2008年2月9日発行の新聞『被団協』292号の内容をご紹介します。
厚労省が新たな構想を公表
2月からいよいよ協議開始か
説明を受けた与党プロジェクトチームは、その後の記者団との質疑応答から見ると、 基本的な方向については了承し、細部についてはこれから詰めてゆく、ということになった横様です。
また厚生労働省は、1月24日には原爆症認定審査を担当してきた厚生労働省の疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会へもこの『イメージ』を呈示しています。 これまで、DS86と原因確率論を武器に、かたくなな態度で認定を拒んできた同分科会だけに、「これまでの原因確率による審査を全面的に改め、迅速かつ積極的に認定を行うものとする」とした『イメージ』の表現に戸惑いの色を隠せなかったようです。
被団協は交渉団を結成、厚労省へ協議会の申し入れ 日本被団協は、1月19日の弁護団・支援する会合同会議の結果を受けて、原告や弁護団とともに交渉団を結成、1月24日、厚生労働省へ新しい原爆症認定定のあり方についての協議を申し入れ、1月中の回答を求めました。
森内さんらが舛添大臣へ要請 1月11日、長崎の原告団長森内實さんら原爆症集団訴訟 の原告たちは舛添厚生労働大臣と面会し、原爆症認定制度の 改善へ積極的な対応を要請、 37万の署名を提出しました。 |
厚労省の「イメージ」への対応など第5回理事会開く
長崎被災協では、1月24日午後2時から最近の私たちの周りのできごとを整理し、3月末までの期間を視野に入れた私たち
のとりくみを協議するため、本年度第5回の理事会を開催しました。 この会議には、理事でない各会・支部の代表者や相談員の方々も出席しました。
◇厚生労働省の「イメージ」
まず議題になったのは、厚生労働省が明らかにした原爆症認定のあり方についての新構想「新しい審査のイメージ」 で、事務局長がこの夏以降の動きと「新しい審査のイメージ」の内容と問題点を報告、それをもとに意見を交換しました。
◇とりくみの議題を確認
その後会議では、2月から3月半ばが重要な時期であるとの認識に立って、
① 「イメージ」の内容と問題点を被爆者・市民に広める、
②原爆症認定の抜本的改善を求める署 名運動に力を入れる、
③募金活動にとりくむ、
などのこれからの課題を確認しました。
◇核兵器廃絶にも
このテーマでは、2月29日には「ビギニデーを考えるつどい」の開催など核兵器廃絶を目指す取り組みを確認、午後4時半閉会しました。
2月29日にビキニデーを考えるつどい
l月24日にひらかれた長崎被災協第5回(拡大)理事会は、核兵器廃絶をめざすとりくみの一環として、 2月29日の午後2時から長崎市岡町の長崎被災協2階会議室で『3.1ビキニデーを考えるつとい』を開くことを決めました。
1954年(昭和29年)3月1日に南太平洋ビキニ環礁で行われた水爆実験で日本の漁船第五福竜丸などが被災したことを 思い起こし、核兵器廃絶への思いを新たしようではありませんか。
原爆症認定集団訴訟=第2次訴訟口頭弁論ひらく
=第1次訴訟の判決日決まらす=
原爆症の認定を求める集団訴訟の長崎での第2次訴訟(原告18名)の第10回口頭弁始は1月21日午後1時10分からひらかれ、被告国側は原告の急性症状についてABCCからの資料の提供を要請しました。次回は、3月17日の午後1時10分から。
依然不明確な判決日集団訴松(第1次)の27名に対する判決が延びていますが、長崎地裁は今回の法廷でも、期日を指定しませんでした。
原爆症認定厚生労働省の新構想
=新しい審査のイメージ(案)=
厚生労働省健康局
①被爆から長い年月が経過し被爆者が高齢化していること
②放射線の影響が個人毎に異なることなどに鑑み、これまでの原因確率による審査を全面的に改め、迅速かつ積極的に認定を行うこととする。
