謹 賀 新 年
ことしは被災協を結成して55年目の年
=国家補償実現へ大きな一歩を=
会長 谷口 稜嘩
皆さん、明けましておめでとうございます。
ことしは、日本被団協、長崎被災協を結成して55年目という大事な年です。
1954年(昭和29年)3月の南太平洋ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で、第五福竜丸をはじめ多くの日本漁船が死の灰を浴び、日本がヒロシマ、ナガサキについで3度目の核兵器の被害を被ったことで、原水爆反対の声は日本中に広がったのでした。そして翌1955年8月に広島でひらかれた原水爆禁止世界大会は大成功をおさめ、それまで放置されてきた被爆者も励まされたのでした。
その後、地元へ帰った被爆者は、組織づくりにとりくみました。同時に長崎では「来年は長崎で第2回原水爆禁止世界大会を開こう」と、その準備にとりかかったのです。
こうして第2回世界大会を控えた1956年6月23日、長崎被災協結成集会が国際文化会館講堂でひらかれ、1千人余の市民が集まって、長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)ができたのです。さらに第2回原水爆禁止世界大会で長崎に集まった全国各地の被爆者によって、同年8月10日、同じ会場で、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が誕生したのでした。
それから55年。私たちは長崎被災協、日本被団協結成以来の私たちの願い、「核兵器なくせ!」「原爆の被害への国の償いを!」と、日本中に、そして世界へ向かって呼びかけてきたのです。
あれから55年。まだ核兵器はなくならず原爆被害への国の償いも実現していません。
私たちが自分たちの組織を作って55年。核兵器を許さない世界、戦争の被害はがまんしろという政府を許さない日本を築くため、さらに、みんなの力を結集しようと訴えて、年頭のご挨拶とします。
私たちが要求する被爆者援護法・案
- 現行の『援護に関する法律』前文を改正し、原爆被害に対する国家補償を趣旨とし、あわせて核兵器の廃絶への決意を明記すること。
- 原爆死没者の遺族に対して弔慰金、あるいは特別給付金を支給すること。
- 被爆者全員に被爆者手当を支給すること。
- 厚生労働大臣は、被爆者が、政令で定める負傷又は疾病に罹患した場合は、その負傷又は疾病に対して医療を給付し、手当を加算すること。
- 被爆者が、上記の政令で定めのない原爆傷害で、原子爆弾の傷害作用による負傷又は疾病に羅患した場合には、被爆者援護審議会の議を経て厚生労働大臣が認定することができるものとすること。
- 被爆二世、三世に関する実態調査を実施し、希望する者には二世・三世手帳を発行し、健康診断・がん検診を実施すること、およぴ、政令で定める疾病に対して医療費を支給すること。
- 在外被爆者に対しても、その国情に応じて法の完全適用を行うこと。
- 被爆者健康手帳の交付要件を見直すこと。
新しい法人組織への移行についても協議
=被災協第5回(拡大)理事会=
長崎被災協は、12月17日午後2時から、被災協2階会議室で今年度第5回(拡大)理事会を開催し、9月22日の第4回理事会以降の経過を確認するとともに、3月末までの主な取り組みを決めました。
(1)国家補償の被爆者援護法の実現をめざす課題
このことについては、まず被災協内部での理解をどう深めるかが重要であることを確認し、それぞれの支部・会でも努力することにしました。さらに被災協だけでなく、核兵器廃絶を願う諸団体の中にも、被団協、被災協が考えていることの内容と意義を広めるため努力することになりました。
(2)非核3原則の法制化をめざすとりくみ
このことについては、市議会・町議会へのとりくみが進んでいないことを反省し、対策にとりくむことと、改めて被災協内部や市民の協力を求めて署名活動についても前進を図ることになりました。
(3)新しい法人組織への移行について
2008年にできた新しい法人制度によって、現行の社団法人、財団法人がなくなり、新しい制度へ移行することにともなって、長崎被災協としても2013年度までに新しい「公益財団法人」として認定を受ける必要があることが報告され、当面、来年6月の評議員会で規約案をつくり、会計体系を整理し、2012年度中に新しい公益財団法人としての認可を受けるというスケジュールが提案され、承認されました。
■新しい「法人」制度への移行とは■
12月の理事会で検討した新しい法人制度とは一体何でしょうか。
