2009年1月9日発行の新聞『被団協』303号の内容をご紹介します。

   賀 正 
ことしも大事な年 力を合せてがんばりましょう

会長 谷口 稜曄

 

 

被災協会員の皆様とそのご家族の皆様、長崎県下の被爆者とそのご家族の皆様、そしていつも変わらぬお力添えを いただき、私たちをはげまして下さる大勢の皆様、新年、明けましておめでとうございます。
長崎被災協も、ことしで結 成53年目を迎えますが、 2010年という大事な年を前にして、核兵器なくせ、憲法を守れ、の課題に、積極的にとりくむつもりです。今年もよろしくお願いいたします。
2010年という年は、世界の190の国々が加盟している核不拡散条約(NPT)について有効な道を探るための会議(NPT再検討会議)がひらかれる年です。前回の005年の会議がうやむやのうちに終わっただけに、2010年の会議はぜひ成功させなければなりません。
日本被団協は、NPT再検討会議にあわせて、国連本部での二度目の原爆展の開催を計画しています。今年の夏には、国際組織・平和市長会議の総会が長崎で開かれます。8月の原水爆禁止世界大会は、長崎がメイン会場です。こうしたとりくみに私たちも積極的に参加しましょう。
2010年はまた、一般に国民投票法とよばれている 「日本国憲法の改正手続きに関する法律」が5月に施行される年です。例の田母神論文も憲法改悪をねらう勢力の露払いとみていいでしょう。私たちも、今年から本腰を入れて、憲法を守れ、9条を守れの運動を発展させなければなりません。
幸い 「ノーモア ヒバクシヤ 九条の会」の全国的な動きも活発になりました。
ここ長崎でも、他の「9条の会」と手を取り合って、憲法改悪の動きを阻止するための大きな砦を築こうではありませんか。  被爆者は高齢になりましたが、原爆の生き証人として、
お互いに励ましあい、がんばりましょう。


 ◇原爆症認定集団訴訟◇
はじまった福岡高裁での審理
 森内さん、中島さんが意見陳述

 いよいよ福岡高裁での審理がはじまりました。12月22日の法廷には、長崎から貸し切りバスで駆けつけた48名に、地元福岡県被団協会長はじめ福岡の皆さん方、さらに同じように福岡高裁でたたか
っている熊本県被団協会長を先頭に熊本の皆さん方も加わり、福岡高裁の広い傍聴席もほぼ埋まりました。
この裁判は、被爆者側と国側双方が控訴しているため、裁判長は、被爆者の側を一審原告、国側を一審被告と呼んでいました。
裁判は、その一審原告の代表としての森内寛さんと中島智津子さんの意見陳述ではじまりました。
原告団長の森内さんは、長崎地裁が国に対する損害賠償を認めなかったことについて

  1. ①厚生労働省が使った「審査の方針」は法の趣旨に反するものであること
  2. ②却下されたことによる被爆者の苦しみは「新しい審査の方針」によって認定されても拭い去ることはできないこと
  3. ③却下の理由さえ示せない却下処分は 違法であること

を指摘、高裁では、厚生労働大臣へ損害賠償を命じてほしいと訴えました。

ついで長崎地裁で原爆症と 認められなかった中島智津子さんは、長崎地裁の判決は、残留放射線による内部被曝の可能性を認めながら、「被爆線量は低いと推測される」として切り捨てるなど、原爆被害のとらえ方が表面的であり、特に残留放射能による被害を軽視していると指摘、被曝放射線量がゼロというのならともかく、僅かでも原爆の放射線に起因する可能性があるのなら、積極的に認定すべきだと主張、戦後63年たっても私の体の中では戦争はまだ終わっていないと結びました。
このあと、魚住弁護士と中村弁護団長が意見を陳述し閉廷しました。
福岡高裁での第2回の審理 は、3月16日午後1時半からひらかれます。

第2次控訴も山場へ
 1月26日に原告尋問

 長崎地裁で審理が続いている原爆症認定第2次集団訟についても、いよいよ原告本人尋問がはじまります。これまで文書でなされていた原告(被爆者)と被告(厚生労働省)の主張を本人にただすことで裁判所が判断しようという手続きです。
この第1回目が、1月26 日午前10時80分からと午後1時40分から、さらに午後2時40分から行われます。支援する会では、傍聴席を埋め尽くし尋問を受ける原告を励まそうと呼びかけています



◇突然現れた知事の新病院計画◇


 

