厚労省に新たな動き
=口頭陳述へのいやがらせ(?)=
診断書などの提出を要求
自分の病気を原爆症として認定してもらうには、申請書に医師の診断書、意見書を添え、長崎市や長崎県を通じて厚生労働省へ提出します。
認定されないときは、却下の通知が来て、そこには却下という決定について納得できない場合は、「異議申し立て」や裁判を起こすことができるとの記載があります。
誰にでもできる口頭での意見陳述
「却下」の通知が届き、それに納得できなかったら、通知が届いた翌日から60日以内に 「異議申し立て」をすることができます。その時に、文書で出すだけでなく、厚生労働省の担当者に会って、被爆の状況や病気の発生の様子・病気の経過などを話したいと申し出ることもできるのです。そのことを「口頭での意見陳述の申し出」といいます。このことは、厚生労働省の却下通知書には書いてありませんが、「行政不服審査法」という法律で定められている私たちの権利なのです。
新大臣のもとでの新たな対応
これまで厚生労働省に異議申し立てをする際、「長崎での口頭による意見陳述」をしたければ、その旨を「異議申立書」に記載しておくと、厚生労働省の方で適当な日時を設定し、厚生労働省の係官が長崎へ出張してきて、異議申し立て者本人や補佐人の意見を聴取していました。
ところがことし11月になると、厚生労働省は長崎で口頭陳述をしたかったら、上京できない理由を明らかにし、たとえば医者の証明をつけて申し出よ、というのです。
高齢者の病人に東京へ出て来いとは…
被爆者の平均年齢は78歳といわれています。そして原爆症認定を申請した人たちはみんな病人なのです。そんな人たちに、話をしたかったら東京へ出て来いなんて、被爆者の実態をよく知っている人なら、言えるはずはありません。なぜ、いまになって厚生労働省はそんなことを言い出したのでしょう。新しい大臣の指示なのでしょうか。
長崎被災協は、このような厚生労働省の態度に、きびしく抗議したところです。
◇民主党が市民との交流会◇
=被災協からも、「要求」を提起=
原爆症認定審査の不当性など
11月19日午後1時半から長崎新聞社ホールで、民主党のタウンミーティング(市民との交流集会)が開かれ、約400人が集りました。長崎被災協からも、坂本副会長と山田事務局長が出席し、山田事務局長が
(1)原爆症認定制度の抜本的改善と
(2)国家補償の被爆者援護法制定へ向けての協力を求めました。
(1)については、①原爆症の認定審査は、l件あたり平均1分8秒に過ぎないことを指摘、もっと時間をかけた丁寧な審査が必要と強調、②異議申し立ての審査では、この1年間に427件を審査していて、異議が認められたのは僅かに4件に過ぎないことを示し、行政不服審査法の趣旨にも反すると訴えました。
(2)については、私たちが求める「援護法」の内容を資料で示し、成立をめざしての協力を要請しました。
県議会議長へ要望書提出
=県立図書館問題=
県立長崎図書館は長崎市にという被爆者5団体のとりくみについては11月号でも触れましたが、その後も大村市などの誘致運動は続いていることを重視した被爆者5団体では、10月31日、県議会に宮内議長を訪ね、県立長崎図書館の設置が長崎国際文化都市建設法に由来するものであることを明らかにし、「私たち被爆者5団体は長崎県立図書館の再整備の地は長崎市以外に絶対ありえない旨を表明し、長崎市での再整備を強く要望します」という《要望書》を渡して要請しました。
◇おねがい◇
新しい国家補償の被爆者援護法へのご感想をお待ちしています。
》第2回「定期協議」傍聴記《
歯切れの悪さを自覚する(?)小宮山厚生労働大臣
神田 富美枚
「定期協議」といえば、普通、隔月とか3カ月ごととかに開かれる協議会などを思い浮かべますが、2010年1月の第1回の開催がら1年10カ月ぶりの開催でした。
11月18日午後5時半より、厚生労働大臣との第2回目の定期協議が厚生労働省の会議室でおこなわれ、冒頭、日本被団協、原爆症認定集団訴訟原告団、同全国弁護団の連名で 「原爆症認定に関する統一要求書」が提出されました。
協議では、はじめに被爆者代表の久保山栄典さん、坂本治子さんが、声を詰まらせながら意見陳述を行い、被爆の惨状、その後の困難な生活、・病歴の数々を述べ、原爆症の認定のあり方を被爆者の立場に立って変えるよう求めました。
このあと厚生労働省側はあくまでも現行の被爆者援護法に則り原爆症認定を適正に行っていると述べました。
