2012年1月9日発行の新聞『被団協』339号の内容をご紹介します。

 謹 賀 新 年 
「援護に関する法律」から「国家補償の被爆者援護法」へ
長崎原爆被災者協議会 
会長 谷口 積嘩


 被爆者の皆さん、そして私たちを暖かく見守り、変わらぬご支援・ご協力をいただいている皆さん、明けましておめでとうございます。

昨年は、東日本大震災と大津波、そして東京電力福島原発の悲惨な事故の中で4月の新年度を迎えたのでした。特に原発事故については、政府は収束宣言を行ったものの、実態は「収束」どころではありません。

思えば私たちは、核兵器については「人類と共存できない」と世界に訴え、その廃絶のために声を挙げてきましたが、原発については《安全神話》の虜となっていました。
電力会社は、膨大な資力を使って虚偽の情報を流し、政府もそれと一体となって《全神話》をふりまいてきたことが、私たちにはわからなかったのです。
私たちは、昨年の運動方針でこの点を反省し、「福島原発事故については、放射線被害隠しを許さず、被害者への完全な補償の実現をめざし、福島県民と連帯してとりくみます」と誓い、被爆して12年目にようやく被爆者健康手帳を手にし、健康診断を受診できた私たちのようなことは、絶対に福島で再現させてはならないと指摘したのでした。
その日本政府は、原爆被災から67年日を迎えるというのに、いまなお原爆死没者に対する補償を拒み、原爆によってもたらされた障害に対してもきちんと対応しようとしていないのです。私たちはこれ以上がまんできません。

ことしは、いまの『援護に関する法律』を変え、『国家補償の被爆者援護法』制定へ向けて、大きな一歩を踏み出す年です。(私たちが求める新しい「国家補償の被爆者援護法の内容は下の「私たちが求める『国家補償の被爆者援護法』をご覧下さい)
高齢とはなっても、隠居どころではありません。原爆の被害への国家補償の実現は、核兵器廃絶への大きな一歩なのです。お互いに力を合わせがんばりましょう。


 私たちが求める『国家補償の被爆者援護法』

1 ふたたび被爆者をつくらないとの決意をこめ、原爆被害に対する国の償いと核兵器の廃絶を趣旨とする「法」の目的を明記すること。

2 原爆死没者に償いをすること。
(1)原爆死没者に対して謝罪し、弔意を表すこと。
(2)原爆死没者の遺族に対して弔慰金あるいは特別給付金を支給すること。
(3) 原爆死没者が生きていた証しとして、原爆死没者名を碑に刻むこと。
(4) 8月6日、9日を原爆死没者追悼の日とし、慰霊、追悼事業を実施すること。

3 すべての被爆者に償いをすること。
(1)戦争によって原爆被害をもたらしたこと、原爆被害を放置し、過少に評価してきたことについて謝罪すること。
(2)すべての被爆者に被爆者手当を支給し、障害を持つ者には加算すること。
(3) 被爆者の健康管理と治療・療養及び介護の全てを国の責任で行うこと。

4 被爆二世・三世に対して、被爆者に準じた援護施策を実施すること。
(1)被爆二世・三世に関する実態調査をすみやかに実施すること。
(2)希望する二世に対して、被爆二世手帳を発行すること。
(3)(2)の手帳所持者の健康管理と治療・療養を国の責任で行うこと。

5 被爆者健康手帳の交付要件を見直すこと。

6 在外被爆者に対し、その国情にかかわらず法の完全適用を行うこと。


 『国家補償の援護法』にしぼって討議被災協第5回(拡大)理事会ひらく  

長崎被災協は、12月14・15日に開かれた日本被団協の代表理事会を受けて、これからの長崎被災協としての取り組みの成功をめざし、12月22日午後2時から今年度第5回の拡大理事会を開催しました。
会議では山田事務局長が、2015年(被爆70周年)には国家補償の被爆者援護法制定をめざし、

①署名運動の展開、

②県議会、市・町議会へのはたらきかけ、

③国会議員への要請行動

④学習活動、

などこれからのとりくみのあらましを提起、意見を交換、これからも、さまざまな形で意見を出し合い、意思疎通をはかりながら、運動の前進をめざすことになりました。会議には、理事・監事10名、評議員7名が参加しました。


24~26日には東京で代表者会出講と政府・国会への要請行動

 日本被団協は、今月24日~26日に東京で都道府県代表者会議を開催するとともに、26日の午後は、政府や政党、国会議員などへの要請行動を展開し、「国家補償の被爆者援護法」制定へ向けての理解と協力をもとめることにしています。長崎からもこの計画に複数での参加をめざし、人選に入りました。


 ◇疑問と回答◇
 いまの「被爆者の援護に関する法律」と、原爆被害へ向き合うこれまでの政府の対応をめぐって… 

Q 今の法律(原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律)は、どこがいけないのでしょうか?