 

どうなるの?原爆病院
  いまこそ充実した被爆者医療を

 老朽化し手狭になった長崎市民病院を、市立成人病センターと合併し、敷地も拡大していまの場所(長崎市新地町)に新築するという計画で、長崎市が用地の買収もほぼ完了していたところでした。
そこへ長崎県知事が「建てかえるなら原爆病院を合併し、高度な医療に対応できる病院にすべきだし、設置場所も、新地では狭いので、新しくできる長崎駅の西側の空き地を使ったらいい」と提案、長崎市は一旦は断ったものの、再度の知事の要請に、2月をめどに検討に入りました。
知事の提案で被爆者にと って重大な関心事は、今ある原爆病院はどうなるのかということです。

県の構想・原爆医療 センター計画
知事の案でも、原爆病院はなくなるものの、新病院の中に原爆医療センターをつくり、47床のベッドを置き、4人の医師と1人の研修医を配置するとしています。現在、原爆病院のベッドは360床で、そのうち300床をいつも使っていて、被爆者が使っているのは、そのうちの100床程度とか。新病院でも
原爆医療センターでの不足分は一般病床を当てるので、原爆病院がなくなっても心配いらないし、新病院は高度の医療ができる設備と医師、看護師をそろえるので、被爆者もこれまで以上に安心して医療を受けることができる、と説明し、それでも心配なら、新病院の名前に「原爆」の字をいれてもいい、とまでいっています。

被爆者医療への被爆者の思い
被爆者の思いは、「原爆医療センターの病床が不足したら一般病棟のベッドを使う」とか「病院の名前に(原爆)をつける」というのではないはずです。
被爆者は、たとえ風邪で原爆病院を訪れても、全身を被爆者として診てほしいのでそれも、単に放射線に起因する病気としてだけでなく、熱線、爆風とともに放射線を浴び、そのうえあの地獄としかいいよ
うがない惨害を体験したための精神的な苦痛に痛めつけられた被爆者として、全身を診てほ しいのです。
だから、被爆者は原爆病院を心と身体の拠り所として信頼し、原爆病院へ行くのです。

世界的にも貴重な 原爆病院
そう願うとき、4名の常勤の医師で1人の研修医の世話をしながら、47床のベッドがあれば被爆者対策としては十分だ という知事の「新構想」に疑問を感じ、不安に思う被爆者が出てくるのは当然でしょう。
被爆者なんて、もう何年かしたら死んでしまうさ、という声も聞こえるようです。
医師不足を解消するため、研修医にとって魅力ある病院をつくることも大事でしょう。 高機能の医療ができる救急病院も必要でしょう。だからといって、被爆者医療を縮小していいはずはありません。
被爆者はまだまだ生き続けます。さらに、「手帳」所持者だけではなく、健康診断受診者証所持者も、さらに二世、三世も被爆者医療の対象です。
「原爆病院」は、世界的にも貴重な病院のはずなのです。

 



原 爆 症 認 定 状 況

(昨年4月17日から12月8日まで)

認定数 構成比
第1部会 663 40.3
第2部会 679 41.3
第3部会 81 4.9
第4部会 10 0.6
総合審査 86 5.2
事務局取扱い 125 7.6
合 計 1644 100.0


第1部会 消化器系以外のガン
第2部会 消化器系ガン
第3部会 白血病、副甲状腺克進症
第4部会 白内障、心筋梗塞
事務局扱い 原因確率10%以上

ここでわかるように、1644名が認定されていますが、その95%は「新しい審査の方針」で積極的認定とされている被爆者で、3.5キロ以上離れたところでの被爆者や指定された5つの病気以外の病気の人たちは放置されているのです。

 


 

長崎被災協12月の動き

1日・長崎地裁で第2次訴訟口頭弁論

6日・国民救援会総会(森内)

7日・集団訴訟関係全国集会(山田)

8日・不戦のつどい

10日・市民病院の件で長崎市企画部より来訪・弁護団会議(山田・柿田)

11日・新病院計画の件で県保健部長、日赤県事務局長が来訪

15日・県による新病院構想について説明会(山田・柿田)

16日・県の主催で公益法人説明会(山田・柿田)
・市民大行進部会(谷口)

18日・原爆病院運営委員会 (谷口)

20日・県九条の会呼びかけ人会議(山田)

22日・福岡高裁で第1回口頭 弁論

24日・年末恒例の恵の丘訪問   (谷口・坂本・柿田)