長崎原爆被災者協議会は、1956年6月23日に結成し、10年ごとに結成のつどいを開き、
メッセージを発信してきました。
被爆80年に当たる今年は、世界的な危機的状況となっており、「被爆80年のメッセージ」を
発表し、広く世界に向けてこのメッセージを発信することといたしました。
ここにそのメッセージを発表いたします。

 

 

被爆80年のメッセージ


 

 被爆から80年にあたり、私たち被爆者は、長崎を最後の被爆地にしてほしいとの願いを込めて日本中の人々に、そして、世界中の人々に平和のメッセージを届けます。
被爆者の平均年齢も86歳となり、被爆者に残された年月は少なくなってきています。次の世代へ運動の継承を急がなければなりません。

 この間、広島や長崎の被爆者は、粘り強く被爆の実相を語り続け、核戦争阻止、被爆者援護、核兵器の廃絶を訴え続けてきました。こうした私たちの活動が国連での「核兵器禁止条約」の採択に繋がり、昨年末には、ノーベル平和賞を受賞しました。この歴史的な受賞をすべての被爆者はもちろん、今は亡き被爆者運動の大勢の先駆者とともに喜び合いたいと思います。
他方、この受賞は、核戦争が起きたらどうなってしまうのか、被爆者の悲惨な実体験を通して今日の核戦争への危機を、警鐘を鳴らすものともなっています。

 戦後の日本は、一面焼け野原の荒廃の中からいち早く復興しました。この大きな要因は、平和憲法のもと、二度と再び戦争はしないと決意し努力してきた結果です。
この80年、日本は再び戦禍に巻き込まれることはありませんでした。これは、世界に誇れることです。

 戦後80年が経ち、いよいよ国民の8割が戦争を体験していない時代となりました。あの悲惨な戦争体験や被爆の実相を語り継ぐことは益々重要になっています。
ところが、唯一の戦争被爆国であるはずの日本政府は、核兵器禁止条約に背を向け、アメリカの核の傘にしがみつき、核抑止論に凝り固まっています。日本政府が核兵器禁止条約に参加すれば、世界の核兵器禁止の運動に大きく貢献します。アメリカの核の傘があれば安全が担保されるというのは幻想にすぎません。
 冷戦時代、キューバ危機をはじめ、核兵器が実際に使われそうになった危機が何度も起こりました。
今も、ロシアがウクライナに武力侵攻し核使用をちらつかせています。イスラエルはパレスチナのガザ地区に集団虐殺の攻撃を繰り返し、イランやシリアを空爆しています。アメリカはイスラエルを後押ししてイランの核施設を爆撃しました。
核兵器使用の危険性は確実に高まっていると言わざるを得ません。
核兵器によって戦争を未然に防いでいるという核抑止論はすでに破綻しているのです。
ひとたび核兵器が使用されることがあれば、待っているのは世界の破滅だけです。また核兵器は、保有するだけで様々な危険と環境汚染を生じさせます。

 今こそ私たちは、「核抑止論ではなく核廃絶を」と世界の人々に訴えます。被爆者は、その悲惨さをその苦しみを世界中の人々に今こそ、被爆の実相を伝えたい。
 戦後80年の今年、石破首相は閣議決定を伴う「戦後80年談話」ではなく、首相個人としてのメッセージを出す意向を示しています。アジアをはじめ諸外国に甚大な被害を与えた歴史を直視し、二度と戦争をしないとの平和国家への決意を新たに表明することは政府の最低限の責任です。

 私たちは戦後80年、そして被爆80年の今年、あらためて戦争反対、核兵器の廃絶、世界平和の実現を強く呼びかけます。また、私たちのような被爆者をつくらないために次代を担う若者たちに訴えます。
16歳の時、長崎で被爆し、半身不随になりながらも世界中を飛び回り核兵器の廃絶を訴え続けた渡辺千恵子さんは「未来は若者たちのものです。核兵器のない未来をつくるのは、今を生きる私たちの決意と行動にかかっています」と若者にメッセージを残しました。

 私たち被爆者は、生きている限り、若者とともに頑張り抜く決意を表明して、被爆80年のメッセージとします。

 

                      2025年7月24日
                      一般財団法人 長崎原爆被災者協議会