2014年11月9日発行の新聞『被団協』373号の内容をご紹介します。

◇第37回九ブロ相談事業講習会◇
宮崎市に集まった180名
来年は12月に長崎での開催決まる

第37回九州ブロック相談事業講習会は、11月2日・3日の二曰間、宮崎市大淀川河畔の宮崎観光ホテルで開催され、沖縄を含む九州各県から180名が参加しました。
2日(第1日)の開会行事では、宮崎の田中芙己子副会長の開会の挨拶ののち、全員で亡くなった被爆者への黙祷を捧げ、主催者として中央相談所の理事である長崎の横山照子さんが全体会での講師を紹介した上で、宮崎の皆さんのご尽力への感謝の言葉を述べ、私たちの願いである核兵器の廃絶と長崎原爆への国の償いを求める決意を明らかにしました。
このあと、九州ブロックの代表理事である福岡県被団協の会長・藤田 浩さんが開催県と参加者への感謝の言葉を述べ、開催県の会長・佐々水光幸さんが、宮崎の会場へ参集して頂いた参加者の皆さんへお礼の言葉を述べました。
最後に開催県の滝口健康増進課長と宮崎市の田上総務部長の歓迎の挨拶で、開会行事は終わりました。
この後、全体会での講演に移り、まず、長崎の社会福祉法人春風会特養ホーム青葉苑の榎本哲子施設長から、高齢となった被爆者にとって必須の課題ともいうべき高齢者福祉制度のあらましとその活用の際の留意事項、施設への入所の手続きなどについて1時間にわたって説明かありました。
この後、日本被団脇中央相談所の伊藤直子さんが「被爆70年を前に被爆者相談事業の課題と現行法の活用」というテーマで、約40分講演しました。
こうして全体での学習集会は終わり、一旦休憩し、6時から恒例の懇親会が始まり、県を超えての楽しい交流ができました。
3日(第2日)の全体会議は午前9時に始まり、まず日本被団協の田中事務局長が「被爆70周年に向けての日本被団協の運動について」のテーマで約40分間これからの被爆者運動の重点を報告、ついで藤田 浩・福岡県被団協会長がご自分の体験をもとに「記憶のない幼児期の被爆体験を語ること」というテーマで約30分間の報告を行いました。
会はこのあと、それぞれ5分の持ち時間で各県の代表が自分の県の最近の状況を報告し、ついで、来年のこの集会の開催地となっている長崎被災協の山田本務局長が開催期日を12月5日・6日、参加費は一人15,000円とすることなどを報告、その後、全員で 『原爆許すまじ』を合唱、宮崎県原爆被爆者の会の田中芙巳子副会長の閉会挨拶で、2日間のすべての日程を終わり散会ました。  (山田拓民)


またアメリカが核実験
9日に平和公園で抗議集会

11月5日の各紙は、アメリカがまた9月4日と10月3日に核実験を行った、と報道しました。今回の実験は、Zマシンという特殊な装置を用いて核兵器の性能を調べるもの、と言われていますが、核兵器の性能を確認する「実験」に変わりはなく、核兵器を常に使用できる状態に置くためのものであることに変わりはありません。
日本被団協は、11月5日付で「69年前の8月、人類史上初めて原子爆弾の攻撃を受けた被爆者は、ふたたび被爆者を作ってはならないという強い決意のもと、一日も早い核兵器の廃絶をもとめて世界に訴えつづけてきました。」「米国のZマシンによる核実験に抗議する」抗議文をオバマ大統領あてに送付しました。
長埼では、11月9日の日曜日、このアメリカの核実験に抗議し、長崎市の平和公園で、長崎被災協の谷口会長が責任者となっている「核実験に抗議する市民の会」と県労評傘下の「平和運動センター」との合同の抗議集会が開かれ、約250人の市民が参加、アメリカの核実験への抗議の意思を表明しました。


◇今年・来年の私たちの課題◇
基本懇答申の破棄を迫ろう
原爆被害への国の償いを!

1978年(昭和53年)3月30日、最高裁判所は孫振斗さんという韓国人の被爆者の裁判の判決で、こう述べています。「原子爆弾の被爆による健康上の障害がかつて例を見ない特異かつ深刻なものであることと並んで、かかる障害が遡れば戦争という国の行為によってもたらされたものであり、しかも、被爆者の多くが今なお生活上一般の戦争被害者よりも不安定な状態に置かれているという事実を見逃すことはできない。原爆医療法は、このような特殊な戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済を図るという一面をも有するものであり、その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にあることは、これを否定することができないのである。」
そして最高裁判所は、その判決の中で、被爆者の収入や資産状態に関わりなく、全額公費による救済を定めていることや、この法律が対象者を日本国民に限定していないことから見ても、単なる社会保障とは考えられない、と言ったのです。(孫振斗訴訟=広島で被爆した後、韓国へ帰っていた孫さんが、密航して九州に上陸し、収容所の中から「被爆者健康手帳」の取得を申請したところ、日本政府は、密航者にその権利はないと拒否したため孫さんが起こした裁判。地裁、高裁と孫さんは勝ち進み、最高裁でも孫さんの主張が認められたのでした。)

