2025 年 9 月 9 日発行の新聞『被団協』503 号の内容をご紹介します。

長崎被災協・大村支部 被爆80年祈念事業

ミライon図書館ミニミニ原爆展 「被爆者の声を世界へ」

◆8月3日(日) 11:00~15:30大村市ミライon図書館

 

長崎被災協・大村支部と被爆二世の会・諫早と大村市共催による取り組み「被爆者の声を世界へ」が行われました。
大村支部より監事の六田正英(ろくた まさひで)氏の被爆体験証言講話、小野 聡氏と iroナガサキの皆さんの二組から平和を希求する歌と演奏、「瀕死の人々は 諫早へ/氏原和雄の救護被爆体験」「百日紅公園の慰霊の碑/清水多喜男の想い」ふたつの紙芝居の上演という内容です。
大宮事務局長より長崎被災協・大村支部の結成について、10年前の2015年に、当時の会長、谷口稜曄被災協会長から、被爆者の声(悩み事、困り事)を、地域の人たちで拾い上げてほしいとの呼びかけに応え、橋貞夫さん、故寺坂イネ子さんが賛同し再結成した経緯などを話しました。
六田さんは瓊浦中学1年生・12歳のときに現在の長崎市宝町で被爆した当時の体験を話し、力でもって抑えようとか、攻撃してきたから反撃するとかでは、平和はできない。
基本的には、話し合いで解決する。
普通に生きる事を幸せであるという事を、心に秘めながら、お互い、平和について、今後とも、考えていきたいと語られました。


講話を行う六田正英さん


小野 聡さんの歌と演奏
私たちの世代は、次の世代につなぐことが大事です。


iroナガサキさんの歌と演奏
被爆二世の会の皆さんとは、先日、長田小学校でご一緒させていただきました


被爆80年記念誌

寄稿者への贈呈

 

8月4日に80年記念誌の完成記者会見を行い、その後、長崎市内の小中学校、県内の高校、大学、支援学校、そして原稿を寄稿した方や協力いただいた方へこの記念誌を贈呈しております。

8月12日(火)には、長崎被災協事務所に最年少寄稿者(11歳)、中原健太くんが北海道からご家族と共に訪問、田中会長や記念誌編集委員のメンバーと交流を行いました。
また、遠方の方へは発送とさせていただきましたが、メールなどでの追加申込や問い合わせが相次いでいます。

★80年記念誌ご希望の方は長崎被災協まで★

問い合わせフォーム https://hisaikyo.jp/contact/

事務所でも購入・お渡しできます。
1冊3,000円(送料込) 学割(大学生以下)・寄稿者2,000円(送料込)

(発送の場合、郵便局の払込票を同封しております)


故山口仙二さん1982年の国連軍縮総会での演説原稿全文

 


氏原和雄さんの救護体験~紙芝居作成と平和の想いを新たに


被爆体験を語り継ぐ会 講師打合せ

8月31日(日)10:00~11:40

 

秋の修学旅行シーズンを前に、講師の打ち合わせ会議が長崎被災協の地下講堂で行われました。
9月4日から12月18日までに予定されている講話は約260件となります。
今後を考えると、新たな講師を迎えることが大事となることから、新たに被爆者1名と今まで平和推進協の家族証言者の被爆二・三世など継承者の講師が4名加わり、計被爆者16名、被爆体験継承者が8名となります。
今後は被爆者と継承者が共に、被爆体験を伝え、核兵器廃絶への思いを伝えていきます。


修学旅行で講話を行う溝浦副会長(9月)


第6回 諫早原爆犠牲者慰霊祭

8月11日(月)諫早市天満町・百日紅公園

 

諫早市原爆被災者協議会主催、長崎被災協・被爆二世の会・諫早の共催による原爆犠牲者慰霊祭が、あいにくの大雨の中、百日紅公園の「慰霊の碑」の前で執り行われました。
原爆での負傷者が救援列車で諫早駅に着いた後にも多くの方が亡くなられ、この地で荼毘に付されました。救護活動や遺体の収容や火葬に携わった人々も被爆者となり、次の世代に影響を及ぼすなど多くの苦しみを背負わされることになりました。


被爆80年 2025年原水爆禁止国民平和大行進 68日間

被爆二世・尾﨑庸美つねみ

 