実はこれまで長崎被災協は「財団法人」という形で運営されてきました。「法人」というのは、人と同じように財産を持ったり、契約をしたりすることのできる団体のことなのです。
財団というのは、財産を中心にした団体のことで、利益を追うのではなく、社会的な働きをする団体のことなのです。 会社などは「人」を中心とした団体で、さらに会社として自分たちの利益を追求する団体なのです。
実は、こうした法人のあり方についての法律が変わったので、長崎被災協も新しい制度に合った団体にしなければ、単なる人の集まりになるのです。団体として財産をもつことができないと、たとえば預金通帳も個人の名義(たとえば会長の名義)にしなければならず、混乱を生じるかもしれません。
その点、やはり「法人」としての資格を持つ団体の方が便利なのです。そこで、その準備を始めようということを12月の理事会で決めたのです。
そのためには、いま『寄付行為』と呼んでいる「規約」も変えなければなりません。
個人の利益のためでなく、社会の為に貢献しているという《審査》も受けなけれ ばなりません。
長崎被災協は、新しい制度の下で、新しく発展しようとしているのです。
田中事務局長は被爆者対策の抜本的改善を要求
= 厚生労働省の「検討要員会」ひらく =
厚生労働省の「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」の第1回会合が12月9日東京で開催されました。日本被団協からは坪井 直代表委員と田中照巳事務局長が委員として出席し発言しました。
坪井代表委員は、被爆者対策の会話にふさわしく、自分の被爆体験を明らかにし、田中事務局長は、人類史上未曾有の原爆の被害は戦争によってもたらされたものであることを指摘、この原爆の被害は、放射線、熱線、衝撃波、爆風によってもたらされた複合的かつ総合的被害であることを強調、被爆者対策の抜本的改善を求めました。
厚生労働省は、審議のための資料として「原子爆弾被爆者対策について」という文書を配布しましたが、その中では、たとえば「原爆症認定制度の概要」として、「原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し、又は疾病にかかり、現に医療を要する状態にある被爆者にする状態にある被爆者に対し、必要な医療の給付を行う」という原爆医療法当時からの基本的なこの制度の性格については全く無視、厚生労働大臣の認定を受けた被爆者には「月額13万7千余円の医療特別手当が支給される」と偏った説明で終わっている例もみられます。
■ 私たちが求める原爆被害への国家補償とは ■
人を殺したり傷つけたら、刑法上の罪を問われるのは当然ですが、同時に、その相手に謝罪し、その証として相当額の金銭を支払うのも当然でしょう。
戦争の場合は例外だ、ということはできません。先の戦争は、政府(大日本帝国患法では天皇)によって始められました。政府が始めた戦争で、国民が死んだり、傷ついたり、財産を失ったら、戦争を計画し、実行した政府が責任を負うのが当然なのです。
ところが政府は、被爆して2ケ月たつと、救護所さえも閉鎖し、被爆者を放り出してしまったのでした。
12年たって、被爆者と国民の声に押され、政府は原爆医療法をつくりましたが、政府が目を向けたのは放射線の被害だけ。それも放射線の被害かどうかは証明するのが難しいのをいいことにして、被爆者が申し立てても認めようとしませんでした。この考えはいまも続いているのです。
ひどいのは、亡くなった方々への対応です。この65年間何もしていません。
いまの日本国憲法は、その前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し…」と述べています。この憲法の「決意」を実のあるものにするためには、かつての戦争被害に対する国(政府)の責任を果たさせなければなりません。「原爆被害への国家補償を!」というのは、そのことなのです。力をあわせて、原爆被害への国家補償を実現させましょう。
長崎被災協12月の動き
4日 |
佐世保市で日本平和大会、谷口会長が挨拶 |
8日 |
不戦の集い、山田事務局長が閉会挨拶 |
12日 |
日本被団協主催「基本懇シンポジウムj(山田、柿田) |
17日 |
第5回(拡大)理事会 |
21日 |
市民大行進部会(谷口)・恵の丘訪問(谷口・坂本・柿田) |
28日 |
仕事おさめ |
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