2008年7月9日発行の新聞『被団協』297号の内容をご紹介します。

◇長原爆症認定第1次集団訴に判決会◇

原告20名の却下を取り消す
「審査の方針」による審査は不適切
 

6月23日午前11時、長崎地方裁判所は、長崎での原爆症認定集団訴訟(第一次訴訟・原告27名)についての判決を行ないました。
判決の中で裁判所は、厚生労働省のこれまでの原爆症認定のあり方をきびしく批判し、原告20名に対する却下処分を取り消しました。

判決は、残留放射線による被曝については、「被爆直後の急性症状に関する結果や現場で過ごした医学者たちの観察結果は、むしろ被爆者が残留放射線に被曝し、内部被爆を被った結果その健康や生命に大きな影響や危険を受けたことを物語ってっいるように考えられる」として「DS86による残留放射線の評価、内部被爆の評価をそのまま受け入れることはできない」と厚生労働省の主張を批判、さらに「審査の方針」「原因確率論」についても、「方針」では原因確率を算定した上で申請者の既往歴、環境因子、性格歴などを勘案して諷定の可否を判断することになっているのに、推定被曝線量が低い場合などは、それだけで起因性なしと判断され、その他の事情は考慮の余地なしとされていると指摘、「このような審査の方針による扱いは、放射線起因性の審査の基準としては不適切」ときびしい評価を示したのでした(判決からの引用は裁判所が作成した「判決要旨」による)。  なお、原告7名については訴えを諦めませんでした

◇被災協、抗議文を送付◇
厚労省またも控訴

6月23日の長崎地裁の判決に対し、厚生労働省は控訴期限をまたずに27日、控訴しました。厚生労働省が敗訴した20名の原告のうち10名については、厚生省の「新しい審査の方針」による審査によって原爆症と認定されていたので、控訴はこれ以外の10名を対象とするもの。長崎地裁の判決では「新しい審査の方針」で積極藩定の対象となっている5疾病(白血病、ガン、副甲状腺機能低下症、老人性を除く白内障、放射線による心筋梗塞症)にない肝機能障害などが認定されていることについて争うもので、「5疾病」以外についてはかたくなな姿勢をとる方針であることを示しています。 長崎被災協は、6月30日、厚生労働大臣へ抗議文を送り、控訴の撤回を求めました。

6月23日に行なわれた長崎地裁判決主文

  1. 被告厚生労働大臣が、別紙「被処分者」欄記載の各人に対して同別紙「処分年月日」欄記載の各年月日にした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項に基づく
    認定申の却下処分むいずれも取り消す。
  2. 原告A、同B、同C、同D、同E、同F、同G承継人H,I,Jの各請求、及び別紙「原告」欄記載の各原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
  3. 訴訟費用は、別紙訴訟費用目録の「原告」補記載の原告又は原告らと「被告」欄記載の被告との間の訴訟費用は、それぞれ同目録「負担割合」欄記載のとおりの負担とする。
    (注)2の「その余の請求」とは損害賠償請求を


◇繰り広げられた多彩な行動◇
仙判決傍聴に150人集まる

判決当日の年前9時50分に長崎市賑町の中央公園に集った原告、弁護士、支援者ら130名は、「原爆症認定集団訴訟の完全勝利へ」の横断幕を掲げ、亡くなった8名の原告の遺影を先頭に、築町商店街を通ってパレードを行ないながら長崎地裁へと向いました。
裁判所では10時半から傍聴券配布のための抽選が始まりましたが、52席の傍聴席に集った支援者は150名を越えました。定刻に開廷したものの、判決はあっという間に終わりました。

このあと一行は長崎市立図書館のメモリアルホールでの判決報告集会に臨み、さらに爆心地へ移動し、中心碑に遺影を飾り、献花して裁判の結果を報告しました。

その後、平和公園で祈念像前に「厚労大臣は判決に従い控訴を断念せよ!」の横断幕をかかげて座り込みました。 この座り込みは、その後、控訴した厚生労働大臣への抗議の座り込みとなり、7月4日まで続きました。
また、宣伝カーを繰出しての街頭宣伝行動も行なわれ、 「ただちに原爆症問題の全面解決を」と市民へアピールしました。

