2004年8月9日発行の新聞『被団協』250号の内容をご紹介します。

『被団協』250号目次
1・原告団長に森内実さん
2・10月にはシンポ開催へ
3・三ツ山支部会が総会数
4・CD「明日こそきっと」
5・「語り合い学びあうつどい」ひらく
6・月刊誌となって20年
7・長崎被災協7月のうごき

 


原爆症認定集団訴訟
原告団長に森内実さん

副団長に浦川・北尾・深井の三氏

 7月7日にひらかれた原爆症認定集団訴訟の原告のつどいで、原告団長に森内実さん(西彼・長与町)、副団長に浦川学さん(長崎市新戸町)、北尾孝子さん(長崎市錦町)、深井治夫さん(長崎市三原1丁目)が選ばれました。次回裁判は8月31日に
7月12日にひらかれた第8回口頭弁論では、予定通り原爆被害の実態を示す証拠として被爆者側が提出したビデオ「ヒロシマ・ナガサキ核戦争のもたらすもの」が法廷で上映されました。
また、公正な判決を求める裁判長あての署名2万名分も提出されました。
次回は、8月31日午後1時10分の開廷。傍聴券の抽選のため、12時30分までに地裁ロビーに集合するよう「支援する会」では呼びかけています。

全国の提訴状況
(都道府県名)
(提訴者数)
 北 海 道
6名
 宮   城
2名
 茨   城
1名
 東   京
29名
 千   葉
1名
 静   岡
2名
 愛   知
4名
 京   都
1名
 大   阪
1名
 兵   庫
4名
 広   島
41名
 島   根
1名
 山   口
1名
 高   知
1名
 長   崎
27名
 熊   本
14名
 鹿 児 島
7名

合   計
146名

10月にはシンポ開催へ
拡大理事会、「方針」の具体化はかる

 長崎被災協は、7月6日午後2時から本年度第3回拡大理事会をひらき、ことしの活動の具体化について協議しました。主なものはつぎの通りです。
ことしは、被爆60周年を来年にひかえた年であり、核兵器廃絶にとっても核不拡散条約再検討会議の前年でもあることから、例年以上に力をいれた取り組みが確認されました。小峰さんの訪米も承認
4月の谷口副会長の訪米につづいて8月の小峰秀孝青年乙女の会事務局長のアメリカ遊説も承認しました。

語りあい学びあおう
被爆者問題や核兵器問題について市民とともに学びあい語りあうとりくみも確認され、そのための「つどい」の定例化することになりました。また10月には公開のジンポジュウムをひらいて原爆投下の犯罪性と日本政府の責任を明らかにすることも決まりました。このシンポジュウムは、来年7月末に東京でひらかれる国際市民会議につながるものとして企画されます。

積極的な要請活動も
現行法になって10年目のことし、長崎県や長崎市の行政に被爆者の思いを反映させようと、要請活動にも積極的にとりくむことにしました。
このほか、理事会では集団訴訟、語り継ぎ書き残すとりくみ、核実験への抗議、文化行事などへの支援・協力等についても確認、来年・再来年の記念事業についても検討に入ることを決めました。

支部・会のうごき
三ツ山支部が総会

 長崎被災協三ツ山支部は7月25日午後7時から犬継公民館で総会をひらきました。ことしは、新しい加入者を迎えての総会だっただけに参加者も20名を超え、支部のあり方をめぐって活発に意見が交換されました。また、長崎に5つの被爆者団体が生まれた経過や、長崎被災協の現状などについての質問も出されました。総会は、午後8時半に終わりました。

…被爆者のねがい託して…
CD『明日こそきっと』
普及活動はじまる

 7月号でご紹介した平和への思いをこめたCD『明日こそきっと』が完成、8月1日から普及活動がはじまりました(1枚1,500円)。
このCDの標題の歌『明日こそきっと』には、吉田勲さん、田中重光さん、谷恵美子さん、野口エミ子さん、池田早苗さん、松谷英子さん、川口重美さん、広畝百枝さん、窪和世さん、犬塚洋子さん、横山照子さん、田川代枝子さんの12名の被爆者と「ながさき・うたの日」に集う16名がコーラスで参加。また収められている『決意』は、原爆症認定集団訴訟勝利への決意、二度と被爆者をつくらない決意をこめた歌です。お問い合わせは長崎被災協まで。

次回は9月25日
「語りあい学びあうつどい」ひらく

被爆者問題・原爆問題を市民とともに語りあい、学びあおうという長崎被災協としては初めての「つどい」が7月24日午後2時から被災協2階会議室でひらかれ、26名が参加しました。
「つどい」は、理事田中重光氏の司会で進行、葉山会長の挨拶のあと、問題提起を行った山田事務局長は、1980年12月に基本懇(原爆被爆者対策基本問題懇談会)が発表した「意見」の内容と背景、その意味するものについて約40分報、「基本懇意見」の戦争被害受忍論は単に一諮問機関の意見ではなく、いまも国の基本政策として生きていると強調しました。
その後約1時間半意見を交換、次回は9月25日に開催することを決めました。

~本紙も250号となりました~
月刊となって20年

 それまで不定期に発行していた長崎被災協の新聞を、1983(昭和58)年12月に月刊紙「長崎被災協ニュース」として第1号を発行してから20年9ヶ月、途中「被団協(長崎版)」と名称は変わりましたが、1回も休刊することなく、今月号で250号となりました。
この間、毎月毎月、会員の皆様のところへ届けてくださった支部・会の役員、担当者の皆さま、本当にご苦労様でした。また、これからもよろしくお願いいたします。
創刊号ではトップで、きびしくなった健康管理手当のことが理事会で論議され、市と交渉することがきまったと報じていますが、1980(昭和55)年に厚生大臣の諮問機関・基本懇が、現行制度を悪平等と批判したため,健康管理手当がヤリ玉に挙げられ,不当な却下が目立ったのでした。長崎被災協でも的確に対応、長崎での健康管理手当の受給率は、被爆者の95%を超えています。

月刊第一号



月刊第二号



長崎被災協7月のうごき

02日 ・原爆青年乙女の会理事会ひらく
06日 ・第3回(拡大)理事会を開催
・ワールドピースナウ実行委員会に出席(山田)
07日 ・祈念式典打ち合わせに出席(葉山)
・ 集団訴訟原告の集い、相談員の会ひらく
・ 集団訴訟弁護団会議に出席(山田)
09日 ・ 新聞『被団協』発送作業
12日 ・原爆症認定集団訴訟第8回口頭弁論
・ 原爆青年乙女の会が総会をひらく
19日 ・鹿児島での九州ブロック各県代表者会議に出席
→20日まで(葉山・山田)
21日 ・いきいきコープ理事会に出席(柿田)
24日 ・市民平和行進出発集会であいさつ(葉山)
・ 第1回「被爆者(原爆)問題を語りあい、学びあうつどい」ひらく
25日 ・三ツ山支部が総会をひらく
26日 ・「支援する会」代表委員会ひらく
28日 ・CD「明日こそきっと」完成の記者会見
30日 ・「アジアの若者のつどい」に出席(下平・山田)
31日 ・核実験に抗議する市民の会が座り込み30周年のつどいをひらく