2024 年 8 月 9 日発行の新聞『被団協』490 号の内容をご紹介します。

被爆79年を迎えて

 1945年8月6日広島、8月9日長崎に投下された原子爆弾による死亡者は、その年の年末までに21万5千人以上と推定されています。その被害者の多くは子供、女性、老人達で一瞬にして無差別に命を奪われました。かろうじて生き延びた被爆者も、放射線による後遺障害に苦しみ、白血病やがん等を発症し次々に亡くなり、偏見や差別による苦しみが今なお続いています。
核兵器は人間らしく生きることも、死ぬことも拒否する絶滅だけを目的とする残酷な兵器であり、人間とは共存できないことを訴え続けてきました。
 2022年ロシアがウクライナに武力侵攻、戦術核兵器使用の演習、又、イスラエルのガザ地区への攻撃は学校や病院までもが攻撃され核兵器の威嚇が続いています。いま世界は核使用の危険な状態へ突入しているのではないでしょうか。
核戦争が起こると壊滅的な被害が想定され、人類滅亡の危機に瀕するといわれています。「核兵器は絶対に使ってはならない。」人類が核兵器のリスクから逃れるための唯一の道は核兵器の廃絶以外はないということを一人一人が自覚することです。
私たちは核兵器禁止条約という「国際的な規範」希望の光を持っています。この条約の加盟国を97ヶ国の過半数に拡大すること、唯一の戦争被爆国の日本が批准する政府をつくることです。
 長崎被災協は、被爆80年に向けて3つのプロジェクトチームをつくり、①これからの被災協の組織、在り方、②世界に向けての広報活動(被爆者80名の動画メッセージ等)、③被爆80年の取組み(憲法9条の碑、記念誌発行等)を進めています。理事、評議員、二世の会、支援者や市民の力を結集して成功に向けて頑張りぬく決意です。

(会長 田中 重光)


長崎被災協 第1回理事会

◆7月19日(金) 13:30~15:30 被災協講堂

 理事15名中11名出席、監事2名出席

被爆80年に向けてのプロジェクトについての報告と意見交流を行いました。世界に向けての広報活動について、ユーチューブでの被爆者の公開が27名、英語字幕19名、紙芝居も池田早苗さんと嘉代子桜を英語ナレーション付きで公開した等の報告がありました。
これからの被災協について、支援いただいた人たちや団体への呼びかけを強化、80年ヘの募金も行うとの報告がありました。80年記念事業について記念誌の発行で役員に情報提供等をお願いすること等の報告がありました。80年声明について、田中会長よりまずは学習した上専門家も交え意見を出し合い討議を進めていく必要があるとの提起を行いました。


横山照子さん、城臺美弥子さん

第15回秋月平和賞 受賞


▲左から横山さん、朝長実行委員長、城臺さん

秋月平和賞は、長崎の反核平和運動をけん引された被爆者で医師の故秋月辰一郎氏の思いを受け継ぎ、平和活動に尽力した個人・団体に贈られる賞です。
2008年に創設され、今回で15回目を迎えます。
昨年は被災協でも被爆体験講話の講師をされている山川剛さんが受賞されました。
今年は、長年にわたり相談員として被爆者の健康や生活への相談活動に尽力され、核兵器廃絶の願いを訴え続けた横山照子被災協副会長、そして教職員時代の平和教育、退職後も被爆講話や被爆遺構ガイドなど継承活動、震災後の福島の子どもたちの健康と暮らしを守る「長崎保養」の活動を続けている城臺美弥子被災協理事のお二人が受賞されました。
お二人は7月15日(日)に行われた核兵器廃絶地球市民長崎集会実行委員会主催「ながさき平和大集会」の会場で表彰が行われました。


高校生が被爆体験を英語の紙芝居に

長崎市の活水高校平和学習部の生徒4人が、長崎被災協の「世界広報」プロジェクトに協力して紙芝居を作ってくれました。
生徒たちは、5月に被爆者の松尾幸子さんから話を聞いて、2ケ月あまりかけて台本を作り、絵を描き英語のナレーションを付けました。
7月26日に紙芝居が完成し、YouTubeの長崎被災協のチャンネルで紙芝居の動画を公開しました。
被爆者が海外に行って核兵器廃絶を訴えるのは年々難しくなっています。その代わりに高校生たちが作った紙芝居が被爆者の声を伝えてくれます。
松尾さんは完成披露の記者会見で「私たちはいつ消えるかわからない。しかし若い人たちがまいた種が広がっていくだろう」と期待を語りました。


