長崎被災協緊急支援募金
1 月 31 日現在 10,049,075 円
核兵器禁止条約発効 1 周年つどい
1 月 22 日(土)午前 10 時半より、長崎市松山町の平和祈念像前に被爆者、被爆二世、市民、高校生らが 150 人集まり、「核兵器禁止条約発効 1 周年のつどい」を開催しました。
なお、コロナ感染予防対策を徹底して行いました。
主催者の被爆 5 団体の代表がそれぞれ挨拶し、長崎原爆被災者協議会の田中重光・会長は「世界にはたくさんのヒバクシャがいる。日本は締約国会議に参加し、リードすべき戦争被爆国。」と述べました。
長崎選出の古賀友一郎・参議院議員(自民党)は「核兵器をなくすことは人類共通の目標。日本は締約国会議にオブザーバー参加すべき。世界に原爆の被害を訴える責務がある。」と述べ、また末次精一・衆議院議員(立憲民主党)は「日本はどうして先頭に立つことができないのか。我々は禁止条約を広げることが重要です。」と述べました。
11 時 2 分の黙とうのあと、核兵器禁止条約の禁止事項である「実験」「製造」「生産」「取得」「保有」「貯蔵」「移譲」「使用」「威嚇」のプラカードとイラスト(漫画家・西岡由香さん作成)を掲げ、参加者が唱和しました。
最後に「集会アピール」を採択し、長崎のうたごえ協議会メンバーの「青い空は」の歌で閉会しました。
被爆体験者は被爆者です
1 月 13 日(土)13 時半より市立図書館メモリアルホールで長崎被爆地域拡大協議会による「被爆体験者の救済を求める意見交換会」が行われました。
広島の「黒い雨」訴訟の原告勝訴で、国の被爆者認定制度の見直しが進められています。
長崎被爆地域拡大協議会の峰松巳・会長は 「被爆体験者は被爆者だと国に認めさせよう」と挨拶しました。
「被爆体験者」は長崎で原爆にあいましたが、国が定めた「被爆地域」(当時の長崎行政区)の外のため、被爆者と認められていません。
国は広島の「黒い雨」を浴びた人のみを救済し、長崎の被爆体験者は対象外としています。
国は「長崎で黒い雨が降った客観的資料はない」と主張していますが、長崎県保険医協会の本田孝也・会長は、広島高裁の裁判資料や論文、マンハッタン調査団の測定結果などの資料が長崎の黒い雨が降ったことを示している、さらにその後、放射能が検出されていると話しました。
長崎県と長崎市は、広島のみを認定しようとする国の考えは受け入れられないとし、三者で協議が行われています。
日本被団協は黒い雨被害者及びすべての原爆被害者への援護施策を求め、1 月 20 日、国へ要請書を送りました。
長崎原爆資料館運営審議会
原爆資料館の展示内容の在り方について、原爆資料館審議会で議論されています。
発端は 3 年前に長崎市議会議員から「南京大虐殺はなかった」として市側に是正を求めたことでした。
長崎原爆資料館の展示は検定教科書を基準にしていますが、ここ数年「南京大虐殺」を「南京事件」などと変更している出版社が増えています。
これを受けて長崎市は南京大虐殺などに関する歴史認識が変化しているので表記の仕方を検討する必要があると昨年 3 月の審議会で提起し、今年 1 月 14 日に第 2 回原爆資料館審議会が開催され、議論しました。
教科書の記述変更は歴史認識を改めようとする政府の影響が考えられます。
戦争がどのように始まったのか、原爆がなぜ投下されたのかを今一度考えてほしいと思います。
「南京大虐殺はなかった、朝鮮人の強制連行はなかった、従軍慰安婦の運営に軍や政府は関与していない」などの歴史の
改ざん、修正によって日本の戦争責任を免罪し、二度と戦争はしないと世界に誓った憲法を踏みにじり、日本が戦争をできる国にしようとする政治的な圧力が長崎原爆資料館にも及んできているのではないでしょうか。
原爆資料館は世界に向かって戦争の愚かさ、核兵器廃絶を発信しています。
その展示は国際的に通用するものでなければと思います。
(会長・田中重光)
長崎被災協結成66周年のつどい
長崎被災協の結成 65 周年は昨年 6 月 23 日でしたが、コロナの感染拡大のため祝賀会を開催することができませんでした。
今年 6 月 25 日(土)11 時より 13 時、五島町のサンプリエールで長崎被災協結成66 年祝賀のつどいを計画しています。
諫早・百日紅公園の原爆犠牲者慰霊碑前
被爆二世の会・諫早と地域の方々で慰霊碑の周辺の草刈りを定期的に行っていますが、広い公園で慰霊碑の奥はうっそうとしていて、先へ進む事をちゅうちょされたという話も聞いていました。
しかし、今は写真のようにきれいになっています。
公園奥にある嘉代子桜の成長をご覧になられる方が増えるのではないかと期待するとともに、有り難いと感謝しています。
ぜひお出かけください。
(被爆二世の会・諫早)
平和公園の被爆遺構、碑の紹介
長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂
原爆死没者のうち、一家全滅または身元不明のため無縁となった遺骨が安置されています。
現在、8964 柱の遺骨が安置され。身元が判っている遺骨 122 柱は現在も遺族調査を実施しています。(2006 年以降遺族への返還はなし。)
当時は無縁死没者の遺骨は、寺院や町内会が中心となり埋葬されました。
1947 年には駒場町に納骨堂が建設され、多くの原爆死没者の遺骨を安置、長崎市等が市内外の無縁遺骨を引き取り、1958 年には平和祈念像の西側に「長崎市原子爆弾死没者慰霊納骨堂」が完成しました。
現在の建物は 1994 年に建替えられたものです。
納骨堂には、福田須磨子さんの姉の豊後レイコさんの夫 豊後則章さんが制作した観音立像があります。
豊後さんは仕事の傍ら仏像彫刻を学び、長崎原爆被災者協議会を通じて、須磨子の 13 回忌にあたる 1986 年、慰霊納骨堂に寄贈されました。
(参考資料:論文:平和モニュメントと観音像:君島彩子)
長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂
豊後則章さん制作観音立像
1月の事務局日誌
5日(水) | 仕事始め |
6日(木) | 新聞発送 |
11日(金) | 核兵器禁止条約の会第 3 回会議 |
13日(土) | 「被爆体験者意見交換会」 |
15日(土) | 被爆二世の会・長崎理事会 |
18日(火)~19日(水) | 日本被団協代表理事会オンライン(田中、横山) |
22日(土) | 核兵器禁止条約発効 1 周年のつどい |
25日(火) | 日本被団協二世委員会オンライン(柿田) |
2月の予定
5日(土) | RECNA 核兵器廃絶市民講座 |
7日(月) | 日本被団協起草委員会オンライン(田中) |
9日(水) | 新聞発送 |
16日(水) | 平和推進協会運営委員会オンライン(田中) |
21日(月) | 日本被団協起草委員会オンライン(田中) |