ところが政府は‥‥.
ところが政府は、この判決に逆らって、この判決の翌年、東京大学総長経験者二人を含む『原爆被爆者対策基本問題懇談会」(略称・基本懇)を立ち上げ、とんでもない報告書を作成させたのです。これが、1980年12月11日に発表された『原子爆弾被爆者対策の基本理念及び基本的あり方について』(基本懇答申)です。
『基本懇』答申は、原爆は「人間の想像を絶した地獄を現出した」と言いながら「戦争の被害は国民が我慢するのが当然」と言い切ったのです。
まさに戦争中の軍部の考えそのもので、日本国憲法のもとでは到底納得できない文書だったのです。

今も生きているこの考え
怖いのは、この文書(基本懇答申)は今も生きていて、厚生労働省の被爆者対策の基本となっていることです。そして、長崎市も県も、まるで厚生労働省への忠誠の証であるかのように、毎年発行する『事業概要』に、この文言の全文が掲載されているのです。
(山田拓民)


投 稿
核兵器の全面的廃絶を求めて
長崎被災協・理事 田中 重光

今、核兵器の廃絶を求める声は、世界に広がっています。
多くの国の市民が行動し、政府がその実現を支持しています。ヒロシマーナガサキを繰り返させないもっとも確かな保証は、核兵器を全面的に禁止し、廃絶することです。
私は、被爆者として何かできるかを考え、居住地の自治会で核兵器全面禁止のアピール署名ができないかを役員会に提案することを決意し、早速6月の役員会に提案したところ、胎内被爆者のUさんが賛成の意見を表明されて、満場一致で決定。回覧板に「お願い」とチラシ、署名用紙をはさんで回すことになりました。ちなみに、私の居住地の自治会は、265世帯、40組で構成されています。
7月の自治会の定例会に、構成員の約半分190筆の署名と1000円の募金が集まりました。
この署名は、どこの自治会でも取り組むことができると思います。
私は、孫の保育園でも20筆の署名と1900円の募金を、さらに被爆体験を話した修学旅行生からも88筆の署名を集めました。
これからも、2015年4月の核不拡散条約(NPT)に向けて、一人でも多くの署名を集めてゆく決意です。


読 書
新版・原発を考える50話
西尾 漠

鹿児島の原発が問題になっている時でもあり、今回はこの本をご紹介します。『ジュニア新書』だからとバカにしないでください。全部で50の項目からなっていますが、その項目を拾い読みしただけで、中身を読みたくなるに違いありません。そんな本なのです。実は私も「社会科」系の人間ですので、理科系の中でも最先端と言えそうな「原子力」などの分野には弱いのですが、最近の社会の動きを見ると、「知らない」では済まされないような気がして、良い入門書がないものかと探している時に書店の棚で目に付いたのが、この本です。おそるおそる頁を繰っていくうちに、つい引き込まれてしまいました。
この本の項目の一つに「原爆・原発一字のちがい」というのがあります。「平和利用」と呼ばれる原子力発電は「軍事利用」の原爆を生みの親にしているのだそうですね。
そして今度は原子力発電が原爆の生みの親になろうとしているとか。 ともかく危険な間柄と言えるでしょう。
青森県の六ヶ所村のウラン濃縮工場では、1年間に原爆用の高濃縮ウラン数百発を作れるとか。
☆岩波ジュニア新書840円        (山田拓民)


◇編集後記◇
▼寒い風が吹き始めました。
だけどコタツに入ってばかりではおれません。
▼集団的自衛権を掲げて国民を戦争に巻き込もうとする政府への
私たちの強い闘いの武器は、あの戦争の被害への国の償いを求
める私たちの取り組みではないでしょうか。
▼今年もあと一ヶ月余、力合わせ、頑張りましょう。


9月のうごき

2日

10月18日開催の「学習・討論集会」案内の為の団体訪問
(坂本・柿田)

4日 医療と福祉を考える長崎懇談会(柿田)
6日 事務局会議・当百の取り組みについて
8日 大村で被爆者の集い(山田、横山、柿田)
10日 機関紙発送作業(田中、平井)
11日 「被爆二世の会・長崎」会議
15日

放射線影響研究所運営委員会(山田)

18日 被災協学習集会『被爆者の願い、国へ、世界へ』報告者・長崎大学中村桂子先生、被災協山田事務局長
19日 東京で日本被団協主催『基本要求策定30周年のつどい』(山田・田中・横山・柿田)
20日 日本被団協全国代表者会議(山田・田中・横山・柿田)→21日まで
22日 事務局会議・当面の取り組みについて
アピール署名実行委員会(山田)
25日 市民平和行進(田中、池田、吉田、堀、川口、佐藤)