2016年7月9日発行の新聞『被団協』393号の内容をご紹介します。

第68回定例評議員会

会長には引き続き谷口 稜嘩(たにぐちすみてる)氏、副会長には新しく横山 照子氏、田中 重光氏、森内責氏の3名が選出されました。
理事は上記の3名と合わせて15名で、うち8名が新しく選出されました。
監事2名と、評議員も18名中9名が新しいメンバーで、結成60年の年の新しい門出となりました。
2015年度決算、事業報告、2016年度予算、事業計画を決議し、「結成60周年のつどい」や「核兵器廃絶国際署名」の取り組みなどを話し合いました。
また「結成60周年アピール 不戦・核兵器廃絶の決意を新たに」を読み上げ、全員の賛成で決議しました。


結成60周年アピール
不戦・核兵器廃絶の決意を新たに

原水爆禁止運動に支えられて、1956(昭和31)年6月23日、私たちは長崎原爆被災協を結成して、今年で60年を迎えます。多くの先人達が、さまざまな困難を語り尽せない苦労で切り開いた運動の歴史を繋げる重要な年になります。
19日、参議院で「平和安全保障関連法」が多数の国民の反対にもかかわらず強行採決され、今年3月29日、「戦争法」は施行されました。
「戦争法」が発動されれば、自衛隊が海外派兵されます。平和憲法に基づく平和国家の根幹を揺るがし、市民をふたたび戦争へと巻き込んでしまいます。
永井博士は「いとし子よ」の著書の中で「そのときこそ…誠一よ、カヤノよ、たとい最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと『戦争絶対反対』を叫び続け、叫び通しておくれ!たとい卑怯者と蔑まれ、裏切り者とたたかれても、『戦争絶対』の叫びを守っておくれ!」と記されています。

被爆者は、広島・長崎への原爆投下という人類最初の核戦争によって狂わされた71年間の歳月と、無惨に殺されていった数十万人の原爆死没者たちの命の重みをこめて抗議し、要求します。「戦争法」は、憲法9条が禁止する集団的自衛権行使に道をひらくものであり、憲法の平和主義を破壊し、立憲主義を否定する憲法違反の法律にほかなりません。この歴史的暴挙に怒りを込めて抗議し、違憲の「戦争法」をただちに廃止することを強く要求します。
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)も結成60年を迎えます。第2回原水爆禁止世界大会・長崎が閉会された翌日の8月10日、長崎国際文化会館で結成され、『結成宣言=世界への挨拶』で「自らを救い、人類の危機を救う」と決意しました。私たちは日本被団協のもとで、全国の被爆者と共に運動を続けてきました。
いまもなお被爆者の役割は重要です。私たちの願いである「ふたたび被爆者をつくりださないため」に国内はもとより世界の人々と力を合わせ、日本被団協が提唱した『国際署名』に力を尽くしましょう。署名は2020年8月までに世界中から数億の署名を集め、毎年国連に届けます。長崎では被爆者5団体が呼びかけ人となり『国際署名』に取り組むことになり、事務局を被災協、生協連、原水禁、原水協で構成し署名推進にあたります。
命輝く青い地球を未来に残すため、核兵器廃絶の確かな条約を制定するため、私たち被爆者は最後の力を振り絞って、広範な人々に呼びかけた壮大な署名活動に取り組むことを誓います。

2016年6月23日
(-財)長崎原爆被災者協議会 第68回定例評議員会


青年乙女の会総会開く

5月28日(土)被災協会議室で年次総会を開きました。
近年「会の中心にいた仲間」を次々亡くし、沈んでいた会員たちでしたが、新しい仲間を迎えた総会でした。会計報告や活動方針を決
め、昼食のお弁当をいただきながら懇談しました。
会長・広瀬方人さんの死去にともない、小峰 秀孝さんが新代表に就きました。
「久し振りに大声で笑った」などとの感想があり、「集まっておしゃべりするのも楽しい」との声も聞かれ、和やかな総会でした。

志・人・命
原爆の惨禍、生きてきた証、平和への願いを絵に託して京都在住の被爆者、原野 宣弘(はらの のぶひろ)さんが長崎市で個展を開催します。
原野さんは生後10ヶ月のとき、長崎市水の浦で被爆。父親は大橋で爆死、その後、家族を支える母の懸命に生きる姿を見てきました。自身も次々と襲いかかる病気で苦しみながら、ノーモアヒバクシャ訴訟の原告としてたたかっています。
と き 7月19日(火)~24日(日)
10時~18時
ところ 長崎県立美術館県民ギャラリーA室
入場ご無料

 

民平和行進 出発式
6月28日13時、長崎から広島コースの出発式集会が平和公園の平和祈念像前で開催されました。早朝からの雨にもかかわらず、130余名が参加しました。
国民平和行進実行委員会の千北さん(国公労)が主催者挨拶し、そのあと来賓挨拶で被災協の谷口会長が71年前の被爆体験、闘病生活を語り、「若い人たちに被爆体験を継承してもらい、核兵器を絶対になくさなければいけない」と訴えられました。
広島までの通し行進者は五十嵐 成臣さん、竹田 昭彦さん、国際青年リレー行進として韓国からイ・ジミンさん、キム・ジョングンさんの大学院生が行進しました。県内行進者は吉居 博文さん、被災協からも被爆者の田中 安次郎さん、副会長の田中 重光が蛍茶屋まで雨の中、3時間かけて行進しました。