老人性白内障を除き、積極的に認定する。
(3)心筋梗塞について
放射線起因性が認められる心筋梗塞を認定する。
5・ 2・以外の場合についても、個別審査の上、総合的判断を加え、認定の判定を行う。
厚労省の「イメージ」の問題点
許せない被爆者への線引き、
多すぎる不明確な表現。
まず気になるのは「イメージ」の第2項で、爆心地から3.5キロ以内での被爆かどうかによって被爆者を区別していることです。
3.5キロを超えると原爆による被曝線量は自然界での放射線の被曝線量と変らなくなるというのがその根拠ですが、 この場合の原爆による被曝線量は原爆が炸裂した時に放出される「初期放射線」だけを悪評高いDS86で計算したもの。
誘導放射線も放射性降下物も考慮されていないのです。
「特別被爆者」の復活か
こうした「線引き」で頭に浮かぶのは、1960年8月に設けられた「特別被爆者」制度。
被爆者対策の一つとして医療費の自己負担分を国が支払うことになったとき政府が考えたのが、 すべての被爆者を対象にするのではなく、爆心地から2キロ以内の被爆者を特別被爆者とし、その人たちだけを対象にしたのでした。
こんな不合理な制度に被爆者は怒りました。
やがて消えた特別被爆者制定
特別被爆者の枠は、2年後「爆心地から3キロ以内」に拡大、その範囲はその後さらに広げられ、その挙句74年6月、ついに「特別被爆者」制度は実態に合わないとして姿を消したのでした。
厚生労働省は、原爆症の認定に、この過去の遺物を復活させようとしているのです。
肝臓疾患などをなぜ外す
次に、厚生労働省の「イメージ」では第3項に挙げられている病気に肝臓疾患などがないのも理解できません。
あちこちに不明確な表現
厚生労働省の「新構想」を読むと、不明確な表現に気づきます。 たとえば2項で「格段の反対すべき事由がなければ、積極的に認定を行う」というとき、「格段の反対すべき事由」の有無はどこで判断するのでしょうか。
4項も、このまま読めば、2項でわざわざ線引きをする必要などないはずです。また5項での「個別審査」「総合的判断」の内容もわかりません。
2月3月は大きな山場
厚生労働省は3月中に成文化し、4月から実施する予定です。原爆症問題に決着をつけることができるかどうか、2月から3月中旬は、私たちにとっても大きな山場です。
=読書のコーナー= 「占領と改革」 雨宮 昭一出
これは、思想信条の自由も基本的人権の確立も、婦人参政権そして新憲法の制定も、敗戦とアメリカによる占領によってもたらされたと信じて疑わなかった私にとって、衝撃的な書物でした。
とにかく、戦後改革は占領政策によってもたらされたものではなく、その原点は、1930年代後半にはじまる総力戦時代(国家総動員体制)の社会の中にみることができる、と著者はいうのです。
そういわれてみると、1945年2月14日の天皇に戦争終結を求めた近衛文麿の上奏文が敗戦よりも共産革命を恐れていた意味がわかってきました。
あの頃の日本も、複雑怪奇だったのですね。そういうことも知らず(知らされず)一途に「忠君愛国」を唱えて育った私たち少国民。二度と振り回されてたまるかとの思いを強くしました。(山田)
【岩波新手・700円+税】
長崎被災協1月の動き
4日・仕事はじめ
5日・長崎市立図書館開館祝賀会(谷口)・県労連放びらき(山田)
6日・平和研究所運営委員会(山川)
9日・新聞『被団協』発送作業
10日・全国原告団会議(森内、山田)
11日・披団協代表理事会(山田)~12日まで・長崎弁護団会議(柿田)
12日・訴訟支援街頭宣伝
16日・被爆体験者の集い(山田)
19日・訴訟を支援する会全国代表者会議(山田)・訴訟支援街頭宣伝
21日・第二次訴訟第10回口頭弁論
24日・第5回(拡大)理事会 25日・訴訟支援で団体オルグ活動はじまる
26日・訴訟支援街頭宣伝