田中・日本被団協事務局長、木戸同事務局次長、山本原告団団長、板井弁護士、坪井日本被団協代表委員が、これまでの判決と現在行われている審査内容が乖離していることを指摘し、現在の審査の方針の撤廃を求めてきびしく迫りましたが、小宮山厚生労働大臣は、「これまで被爆者の方々のお話はずっと聞いてきましたので、お気持ちはよくわかっている」としながらも、「審査の方針の改定は原爆症認定制度の在り方に関する検討会で審議した上で、法改正したい」と繰り返しました。
そして最後に 「歯切れが悪く、被爆者の皆さんはイライラされたことでしょう。今の私の大臣としての立場では、これだけしか言えないのです」と述べました。
傍聴席の80人の一人として私は、小宮山さんが「被爆者のお気持ちは良くわかっている」というのであれば、大臣になった今こそ、被爆者行政を血の通ったものにしてほしい、とつくづく思いました。
急がれる原爆症認定制度の改訂、新たな国家補償の被爆者援護法の制定に向けて、私たちの取り組みを強めていかなければと感じました。
定期協議とは…
ここでいう「定期協議」とは、2009年8月6日に麻生太郎内閣総理大臣と日本被団協代表委員、同事務局長との間で締結された確認書第4項で、「厚生労働大臣と被団協、原告団、弁護団は、定期協議会場を設け、今後、訴訟の場で争う必要のないよう、この定期協議の場を通じて解決を図る」と定められたものです。第1回は2010年1月にひらかれ、今年11月にようやく第2回目がひらかれました。
長崎被災協55年の歩み
(4)200年4月~2009年3月
2007年
4月2日
原爆症認定集団訴訟中央行動
4月22日
長崎市長選で田上富久氏が当選
5月11日
被爆者5団体第代表が長崎市長と面談
7月10日
被爆者5団体で「原爆投下はしようがなかった」と発言した久間代議士へ公開質問状を送付
8月9日
被爆者5団体と総理との懇談の席上,安部総理が原爆症認定のあり方を見直すと発言
9月15日
証言集『明日に生きる看たちへ』発行
9月 22 日
アメリカのコネチカット州の大学の招聘で山田事務局長が広島の木谷事務局長とともに訪米
11月19日
大分で九州ブロック相談事業講習会
12月3日
原爆症認定集団訴訟の勝利をめざす中央大行動に、森内原告団長ら6名が参加
2008年
2月12日
アメリカのイージス艦の長崎港入港に反対し、被爆者5団体で抗議の声明を発表
3月17日
厚生労働省が原爆症認定について「新しい審査の方針」を発表 長崎被災協は翌18日に抗議の声明を発表
6月23日
原爆症認定集団訴訟第1障27名へ判決。勝訴20名、直ちに「厚生労働省は控訴するな」の行動へ
6月28日
厚生労働省が控訴
10月13日
沖縄で九州ブロック相談事業講習会
12月22日
福岡高裁で原爆症訴訟控訴審はじまる
2009年
1月19日
市民病院間題で被爆者5団体が長崎市長へ要請
3月13日
被爆者与団体としてソマリア沖への自衛艦派遣で政府へ抗議文を送付
長崎被災協 11月の動き
1日 |
いきいきコープ時津祭り実行委員会(柿田) |
2日 |
平和案内人学習会で被爆者問題について報告 (山田) |
3日 |
久留米市で九州地区空襲被害者交流集会 (山田) |
4日 |
被爆者5団体で九州電力本社へ申し入れ (山田) |
8日 |
長崎大学の平和講座で被爆者問題について報告 (山田) |
9日 |
新聞「被団協」発送作業
映画センター「1枚のハガキ」試写会 |
11日 |
第4回理事会 |
12日 |
県9条の会・憲法集会で野口邦和氏が講演 (坂本・山田)
九州・中国地区被爆2世交流会 (柿田) |
13日 |
さよなら原発1万人集会・福岡 (柿田) |
18日 |
第2回被爆者団体などと厚生労働大臣との定期協議(森内・柿田) |
19日 |
中民主党タウンミーティング (坂本・山田)
全国弁護団・支援ネット合同会議 (柿田) |
22日 |
いきいきコープ理事会 (柿田) |
26日 |
長崎被災協2世のつどい (山田・広瀬・柿田) |
27日 |
いきいきコープ時津祭り (柿田) |
29日 |
原発問題での県・市議会対策で被爆者5団体打ち合わせ (山田) |
長崎被災協事務局では、皆さん方からのご投稿をお待ちしています。季節のご感想、最近の政治へのひと言、長崎被災協へのご注文など。200字程度にまとめて下さい。
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