2011年11月9日発行の新聞『被団協』337号の内容をご紹介します。
意気高く諸「課題」達成めざし
=幅広い国民的な大運動へ=
日本被団協全国代表者会議開く
日本被団協の全国都道府県代表者会議は、10月19日午前9時30分から東京港区の東京グランドホテルで開かれ、6月の総会以後の情勢と運動の課題について田中事務局長が報告したあと、
①原爆症認定問題の現状と課題、
②原発からの撤退要請、
③現行法改正運動の課題について、
事務局からの報告を中心に討論を行い、当面の課題を確認しました。
なお、6月の総会で決めた 「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」との連携については、組織的には別組織ですが、「継承する会」の意義を重視し、これから連携を強め、被爆者の記憶遺産を後世に伝えるとりくみを発展させるため、密接な連携をとってゆくことになりました。
現行「援護に関する法律」を改正し、原爆被害への国家補償を求める運動については、被爆70周年までの要求実現をめざし、被爆者団体だけの運動ではなく、地域における幅広い国民運動として展開すること、政府、国会、国会議員に対する取り組みを重視すること、地方議会での決議も重視して取り組むこと、などが提起され、確認されました。
また各ブロックで開かれる相談事業講習会(九州は12月8日・9日福岡市で開催)でも、これらについて討議をすることになりました。
この日本被団協の代表者会議と国会要請行動に、長崎からは理事・池田早苗、同・田中重光、事務局の山田拓民、横山照子、柿田富美枝の5名が参加、20日の中央行動では山田が厚生労働省交渉へ、池田・田中・横山・柿田は国会での議員要請行動にとりくみました。
被爆者は、現行法を次のように改正するよう求めています。 1 ふたたび被爆者をつくらないとの決意をこめ、原爆被害に対する国の償いと核兵器の廃絶を趣旨とする法の目的を明記すること。 (2) すべての被爆者に被爆者手当を支給し、障害を持つ者には加算すること。 2 原爆死没者に償いをすること 3 すべての被爆者に償いをすること 4 被爆二世・三世に対して、被爆者に準じた援護施策を実施すること 5 被爆者手帳の交付要件を見直すこと。 6 在外被爆者に対し、その国籍にかかわらす法の完全適応をおこなうこと。 |
結成55周年のつどい ◇日本被団協◇
県立図書館の建物が老朽化し、建て変えの時期が来ています。ところが、ここにきて大村市が県立図書館の誘致の声を挙げたのです。
実は県立図書館は、長崎市を国際文化都市にするという法律が1949年に特別立法として制定され、その中の重要施設の一つとして設置されたものなのです。その後、職員らの努力で、一般図書はもとより、長崎原爆に関する図書は完壁といわれるように充実し、今日の長崎原爆の研究に大きく貢献してきたのでした。もちろん古くから国際交易の窓口であった長崎そのものの資料の収集にも努力のあとが見られ、貴重な資料が保管されています。
更に長崎市には、大学をはじめ研究機関も多く、被爆者5団体では、10月27日、ぜひ長崎市に新築・設置するよう県や県議会へ要請しました。
県立図書館は長崎市に 被爆者5団体が県へ要請
県立図書館の建物が老朽化し、建て変えの時期が来ています。
さようなら原発1000万人アクション・ナガサキ
9月19日午後1時30分から長崎市松ケ枝埠頭緑地で 「さようなら原発1千万人アクション・ナガサキ」の第1回の集会があり、市民600人が集まりました。
集会では、各団体などからの熱気をこめた発言の後、繁華街を通って長崎市中央公園までのパレードが行われました。
浜の町では国連への署名運動も
同じ9月19日午後4時半からは、長崎市立図書館の会議室で、「核兵器全面禁止のアピール賛同署名運動」の実行委員会結成集会がひらかれ、国連へ提出する署名推進を確認しました。なお、この実行委員会では、早速、9月23日午後5時から1時間、長崎市浜町で同署名運動を展開、途中飛び入りの高校生2名を含めて24名が参加、1時間で293名の署名を集めました。
10月に全国代表者会議 日本被団協
日本被団協は、先の総会、代表理事会で決めた核兵器廃絶・国家補償の被爆者壊護法を実現するための決起集会として、10月18日・19日の両日、東京で全国都道府県代表者会を開きます。この会議は、6月の総会会以降の運動の進捗状況を点検し、被団協としてのとりくみのさらに一層の発展をめざすのが目的です。したがつて、これからのとりくみの成否にかかわる大切な会議となります。
また会議の翌日(20日)は、政府や国会議員への要請行動が計画されており、長崎被災協事務局でも、議員会館の国家補償の被爆者援護法への理解を求めての行動を成功させるための準備にとりかかりました。
なお、この代表者会議へ長崎からは、理事の横山、池田、田中の3氏と、山田事務局長、柿田事務局次長が出席する予定です。
九ブロ講習会まであと1ケ月
福岡市で開かれる九州ブロック講習会まであと一ケ月。12月8日午前9時に被災協を出発、有意義な講話を聴き、楽しい懇親会、本音で話し合える分科会。帰りは玄海原発を眺めながら現地の人の説明を聞きます。
参加費は22,000円。参加希望者は被災協へ。
原発は潜在的核抑止力(?)
