2008年11月9日発行の新聞『被団協』300号の内容をご紹介します。

 千葉地裁でも勝訴判決
◇血小板減少症などを認定◇
厚労省ついに12連敗

 10月14日、千葉地裁は、原爆症認定を求める裁判で、4名の原告について、いずれも厚生労働大臣の却下処分は違法とし、すでに新しい審査の方針によって認定されていた2名については訴えの利益 がないと棄却する判決を、まだ認定されていない2名については厚生労働大臣の却下処分を取り消す判決を、それぞれ言い渡しました。
この判決で、全国でとりくまれてきた 原爆症認定を求める集団訴訟で原告側は12連勝(新しい方針策定後では6連勝)したことになり、厚生労働省は、早急な全面的解決をせまらることになりました。

今回の千葉地裁での判決は、まず旧・審査の方針が依拠したDS86や原因確率は一応の合理性はあるものの、そのい ずれにも限界があり、これらを機械的に適用して放射線起因性を判断することは正しくないとし、具体的な被爆の状況、被爆後の行動、急性症状の有無など全体的に考慮した上で判断すべきだとしています。
なお、同判決は血小板減少症、食道静脈癌「肝硬変、 陳旧性心筋.梗塞症(発症から1 ヶ月以上経過した心筋梗塞症)、脳梗塞後遺症について、原爆の放射線に起因するものと認めました。

厚生労働省、またも控訴
この判決を知った全国の集団訴訟を支援する会、原告団、弁護団は、厚生労働大臣宛に「控訴するな」の要請を集中しました。しかし、厚生労働大臣は、10月17日、またも控訴し、全国から怒りの声が厚生労働大臣へ送られました。 長崎被災協も、18日、抗議文を送りました。

自民党議員懇がコメントを発表

10月14日の千葉地裁判決を受けて、自民党・原爆認定を早期に実現するための議員懇談会は、同日「今や被爆者救済と原体症認定訴訟の早期解決は、国民的課題となっている」と指摘し、「国は今回の判決ならびにこれまでの司法判断を重く受けとめ、控訴をして何の罪もない被爆者をこれ以上苦しめることのないよう強く求めるものである」というコメントを発表しました。

共産党もすみやかな全面解決を政府に要求
共産党被爆者問題委員会も、 10月17日、
①控訴を行なわず、集団訴訟の一括解決をはかること。
②肝機能障害や甲状腺機能障害を「積極的認定」の対象とする事をはじめ「新しい審査の方針」を再改定すること。

③膨大な審査の滞留について、特別の体制を取り認定作業をすすめること。
の要求を挙げ、「国・厚生労働省がこれまでの切り捨て認定行政を深く反省し、すみやかに問題を解決するよう重ねて強く要請する」という文書を
舛添厚労大臣へ送りました。

 



 ◇長崎からの参加18名・九ブロ相談事業講習会◇
沖縄の地に160名集う

 ことしの九州ブロック相談事業練習会(中央相談所主催) は、10月13日・14日の2日間沖縄で開かれ、九州・沖縄8県から160人が参集熱心に講義を聴き、夜の交流を楽しみました。 長崎からは18が参加、講習会終了後、戦跡や平和の礎をめぐり、ひめゆり部隊体験者から沖縄戦の実態を聞きました。



 

 

平和市長会議への加盟
市では92%へ到達

前号 (10月号) の『被団協(長崎)』 で、長崎県下の平和市長会議への加盟状況について、「市」 では佐世保市、大村市、壱岐市が未加盟とお知らせしましたが、その後大村市、壱岐市が加盟、残りは佐世保市1市となりました。



「基本要求」掲げ24年・打ち破ろう戦争被害受忍論

全国で展開された「要求調査」をもとに、私たち被爆者の願い、私たちの思いをまと めた『原爆被害者の基本要求』案が発表され、全国都道府県代表者会議で採択されたのは、今から24年前の1984年11月17日のことでした。11月という月は、このように私たち被爆者が日本政府、アメリカ政府そして全ての核兵器保有国政府への要求を明らかにし、これを広く普及する事を決意した月なのです。

私たち被爆者がこの時期に、私たちの願い、思いをまとめたのには訳がありました。それはその4年前の12月に厚生大臣の私的諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇軟会」(基本懇)が、
原爆の被害を含めて、戦争の被害は国民としてがまん(受忍)するのが当然という「意見」を発表したのです。
こんな「意見」がはびこると、「国は原爆の被害を償え」という私たちの願いは踏みにじられ、日本はまた戦争への道を歩むことになるかもしれません。
日本被団協は、早速被爆者は何を求めているのかの調査にとりくみました。そ してその要求をもとに、戦争被害受忍論を打ち砕き、私たちの思いを明らかにする文書を作ったのです。それが『原爆被害者の基本要求』です。
1978年3月、最高裁判所は韓国人被爆者孫振斗さんの裁判の判決で、「原爆医療法」には、国家補償的な配慮がある、という趣旨の判決を言い渡していました。「基本懇」は、それもがまんできなかったので、1968年の最高裁判決を蒸し返そうとしたのです。
やがて「基本懇」の意見は、政府・厚生省の意見となりました。例えば松谷英子さんの裁判で、地裁・高裁と敗訴した厚生大臣は最高裁への上告理由書の中で「戦争被害受忍論」を主張したのでした。
『原爆被害者の基本要求』 (200円)は、被災協にも置いています。ぜひ、もう一度買って読んでみましょう。(山田)


ことば

 1968年の最高裁判決
太平洋戦争が始まったために、外地にあった資産を没収された人が、講話条約で損害賠償を請求できなくなったのは国の責任だと、国に補併を求めた裁判で、最高裁は1968年11月「戦争中から戦後の占領時代には、国民の全てが生命・身体・財産について犠牲を余儀なくされていたのであり、こうした犠牲は国民がひとしく受忍すべきもの」という理由でこの補償を認めませんでした。
のちに厚生大臣は、「基本懇」の季長にこの時の裁判官の1人を加え、戦争被害受忍論の立場からの「意見」(原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について)を書かせたのです。

1978年の最高裁判決
広島で被爆した韓国人孫振斗さんが、密航してきて逮捕されている時に原爆手帳を申請し、広島市が却下したことに対して起こした裁判で、l978年3月、最高裁は「原爆による障害は、さかのぼれば戦争という国の行為によってもたらされたものだから、原爆医療法には国が自らの責任でその救済をはかるという性格があり、実質的に国家補償的配慮が制度の根底にある」とし、原爆医療法が軍人軍属への戦争被害補償のように日本国籍を持つ者に限るのではなく、外国人にも適用されているのも国家補償的配慮の現われだとして、広島市の却下を取り消し、孫さんの主張を認める判決を下したのでした。

 


 

 

 

長崎被災協10月の動き

2日・大和荘抽選会(池田)

3 日・県へ監査資料提出

4日・県九条の会呼びかけ人会議(山田)

8日・平和推進室中村室長と平和市長会議加盟自治体の拡大などについて懇談(山田)

11日・地球市民集会実行委負会(山田)

13日~15日・沖縄で九州ブロック事業事業講習会。本県から18名参加

14日・千葉地裁判決

21日・民主党福田えり子氏ら来訪

22日・いきいきコープ理事会(柿田)

25日・市民大行進 29日・長崎弁護団会議(山田)