2013年1月9日発行の新聞『被団協』351号の内容をご紹介します。

新春に思う
繰り返させるな戦争の悲劇
会長 谷口稜曄

新年、明けましておめでとうございます。

新しい年は明けましたが、年の暮れに政権についた政党は、選挙の中では、日本国憲法を改正し、自衛隊から他国との戦争のできる国防軍への転換を主張していた政党だけに、これからの動きが気がかりです。

憲法改正には、衆・参両院で、それぞれに3分の2以上の賛成で国会が発議し国民投票に付し、過半数の賛成を得ることが必要ですが、すでに与党は衆議院で3分の2を超える議席を持っており、参議院でも憲法改正に同調しそうな政党はないわけではなく、日本国憲法は、まさに危機的な状況にあるといっても過言ではありません。

しかも他方、市民の側にも戦争を知らない世代が過半数を占め、好戦的な政治家の言動を「かっこいい」と受け止める傾向があることも否定できません。
こう考えたとき、私たち被爆者の使命の重さを思わざるをえないのです。

確かに私たちは高齢となりました。しかし、戦争の愚かさ、その被害の残酷さを身をもって知り、二度とあのような悲劇を繰り返してはならないと心に誓った私たちだけに、軽々しく「戦争」をもてあそぶ風潮に厳しく向き合い、彼らの愚かさを明らにする責任があるのではないでしょうか。

何も大見得を切ったり、大演説をする必要はありません
被爆して大変な目にあった私たちが、その被害の事実を、静かに語ってあげればいいのです。これまで口を閉ざしてきた方も、今年は思い切って話してみてはどうでしょう。こうして世の中を替えようではありませんか。

 


◇アメリカがまたも核実験◇
オバマ大統領へ抗議文送付
長崎の被爆者5団体が連名で

 アメリカ政府は、ネバダの核実験場で、12月5日(現地時間)、臨界前核実験を行ったと発表しました。オバマ政権下では7回目、通算27回目の核実験でした。
アメリカ政府は、核実験は核兵器の安全性と信頼性を維持するためのもだといっていますが、そのことは言い換えると核兵器をいつでも使用できる状態に置いておくということです。つまり、核兵器による威嚇にほかなりません。

オバマ大統領は、かつてプラハでの演説で「核兵器のない世界を目指す」と宣言し、ノーベル平和賞を授与されました。この宣言に忠実であるなら、核兵器の廃絶にこそ取り組むべきなのです。

被爆者5団体(長崎被災協、被爆者手帳友の会、被爆者手帳友愛会、原爆遺族会、平和運動センター被爆連)は、12月7日付でオバマ大統領あてに抗議文を送付しました。

日本被団協も今回の核実験に対し、「臨界前核実験は、核抑止力による威嚇の維持を誇示するものであつて、容認できない」という趣旨での抗論文を送りました。


◇原爆症認定審査の実態◇

却下理由を欠落させた却下通知書は違法文書

 被爆者が原爆の放射線が原因で病気になった場合、国はその病気の治療をし、手当てを支給することになっています。これは、被爆者対策の法律ができた1957年4月に始まった制度で、ほとんど変わらないまま、現在まで続いています。原爆の放射線が原因でその病気になったのかどうかは、厚生労働大臣が任命した疾病障害認定審査会が審査します。そこで原爆の放射線が病気の原因と認められなかった場合、厚生労働大臣は「却下」の通知を申請した被爆者へ送ります。
却下された被爆者は、その決定に承服できないときは、その通知を受け取った翌日から数えて60日以内に、その決定が承服できないと「異議」うぃ申し立てることが出来ます。
(山田 拓民)

被爆者の申許を却下する時は、厚生労働大臣は、なぜ認定できないのかという却下の理由を書かなければなりません。これは法律で決まっていることなのです(行政手続法8条1項)。この条文は、行政が勝手に国民の申し出を拒否できないようにするため設けられたものです。いわば民主的な政治を確立するための「決まり」なのです。

原爆症認定の場合は…
では、原爆症認定の場合はどうでしょうか。
原爆症と認定されない主な理由は二つです。それは、その被煉者の病気の原因が原爆の
放射線と関係がない、という場合と、既にその病気は治っている、という場合です。
後者の場合も、病気が治ったのかどうかは微妙な問題かもしれませんが、前者つまり、その病気が原爆の放射線によるものかどうかは学会で論争になるくらい厄介な問題なのです。

