーマで、私たちが当面する課題についての学習集会を開催いたします。
いま、政府は、集団的自衛権の問題に典型的に現れているように、これまでの憲法解釈を180度転換させて、戦争のできる国づくりを目指しているとしか言い様のない政策を打ち出しています。それも、憲法には手をつけないままに!
「国は原爆の被害をつぐなえ!」という私たち被爆者の願いは、1956年に私たちが自らの組織を立ち上げて以来の一貫した願いなのです。そして絶対に戦争への道を許さない意志の表れなのです。
どうしたらこの被爆者の思いを国民の中に広めることができるのか、学習集会で真剣に討論しようではありませんか。お誘い合わせ、ぜひ、ご参加ください。


 募金活動へのご協力ありがとうございました。
原爆の被害への国の償いを求める大運動は、いよいよ重要な段階を迎えました。私たちの組織が誕生して以来の念願である「国家補償の被爆者援護法」を手にするまで、募金運動にも頑張りましょう。


被団協が全国代表者会議
10月20日と21日、東京で

日本被団協は、10月20日と21日の両日、東京都・神田御茶ノ水のホテル・ジュラクで全国都道府県代表者会議を開きます。この会議では、まず20日に「核兵器の非人道性を明らかにした日本被団協の運動」についての特別報告の後、全国で取り組んでいる活動の交流を行います・
ここでは、全国各地からの報告をもとに、証言活動や慰霊事業、原爆展開催などについて、あるいは国の償い実現へ向けたこれまでの取り組みなどを交流する予定です。
翌21日には、被爆70年に当たる来年の運動について、
①『原爆被害者の基本要求』策定30周年についての各地での取り組みについて交流し、
②これからの国の償い実現へ向けた取り組みをどう推進するか、
③NPT再検討会議へ向けた運動をどう展開するか、
などにつて意見を交流することになっています。
そして最後にアピールを採択して、代表者会議は終了します。この全国代表者会議に、長崎からは3名が参加する予定です。


不条理な厚労省の措置
また一人、憤りを込めて提訴

原爆症の認定審査で却下され、異議申し立ても棄却された被爆者が、一人、原爆症認定訴訟の原告団に加わり、長崎での訴訟の原告は、5人となりました。
提訴したのは、生後4ヵ月の時、長崎市本原町の母の実家で被爆した蛇目禮子さん。
原爆が詐裂した口は、本原町一帯には、雨と一緒に小さな炭のようなものが降ったと母親は述べており、爆心地からの距離は2キロメートル。
▽被爆後の健康状態
禮子さんは誕生時3000gを超える健康な新生児だったとのことです。しかし小学校に入ってからは、運動会で真っ青になって倒れることもあったとか。
▽その後甲状腺に異常が…
1987年に、放射線影響研究所(放影研)から甲状腺の検査を受けることを勧められ、受診したところ異状が指摘され、長崎大学での精密検査の結果、甲状腺機能低下症と診断されたとのことです。
▽甲状腺機能低下症は、厚生労働省も認める原爆症
そこで原爆症と認定するよう申請したところ、回答は却下。
納得できない蛇目さんは、異議を申し立て、文書だけでなく、口頭での陳述も行ったのですが、厚生労働省は、これも棄却したため、訴訟に踏み切ったのです。
なお、「爆心地から2キロ以内の被爆による甲状腺機能低下症」は、厚生労働省が定めた『原爆症・新しい審査の方針』でも、「積極的に認定する」と定めています。


9月のうごき

1日 事務局会議
2日 日本被団協・九州ブロック代表者会議(山田・横山・柿田)
5日 いきいきコープ学習会(柿田)
8日 被災協理事会
9日 地裁・原爆症裁判傍聴
11日 医福懇会議(柿田)
13日 二世の会会議
18日 日本被団協・二世委員会(柿田)
25日 日本被団協・代表理事会(山田)⇒26日まで
27日 二世の会・コンサート28日まで
(山田・柿田・田中)
29日 長崎市が被爆70周年記念行事の計画案募集審査プレゼン
(山田・柿田・田中)

 
=お詫び=
紙面版被団協長崎版 先月号(9月号)は、発行月日を9月9日とすべきところを、うっかりして「8月9日」と印刷してしまいました。
ここに心からお詫びいたします。
編集責任者・山田拓民