2016年1月9日発行の新聞『被団協』387号の内容をご紹介します。

憲法改悪掲げる総理

皆で示そう日本国憲法の大切さ

1月4日、第190回通常国会が始まりました。安倍総理は年頭の記者会見で、夏の参議院選挙の争点に「憲法改悪」を掲げる意向を明らにしたといわれています。
昨年の「戦争法」をめぐっては、各地で反対の行動がき起こり、自民・公明のなかでさえ消極的な声が聞かれる状況に、総理としても選挙と結びつけて、党内の統一を図ろうとしているのではないでしょうか。
総理が憲法改悪を持ち出したことは、「戦争法」がいまの「日本国憲法」の下では使えない代物であることを、自から明らかにしたことになるでしょう。現職の総理が、現行憲法を否定するとは、とんでもないことです。
1945年8月の敗戦直後に生まれた人も、今年は71歳。戦時下の生活を知っている人は少なくなる一方です。
原爆の下で苦しんだ私たちの仲間も次々と動けなくなり、亡くなっていっています。
私たちは『戦争」とはどんなものかを明らかにし、現在の「日本国憲法」を維持することの大切さを、次の世代へ伝えてゆこうではありませんか。(山田拓民)


北朝鮮が核実験
被爆者5団体も直ちに抗議

すでに報道されている通り1月6日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、4回目の核実験(今回は「水爆」と発表)を行いまにした。
長崎の被爆者5団体(原爆遺族会、被爆者手帳友愛会、被爆者手帳友の会、平和運動センター被爆連、原爆被災者協議会)は、報道を聞いたその日、「今回の貴国の水爆実験は、核兵器廃絶の流れに逆行するものであり、また北東アジアの非核兵器地帯構想の願いを踏みにじるものである。貴国のこのような暴挙は、貴国の更なる孤立化を招くものでしかない」と言う抗議文を、また、日本被団協も同日、「核兵器を保有し、さらに拡大することで自国の存在を示そうとする考えを直ちに捨て去り、核兵器に費やすエネルギーと財貨を自国民はもとより人類が平和に暮らせる世界を作るために注ぐよう希望する」という文言を付した抗議文を送りました。


北朝鮮の核実験に抗議の座り込み

1月6日の北朝鮮の核実験に対し、「核実験に抗議する長崎市民の会」では1月10日午前11時より平和祈念像前で1時間、抗議の座り込みをおこないました。被爆者、二世、高校生、市民など40名が参加しました。
1974年8月から核実験のたびの座り込みはこの日400回目となりました。


『被災協』生まれて60年
◇誕生までの略歴◇
戦災者連盟の結成
敗戦の年の12月、百武恵治、滝川 勝らが中心となって、焼け跡の長崎駅前広場で結成集会を開いたのが『長崎戦災者連盟』という名称の、長崎ではじめての被爆者団体でした。原爆のために「隣り組」も崩壊してしまった長崎市で県・市の行政と連絡をとり、行政と市民の窓口となって、救援物資の配布などきめ細かな業務に当たったのでした。
この『戦災者連盟』は、一定の役割は果たしたということで、1949年に解散したのでした。

原爆乙女の会の誕生
その後、アメリカのビキニ環礁での水爆実験の犠牲となった第五福竜丸事件を契機に、原水爆禁止を求める署名運動が全国に広がり、そうした中で、長崎では被爆した若い女性たちのグループが形成され。「長崎原爆乙女の会」が誕生したのでした。この「乙女の会」の第一の仕事は、スイスで開かれる『世界母親大会』へ日本代表として参加する山口美代子(のちの長崎被災協副会長)に託すバラの造花作りでした。

第一回原水禁世界大会
そうした中で、広島で開催される原水爆禁止世界大会へ原爆乙女からも代表を送ることになり、代表として辻幸江・山口みさ子が選ばれ、広島の会場での二人のスピーチは、会場の皆さんに大きな感動を与えたのでした。
広島から帰った二人を迎えた長崎の乙女達は、来年の世界大会は長崎だということで、早速その準備に取り掛かったのでした。

原爆青年乙女の会へと成長
一方、山口仙二たちを中心とする男子青年被爆者らも長崎原爆青年会をつくって、1955年10月1日、看板を掲げたのでした。そして翌年の5月3日、乙女の会と青年の会は合体し、長崎原爆青年乙女の会が誕生、今日に至っています。

長崎被災協の誕生
1956年の第二回原水爆禁止世界大会を前にして、長崎での被爆者組織結成への準備も進み、6月に入ると長崎原爆被災者協議会(略称・長崎
被災協)結成を呼びかけるチラシが町内会を通じて配布され、6月23日午後7時から、平野町の小高い丘の上の国際文化会館講堂で、長崎原爆被災者協議会の結成集会が開かれました。市民の関心も高く、講堂は定刻前に参加者で一杯になったのでした。

結成された長崎原爆被災者協議会の運動方針の基本は、「核兵器の廃絶」と「原爆被害への国家補償」の実現であり、この方針は、被爆から70年を経た今日なお変わっていません。   (山田拓民)


第3回理事会開催

1月8日14時より1時間半、被災協2階会議室で理事会が開催され、理事10名、監事2名、代理1名が出席しました。
谷口会長は「被爆70年も大変だったが、今年は結成60年、さらに頑張っていこう」と挨拶、山田事務局長は「戦争法」について述ぺました。
これからの活動では1月10日の「核実験に抗議する長崎市民の会」による抗議の座り込み、同日午後の原水協との街頭宣伝、11日「戦争法反対2000万人署名キックオフ集会」など核兵器廃絶、戦争反対で取り組むことが確認されました。
12月5・6日に開催された九州ブロック相談事業講習会について良かったこと、反省点など出し合いました。二世の協力・支援に対し、各理事
から感謝の言葉が述ぺられました。
今年度、長崎県の補助事業として「独居被爆者の訪問活動」が委託されました。2月中に福江市、大村市、川棚町などの被爆者数名のお宅へ、被災協の相談員が訪6月23日、被災協は結成60年を迎えます。
講演会、祝賀会などの案を出し合いました。
企画については事務局一任となり、3月31日の次回理事会で決定し準備を進めます。問する予定です。

 

俳句紹介
九ブロに二世を頼りて胸を張る
九ブロのこの意を伝えよう後輩に
(坂本フミエ副会長)

 

恵の丘原爆ホームを訪問
毎年年末に慰問している恵の丘原爆ホームを12月21日に訪問しました。
堤施設長は「被爆70年という節目の年でもあり、ホームには修学旅行の生徒達をはじめ訪問者が絶えなかった」と話されていました。谷口会長、坂本副会長、横山理事で訪ね、ホームで暮らす被災協会員と懇談しました。

 

一人暮らしや病気の被爆者へ   |
今年も年末に長崎市従業員組合より「ちひろカレンダー」50名に、原水爆禁止長崎県協議会より見舞金が135名に送られ、たいへん喜ばれました。

12月の活動報告

1日 ノーモアヒバクシヤ訴訟、事務局会議
2日 日本被団協小委員会(横山)
4日 九州ブロック相談事業講習会資料の袋詰め作業
(15名)
5~6日 九州ブロック相談事業講習会(ホテル清風)220名
10日 新聞発送作業
15日 被爆5団体・日印原子力協定抗議記者会見(山田)
21日 恵の丘原爆ホーム慰問(谷口・坂本・横山)
25日 事務局会議