核兵器禁止条約の会・長崎

核兵器禁止条約採択7周年のつどい

◆7月7日(日)10:30~11:30 平和祈念像前

2017年7月7日に国連で採択された核兵器禁止条約。現在93ヶ国が署名、70ヶ国が批准しています。採択から7周年を迎えたこの日、約100名が参加し平和祈念像前でつどいが行われました。
子どもたちが「長崎の鐘」などを合唱、共同代表の柿田被災協事務局長は、「軍拡ではなく、この条約をもっと広げていきたい」と述べました。
この日は七夕ということで、参加者は短冊に「幸せに暮らせますように」
「ウクライナ、パレスチナの戦争終結」等の思いを短冊に書き、笹に飾リました。韓国語や英語で書かれた短冊もありました。最後に集会アピールを採択し閉会となりました。


被爆二世の会・長崎

浦上川花壇花植え

7月20日(土) 9時~11時

長崎被災協と二世の会・長崎の共同で、約30名が浦上川緑地帯の花植え活動が行われました。浦上川では多くの被爆者がやけどを負い、水を求め亡くなられました。慰霊の為に、被災協元理事の池田早苗さん(故人)が2014年から始めた取り組みです。今年は長崎総合科学大付属高校の生徒さん約10名も参加し、池田さんの思いを引継ぎ、250鉢のポーチュラカの花を丁寧に植えていました。


被爆二世の会・長崎

原爆・平和パネル展

7月26日(金)~28日(日) 被災協二階会議室

「日本の広島と長崎の町が焼き尽くされてから80年近くがたった今もなお、核兵器は世界の平和と安全に対する明白かつ現存する危険としてあり続けている」とアントニオ・グテーレス国連事務総長。パネル展は被爆の実相を学ぶと同時に平和の希求として毎年二世の会が取り組んでいます。海外からの観光客や、夏休みの親子連れ、長崎の高校総体参加の日本各地から多くの高校生も訪れ、パネルに見入っていました。3日間で369名でした。親子が絵本を読み、平和を学ぶ姿に開催してよかったなという気持ちになりました。


被爆者からのメッセージ

ベトナムやカンボジア等では戦争のために何の罪もない、また憎しみを知らない多くの人々が殺されております。私達も二十五年前は子供であり、何の罪もなく憎しみも知りませんでした。何のために、誰のために血の通った人間同士が憎しみも無い人々と殺しあわなければならないのでしょうか。今日の若い人達は戦争の恐ろしさを知らない人が多い。その戦争を知らない若い人達を「カッコイイ」と云う形で戦争の道に導こうとしています。それを見る時、私たち被爆者は黙って見ていることが出来ません。また私たちが歩いてきたいばらの道を二度と歩ませないためにも、一人でも多くの人びとに戦争核兵器の恐ろしさ、苦しみ悲惨さを知っていただき、また私たちの体験を後世に残し、二十五周年を意義あらしめるために取り組んだわけです。

長崎原爆青年乙女の会編「もういやだ =第二集―」
(1970年7月発行 谷口稜曄あとがきより)抜粋


7月の事務局

1 日(月) 団体要望打ち合わせ(田中、中元)
3 日(水) 80年記念誌編集委員会
5 日(金) 記念事業プロジェクト会議
6 日(土) 平和の誓い 起草委員会(田中)
7 日(日) 核兵器禁止条約採択7周年記念 平和の七夕
9 日(火) 新聞発送
10 日(水) 松山陸上競技場現在地存続要望、長崎市土木課へ要請(溝浦)
13 日(土) 国際青年交流審査会(田中)
15 日(月) 長崎平和大集会(横山・城臺)
17 日(水)~
18 日(木)
被団協代表理事会(田中、横山)
19 日(金) 長崎被災協理事会
20 日(土) 浦上緑地帯花植え、二世の会・長崎総会
23 日(火) 世界広報プロジェクト会議
26 日(金)~
28 日(日)
二世の会・長崎 原爆パネル展(被災協二階)

 

8月の予定

3 日(土) 慰霊祭実行委員会/二世の会・諫早
4 日(日) 百日紅公園の慰霊祭前清掃/二世の会・諫早
二世の会・長崎 理事会
7 日(水) 生協連ピースアクション(八木、城臺、三田村)
新聞発送
8 日(木) 生協連ピースアクション虹のひろば(田中)
9 日(金) 平和祈念式典 二世の会長崎 献花
団体要望(田中、溝浦、中元)
全国胎内被爆者の会との交流会
11 日(日) 諫早慰霊祭
10 日(土)~
18 日(日)
事務所休み
15 日(木) ナガサキ不戦の集い
18 日(日) 被爆体験語り継ぐ会 会議(講堂)