長年の夢だった国民平和大行進「通し行進」。被爆80年の今年、「富山~広島(日本海コース・8県)」5/28~8/4・68日間への参加がかないました。
距離約610㎞、945,000歩。
 私は、「核兵器禁止条約に日本政府の1日も早い署名・批准、締約国会議へのオブザーバー参加」、「憲法9条を守ること、『被爆の丘に9条の碑を』プロジェクトチーム活動紹介」、「被爆者の願い、私たちが引き継ぎ、核兵器廃絶を1日も早く」を訴えてきました。首長の方々も、被爆者の願いを、1日も早く日本政府に意見書を上げてほしいと思いました。そして「母が語った被爆状況その後、憲法9条への思い」と「被爆2世の出来事」、「核兵器禁止条約第2回締約国会議傍聴参加」「ノーベル賞受賞参加」「NPT参加」などを話させてもらいました。
各県実行委員会の取り組みは、行進方法には工夫・苦労がされていました。
どこも高齢化に苦慮、「被爆者の平均年齢より若いよ」と私は思いつつ、実行委員の皆さんとの交流を楽しみました。特に、石川県での能登半島・地震被災地訪問。たくさん残っている爪痕。街は再建されていますが、人がいないのです。・・米軍に思いやり、軍事にお金を使うなら、今しなければいけないことはここではないかと強く思いました。
次は島根県、私の肩の荷を重くしたのは「原発」、建設中の3号炉、原子力館の展示物、説明文、「防潮堤を高くした」「壁を厚くした」…とうたう安全性。本当にそうなのか、現実を見なさいと言いたかった。もっと学ぶ必要があると感じました。
戦争中の出来事の証言にショックを受けた広島県内通し行進のフィリピンのハイギーさんなど多くの人との素晴らしい出会い、再会の連続でした。
68日間の出来事、一緒に汗を流し、訴えてきたことを、ヒロシマ、ナガサキにいて伝えることができたか、不安が残ります。
たくさんの方から、激励の言葉をいただきました。「宝物をたくさんいただき、次の目標を見つけていただいた」という思いでいっぱいです。
「私たちの活動は終わりではない。核兵器がなくなるまで続くと言われる被爆者の方々が私を支えてくださったと思います。


8月の事務局

3日 (日) 『明日へ』被爆80年集会被爆体験継承漫才 希望の鐘 (長崎被災協・二世の会・長崎共催)
原爆展 ミライ on 図書館 大村支部、二世の会・諫早
4日(月) 80年記念誌 長崎市長贈呈 完成記者会見
5日 (火) 祈りの鐘、希望の音楽コンサート(浦上天主堂)
6日 (水) 広島原爆忌(田中安)  平和行進終結集会
7日 (木) 生協連ピースアクション分科会(八木)原水爆禁止世界大会長崎(田中、横山)
平和行進終結集会
8日 (金) 平和首長会議(横山)生協労連(長野)
原水爆禁止世界大会(田中、今道、溝浦、大石)
マスコミ共闘会議(横山)生協連「虹のひろば」(田中)
9日 (土) 長崎原爆忌 記念式典(流れ献花/松尾幸祐、中島宏幸)
政府要請(田中) 二世の会・長崎献花式
イラン大使懇談(田中、横山、溝浦、柿田)
万灯流し(長崎原爆遺族会、二世の会参加)
10日 (日) マハディール・マレーシア元首相懇談(田中、横山、柿田)
11日 (月) 諫早百日紅公園慰霊祭(中元)
富山反核医師の会オンライン講演(田中)
12日 (火) 北海道中原健太さん来所(田中、溝浦、編集委員会)
世界広報プロジェクト記者会見 新聞発送
15日 (金) 不戦のつどい(田中)
17日 (日) 大牟田の空襲を記録する会(田中。山口徹)
20日 (水) 9条の碑話合い
23日 (土) 豊後大野市教育委員会来所(田中、城臺)
26日 (火) 世界広報プロジェクト会議
27日(水) 医療と福祉を考える懇談会(オンライン/柿田)
28日(木) 日本被団協検討委員会(田中)
29日(金) グリーンコープ ウクライナジャーナリスト対談(田中)
31日(日) 語り継ぐ会講師打ち合わせ会議
山口仙二さんの劇・平和推進協(柿田)

 

9月の予定

1日(月) 消防点検
2日(火) 長崎市土木総務課へ9条の碑建立要請
3日(水) 日本被団協・政府・国会対策委員会(田中)
7日 (日) 被爆二世の会・長崎理事会 九州うたごえ祭典(田中)
9日 (火)~
11日 (木)
韓国代表派遣(田中)
11日 (木) 日本被団協代表理事会(~12日(金))
12日 (金) 天皇陛下来崎(田中) 中央相談所委員会(横山)
13日 (土) 福岡俘虜収容所慰霊祭(溝浦)
14日 (日) イタリア創価学会との対談(田中)
16日(火) ララコープ打ち合わせ 木永先生報告会
17日(水) 80年記念誌編集委員会
21日(日) 長崎平和茶会(山崎)
23日 (火) 長崎県平和文化祭シンポジウム(田中)
24日 (水) 九州ブロック代表者会議(横山、柿田)
26日 (金) 三役会議、理事会