「だから原発はなくせない」
石破元防衛大臣が本音
福島原発の事故からまもなく8カ月。放射線の不安は衰えず、さらに、福島第1原子炉廃炉終了まで30年余が必用とも言われている時、「原子力発電所はいらない」「クリーンなエネルギーを」の声が起るのは当然です。
「もう原子力発電所はいらない」の声が高まる中で、どうも政府の脱原発への動きが鈍いのではないか、と不審に思う声もひろがっています。そうしたとき、とんでもない意見も流れています。それが、「核の潜在的抑止力」論です。
これまで防衛庁長官、防衛大臣を歴任してきた石破氏はこういいます。 自民党政調会長 石破 茂氏の主張 「原発を維持するということは、核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れるという(核の潜在的抑止力)になっていると思っています。
逆に言えば原発をなくすことはその潜在的抑止力をも放棄することになる。」 原発技術はごく短期間で核兵器保有を可能に ここでいう「一定期間」について、このあと石破 茂氏は、こういっています。
「核の基礎研究からはじめれば、実際に核を持つまで5年や10年かかる。しかし、原発の技術があることで、数か月から1年といった比較的短期間で核を持ちうる。加えてわが国は世界有数のロケット技術を持っている。この2つを組み合わせれば、かなり短期間で効果的な核兵器を現実化できる。」
そう、原子力発電所を持っているということは、いまは核兵器を持たなくても、核兵器が必要なときには、いつでもごく短期日のうちに核兵器を作ることができるということであり、そのことが日本を攻撃しようと思っている他国にそれを思いとどまらせるカとなる。それが彼の言う「潜在的抑止力」論なのです。
彼にとってはだから、(なくせ原発)なんて、潜在的抑止力をもなくしてしまう「危険思想」となるのでしょう。
(石彼氏の発言は、雑誌『サピオ』10月5日号による。 )
長崎被災協55年の歩み
(4)2006年4月~2007年2月
2006年
4月6日
原爆症認定全国統一行動
4月15日
原爆症認定訴訟を支援する会総会
4月23日
被爆者5団体で国民保護計画をめぐる講演会
5月 3日
憲法記念日 午前中長崎市水辺の森公園で「九条フェスタ」
午後は市民文化ホールで講演会
5月12日
大阪地裁で原爆症認定集団訴訟初の判決、9名の原告員勝訴
5月22日
厚生労働省、大阪地裁の判決を不服として控訴
5月27日
第49回定例評議員会、第2回理事会
6月21日
バンクーバーでの平和フォーラム参加のため谷口会長が出発
6月24日
長崎被災協結成50周年のつどい
8月 2日
集団訴訟にかかわって県選出国会議員への要請行動⇒10日まで
8月29日
日本被団協結成50周年のつどい(長崎市で開催)
10月 1日
谷口会長が遊説のため渡米
10月 21日
第三回核兵器廃絶地球市民集会
11月22日
被爆者5団体が、国民保護計画について長崎市で街頭宣伝
12月 3日
宮崎市で九州ブロック相歌手業講習会 長崎からは38名参加
12月 5日
被爆者各団体、佐世保市役所を訪問、国民保護計画について要請
2007年
2月 8日
国民保護計画について被爆者5団体が長与町長へ要請
2月 20日
同じく時津町へも要請
長崎被災協 10月の動き
1日 | 憲法公布65周年の行事について 県9条の会呼びかけ人会議 (山田) |
2日 | 核兵器廃絶の署名運動 (山田) |
4日 | 資料館 (谷口) |
5日 | いきいきコープ新大村事務所祝賀会 (柿田) |
6日 | 大和荘抽選会 (谷口) |
11日 | 新聞『被団協』発送 各団体へ「援護法署名」「核兵器廃絶署名」を要請に訪問 (坂本、広瀬、池田、田中、山田、柿田) |
13日 | 資料館ホール(谷口) |
14日 | 県立図書館の立替えを巡って被爆者5団体で打合わせ (山田) |
17日 | 日本被団協代表理事会 (山田) |
18日 | 日本被団協都道府県代表者会議 (池田・田中・山田・横山・柿田)→19日まで |
20日 | 中央での要請行動 (池田・田中・山田・横山・柿田) |
長崎被災協事務局では、皆さん方からのご投稿をお待ちしています。季節のご感想、最近の政治へのひと言、長崎被災協へのご注文など。200字程度にまとめて下さい。