◇損害賠償請求は棄却されても◇
なお残る厚労省の責任

長崎地裁判決は、被爆者の側から厚生労働省への損害賠償請求を棄却した理由として、
①審査の遅れについては、国家賠償法上違法というためには標準的な期間内、あるいは処分のために必要と考えられる期間内に処分できなかったというだけでは足りず、
処分庁が通常期待される努力を尽くさなかったという事情が必要だと、この件での責任は問えないとし、
②処分理由記載の不備についても、処分の根拠条文と処分理由は概括的に示されており放射線起因性を否定したものか要医療性を否定したものかは判るから、
理由記載の不備とはいえない、という判断を示したのでした。 私たちがこれまで問題にしてきたのは、審査のあり方の不透明性でした。
せめて、行政庁として行政手続法が定める
i できる限り具体的な審査の基準の設定と公表、
ⅱ 標準的処理期間の設定と公表、
ⅲ 遅滞ない審査の開始、
ⅳ 申請を拒否する場合の処分理由の提示、
くらいは守れといってきたのです。 これまでの却下通知書にも理由欄がありました。しかしそれは、疾病・障害審査会が貴殿の疾病は原爆の放射線に起因しておらず、治癒能力が同放射線の影響を受けてもいないと判断したので却下するという、単なる経過報告だったのです。
これでは援護に関する法律11条2項への釈明とはなっても、被処分者への処分理由の提示とはとはなりえません。 「新しい審査の方針」のもとで、原爆症認定審査は果たして行政手続法が求める公正さと透明性を貫徹できるのか、厚生労働省の責任は重大です。(山田 拓民)

原爆初認定集団訴訟 ◇11人の原告全員勝訴◇
仙台・大阪両高裁で判決

5月28日には仙台高裁で(原告2名)、同30日には大阪高裁(原告9名)で原爆症認定集団訴訟の判決があり、いずれも原告全員が勝訴、厚生労働省の連敗は8となりました。
厚生労働省の不当な控訴に対するはじめての高裁判決でしたが、厚生労働省の主張は退けられました。
 仙台では要医療性を積極的に容認
仙台高裁の二人はともにガ ンでした。手術後の後障害でのかなりの期間の通院治療が 原爆症認定に必要な「要医療性」に当たるかどうかが争いの焦点でしたが、判決でははっきりとこれを認めました。
大阪では貧血も原爆症と認める。
大阪高裁での原告は9名でしたが、うち4名は「新しい審査の方針」の積極的認定に 該当しましたが、あとの5名はその対象ではありませんでした。
しかし大阪高裁は、被爆状況、その後の健康状態などを勘案し、甲状腺機能低下 症、貧血なども原爆症と認定したのでした。
却下処分は違法
こうして仙台高裁・大阪高 裁は、原告全点に原爆の放射 線起因性、要医療性を私め、 却下は違法と断じました。


◇23日から25日まで大奮闘◇
上京して活躍した代表団

6月23日午前8時発の便で長崎空港をたった長崎代表団は、午後1時からの記者会見に臨み、午後4時半からは厚生労働省前での行動に参加し、午後5時から厚生労働大臣へ「控訴するな」の申し入れを行ないました。
翌24日は、厚生労働省前での行動ののち、午後2時半からは参議院議員会館での院内集会に参加。午後6時からは支援集会が ひらかれました。

最後の25日は、午前8時半から総理官邸前での行動に参加ののち、議員会館で議員事務室めぐり。正午からは銀座での宣伝行動、午後3時からは県選出議員訪問を行い、長崎空港へ帰ってきたのは午後10時でした。
長崎からの参加者は、原水禁・川副忠子、原水協・片山明吉、県生協連・出原順子、被災協・松谷英子、事務局・柿田富美枝の皆さんと中村尚達弁護士、濱口純吾弁護士でした。

 


長崎被災協6月の動き

 4日・弁護団会議(山田、柿田)
5日・支援する会運営委員会
7日・県9条の会呼びかけ人会議(山田)・集団折訟街頚宣伝
9日・日本被団協代表理事会(山田)
10日・中央相談所理事会、総会・日本被団協総会→11日まで
12日・中央要請行動(10日~12日横山、山田、池田、長浜、柿田)、
13日・報道関係者との勉強会(山田)
14日・集団訴訟街頭宣伝
16日・被嬢者110番開設、終日対応 17日まで・弁護士団会議(山田、柿田)
18日・香焼被災協が総会(山田)
21日・弁護団会議(柿田、田中)
23日・厚生労働省への要請などのため上京団出発(柿田、松谷)・集団訴訟判決・控訴期限(7月4日)までの毎日の座り込みなど「控訴するな」のとりくみはじまる

24日・長崎市浜の町ステラ前で宣伝力ーを使っての街頭宣伝・8月9日の政府への要望についての打ち合せ(山田)
25日・長崎市役所前での宣伝カーを使っての街頭宣伝・福岡市で九州ブロック代表者会議(山田)
27日・平和祈念実行委貞会(谷口)・平和町、新大工町、港公園などでの宣伝力一による街頭宣伝
28日・厚生労働省控訴の報告・広島へ向けての国民平和行進出発集会で挨拶(山田)