厚生労働省の対応は?
前文で記したように、却下の場合、厚生労働省はその理由を記さなければなりません。
厚生労働省が却下通知書に書く却下の理由は決まっていて、こう書かれています。
「今回貴殿の申請された疾病について、疾病・障害認定審査会において、貴殿の提出された申請書類から得られた被爆時の状況、被爆後申請時に至るまでの健康状況及び申請された疾病の治療状況等に関する情報をもとに、これまで得られている医学的知見や経験則等に照らし総合的に検討されましたが、当該疾病については、原子爆弾の放射線に起因していると判断することは困難であると判断されました。」
こうしてこの被爆者の申請は拒まれたのです。

却下理由を欠落させた却下通知書
ご自分が厚生労働省に原爆症認定を申請した被爆者だと思って、もう一度「」の中を読んでみてください。あなたは、厚生労働大臣がダメだといった理由がおわかりでしょうか?
わかるはずはありません。書いてないのですから。この却下通知書ほ、法律違反の却下通知書なのです。
ここで、官僚とは要するにこんなものなんだよ、と判ったようなことは言わないで下さい。こうした行政の誤りを放置するようでは、あなたもやがては共犯者と呼ばれることになるでしょう。

なぜ書けない却下の理由
第一に考えられることは、審査の時間があまりにも短かすぎることです。審査は通常午前10時にはじまって午後5時に終わります。昼食休憩を1時間とすると、審査の時間は6時間(360分)です。
この6時間で審査する件数が150件とすると、1件の書査の時間は、2,4分となります。これは決して極端な例を引っ張り出したのではありません。ごく普通なのです。これでは審査会場では、資料に目を通すだけでも精一杯でしょう。直感による審査とでも言える審査に理由をきちんと書けという方が無理ということで、そこで誰にでも通用するかのような言葉が考え出されました。それが、現在、却下の理由欄に収まっている言葉ではないのでしょうか。


 

国家補償の援護法制定をめざし
1月12日午後2時から署名活動
◇ 長崎駅前高架広場で ◇

 被爆70周年の、2015年には国家補償の被爆者援護法の制定の制定を実現しようとしている私たちにとって、今年はその成否を分ける重要な年です。昨年11月に開いた第3回理事会でも、このことを重視し、「年が明けたら本格的な取り組みを行なおう」と話し合い、その幕開けとしてl月12日に、長崎駅前の高架広場でチラシを配って署名を訴えようと決めました。この取り決めに従い、国家補償の被爆者援護法制定を求める1913年(平成14年)の最初の行事として、1月12日午後2時から長崎駅前高架広場で、国家補償の被爆者援護法の制定を求めてのチラシ配りと署名運動を展開することになりました。
皆さん方の積極的なご参加をお願いいたします。

今の法律ができる時も、県下での賛同署名は223,200人を超え、当時、県議会を含めて80の地方議会がありましたが、そのすべての議会で被爆者援護法を求める決議がなされたのでした。今年もこれを超える取り組みが必要なのです。

 



長崎被災協12月のうごき

2日 上戸町病院創立30周年祝賀会 (谷口)
4日 原爆症認定審査への異議申し立てについての相談 (山田)
5日 日本被団協代表理事会 (谷口・山田) 6日まで
6日 日本被団協二世委員会 (柿田)
8日 不戦のつどい
核兵器廃絶アピール署名実行委負会 (山田)
10日 被爆遺産を継承する会から事務局長伊藤和久さん、事務局長栗原淑江さんが来訪
12日まで滞在
被爆者5団体当面の活動について協議
11日 被団協新聞発送作業
16日 衆院議員選挙
核実験に抗議する市民の会としてアメリカの核実験(12月5日)に抗議して平和公園で
座り込み
長崎証言の会が年次総会
18日 原爆症認定審査への異義申し立てについての打合わせ (柿田・川口)
原爆資料館運営委員会 (谷口)
19日 原爆症認定審査への異議中し立てについての打合わせ (山田)
20日 三ツ山原爆ホーム訪問 (谷口・坂本・柿田)
28日 仕事納め