A 1994年12月にできた今の法律は、新しくできたというよりは、それまでの二つの法律(原爆医療法と被爆者特別措置法)をくっつけて、若干補充した法律なのです。
したがって、当初の法律の欠陥をそのまま引き継いでいます。
①まず、原爆で亡くなった方々は原爆の最大の犠牲者なのに、亡くなった方々への措置は何一つないのです。
②原爆の傷害作用というと、いまでは中学生でも、熱線・爆風・放射線を挙げるでしょう。それなのにこの法律では、放射線被害にしか目を向けていないのです。さらに、あのような地獄を体験した被爆者は、心にも深い傷を負っているはずです。ところが法律がそんなことは全く無視していて、問題にしているのは放射線だけなのです。これだけみても、今の法律ではダメだということがいえるでしょう。

Q でも、放射線による病気だけでもとりあげてくれるのならいいではありませんか?

A たとえばガンなど放射線による病気の多くは、ほかの原因でも起る病気なのです。だから、ガンになったから原爆のせいだと本人は思っていても、被爆者を担当している厚生労働省が「いや、それは原爆のせいじゃないよ」というと素人の私たちには、そうじゃない、原爆の放射線のせいだと反論することはとても難しく、法の対象からはずされてしまうのです。
その点、長崎・広島へ進駐してきた占領軍兵士の場合、21種類のガンが指定されて原爆による病気としてアメリカ政府が治療し、亡くなると弔慰金を支給すると開いています。この方が余程、理にかなっていますよね。

Q 国はなぜ、放射線に固執して、熟線や爆風による被害を外すのでしょうか?

A 厚生労働省は何も言っていませんが、一つには、放射線の場合、目にも見えず匂いもない、浴びても跡も残らない、だから「私はあの時、放射線を浴びたはずだ」という被爆者に「そうじゃないよ」といい易いこと。もう一つは、爆風や熱線をとりあげると、一般戦災者も対象とせざるを得なくなるからではないでしょうか。政府は「戦争の被害は、一般国民ならガマンすべきだ」という考えにすっかり凝り固まっているのです。本当は、戦争の被害者には、何もしたくないのです。

Q あの戦争の反省の上に戦後の日本があるのだから、そんな考えはおかしいじゃありませんか。憲法違反ですよね。

A 全くおかしいのです。だから被爆者が「原爆の被害への償い」を求めて、新しい法律を!といっているのは、実は、日本国憲法の通用する日本を!ということなのです。

Q いまの法律は、核兵器廃絶にも触れていると聞いていますが…。

A いまの法律では、その前文で、「核兵器の究極的廃絶」といっています。「究極」とは、ずっとずっと遥か先のことなのです。それまでは、核兵器を認めるということですから、私たちは承服できません。

私たちが求める新しい「国家補償の被爆者援護法の内容は上段の「私たちが求める『国家補償の被爆者援護法』をご覧下さい。 (山田拓民)

 


 長崎被災協55年の歩み 
(4)2009年4月~12月

4月18日
平和推進協会が結成25周年記念シンポ開催。
5月 3日
憲法記念日 市民団体の手で長崎市水辺の森公園で恒例の「憲法フェスタ」開催
5月 4日
長崎県九条の会主催で「憲法さるく」
5月 22日
新聞労連主催の学習集会で山田事務局長が被爆者問題について報告。

5月27日
集団訴訟を支援する中央行動。
6月1日
原爆症問題で長崎市議会各会派へ要請
6月
2日
同上県議会各会派へ要請
6月3日
同上各政党県本部へ要請
6月
5日
同上長崎市内にある国会議員の事務所へ要請
6月30日
長崎地裁へ公正判決要請署名1万人分を提出
7月26日
うらかみ9条の会で被爆者問題について報告
7月27日
核持ち込み密約問題について被爆者5団体で抗議の記者会見。
8月 4日

 アメリカの平和団体の要請で、理事田中重光さんが渡米。

8月 6日
日本被団協が麻生首相との間で、集団訴訟終結についての「確認書」に調印。
8月
 26日

「確認書」をめぐっての学習集会を開催。中村尚達弁護士が経過と異議について報告。
9月 25日
玄海原発へのプルサーマル導入の計画について九電へ抗議した被爆者5団体が県へ申し入れ
11月14日
九州で初めてのノーモア ヒバクシヤ9条の会を開催(15日まで)
11月27日
長崎市で日本被団協中央相談所主催相談事業講習会(28日まで)



長崎被災協 12月の動き

1日 新法人組織の許での評議員を選ぶ評議員連定委員会を開催
(柿田)
3日 一橋大学名誉教授で長崎青年乙女の会とご縁が深かった石田忠先生を偲ぶ会
3日 「県立図書館は長崎市に」と被爆者5団体で要請 (山田)
6日 被爆者5団体で九州電力本社へ申し入れ (山田)
7日 被爆者5団体で「原発なくして自然エネルギーヘ」と市議会へ陳情
(山田)
8日 福岡市で九州ブロック相談事業講習会(9日まで)
長崎からの参加者19名
帰途、佐賀の玄海原発を見学
12日 新聞『被団協』発送作業
14日 日本被団協代表理事会(山田)→15日まで
21日 長崎市三ツ山町の恵の丘長崎原爆ホーム訪問(谷口・坂本)
22日 第5回(拡大)理事会
28日 仕事収め