2011年4月9日発行の新聞『被団協』330号の内容をご紹介します。

 核兵器禁止条約結べ 
=署名運動の推進を決める=

 

被災協理事会・評議員会

 「すべての国は核兵器なき世界を達成するという目標と完全に一致する政策を追求することを約束」するなどを盛り込んだ最終文書を採択した昨年のNPT再検討会議の具体化をめざし、あたらしい「核兵器廃絶を求める署名」運動が始まりました。そして3月30日に開催された長崎被災協の第58回評議員会と第6回理事会は、長崎被災協もこの署名運動に積極的にとりくむことを決めました。

多くの人の賛同を得て署名運動はスタート
この署名運動は、バンギプン国連事務総長をはじめ、ノーベル平和賞受賞者など国際的にも多くの賛同をえてすすめられています。みんなの署名で埋まったこの署名用紙は、ことしの秋にニューヨークで開かれる国連総会へ提出されることになっています。
長崎被災協では、5月末の定例評議員会で、第1次の集約を行うことにしています。

 


 東日本大震災への救援募金
  評議員会・理事会で決定

 日本被団協が東日本大震災・大津波への救援募金を提起したのを受けて、3月30日にひらかれた長崎被災協の評議員会・理事会は募金運動にとりくむことを決定、評議員や理事は、それぞれに募金袋や訴えのチラシを受け取りました。
チラシには、東北・北関東9県の在住被爆者数をかかげ、被爆地長崎の被爆者から大地震・大津波の被災地の被爆者への連帯の募金運動への協力を呼びかけています。第1次の締め切りは、5月末の定例評議員の日としています。
なお、地域の支部・会に所属していない被爆者の方は、直接、長崎被災協へお届けください。(所在地、電話番号は本ホームページトップに掲載しています)

 



政府と東電は、被害者救援と自己の早期解決に取り組め
被団協・田中事務局長が談話

日本被団協の田中事務局長は3月22日要旨次のような談話を発表しました。
東北北開東大地震・大津波災害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、多くの被災者の方々へ心からお見舞い申し上げます。
福島第一原発の事故は、予断を許さない状況にあります。1号、3号、4号機はすでに水素爆発を起こし、建屋の崩壊にともなって放射能が外部に漏れ始め、放射性ヨウ素がほうれん草や原乳を汚染していることが報告され、農家・農業従事者に憤りと不安を与え、住民にも不安が高まっています。
放射能汚染は事故発生時から懸念され、様々な団体による放射能計測結果がインターネットに流されているにもかかわらず、政府はいたずらに不安を与えないためといって公的な測定結果を隠し続けていますが、かえって政府に対する不信感を高める結果になっています。
日本被団協はかねてから原子力に依存する政策を転換するよう求め、原子力行政については、自主、民主、公開の原則を守るよう主張してきましたが、政府・東電は、「安全神話」をふりまいて、情報操作をし続けてきました。今度の事故を教訓に、政府はあらためてエネルギー行政を見直し、政府・東電は、被害者救援と事故の早期解決に真筆に取り組むことを要求します。

 



 一般財団法人への移行を決議 

法人制度が変わることで、これまでの財団法人長崎原爆被災者協議会も新しい制度への移行を前にして公益財団法人になるのか、一般財団法人となるのか検討を重ねてきましたが、手続きの煩雑さやその後の事業への制約を考慮し、事務局は3月30日の評議員会・理事会へ「一般法人」を選ぶことを提案、出席者全員の賛同を得て、一般法人として準備をすすめることになりました。
たしかに寄付金の受入れなどについては公益法人の方が有利なのですが、事業活動がかなり制約されること等を考慮しての判断でした。
今後準備をすすめ、来年度内の認可をめざします。

 



 いよいよ国家補償の被爆者援護法を作り上げる時 
みんなの知恵と力を出し合いましょう

国は原爆死没者に謝罪し、弔意を示せ!
亡くなった被爆者は、国が始めた戦争の最大の犠牲者です。国は亡くなった方々へ謝罪し、遺族へ弔慰金を届けるのは最低限の措置です。
また、生きておられた証しとして、慰霊碑に名前を刻み、8月9日には慰霊祭を行うのも、改府に「あのような戦争を引き起こし、原爆の惨禍を体験させ、生命まで奪ってしまって申し訳ない」 という気持ちがあるなら、当然のことではないでしょうか。

国は被爆者の健康回復に万全を尽くせ!
生き残った被爆者は、様々な健康障害に苦しんでいます。
国は、被爆者の健康回復に万全を尽くすべきです。
いま問題になっている福島原発事故でも、原子力発電所を中心に半径30キロの円内は、域外への避難が指示されています。長崎の爆心地から30キロといえば島原の千々石町までの距離です。アメリカ大使館の指示では、半径80キロの圏内は危険地域と指定されているとか。長崎の場合、爆心地から80キロといえば熊本市の中心部あたりです。
ところが長崎で被爆地域とされているのは爆心地から南へ12キロ、東、北、西へは、それぞれ5キロ前後にすぎません。この範囲で被爆した人、入市した人などが、法律で言う「被爆者」なのです。
放射線にしても、熱線にしても、爆風にしても、これらよる被害は、爆発地点を中心にして、同心円状に広がるということも、厚生労働省の役人や政治家には理解できないのでしょうか。

健康被害の原因は放射線だけではない!
被爆者の健康被害は、放射線障害によるものだけではありません。  被爆者を苦しめたのは爆風・熱線、放射線だということは、長崎でなら小学生でも知っています。さらに突然あの惨状に放り込まれた被爆者が受けた精神的ダメージが健康上の障害となって現れることも否定できません。国が起こした戦争の結果生じた被爆者の苦しみを解決し、被爆者への償いをすることは、まさに国の責任なのです。

ここにも戦争被害受忍論の影が‥・
ではどうして放射線だけを問題にしたのでしょうか。
考えられることの第1は、多くの被爆者にとって、自分の病気が放射線に起因すると証明するのが困難ということです。つまり、厚労省がダメといったら、多くの被爆者はそれを覆すことが難しいのです。
第2の理由は、熱線や爆風の被害まで対象にしていたら、焼夷弾や爆弾での被害もなんとかしなければなら なくなるからです。
戦争の被害は国民としてガマンするのが当然という、あの間違った考えがここにも貫かれているのです。

いまこそ国家補償の被爆者援護法を!
こうしてみると、これまでの被爆者対策は、国民の目をごまかすためのものだったといえるでしょう。
そして、いま、きちんとした国家補償の被爆者援護法をつくりあげることこそ、私たちが55年前、長崎被災協を結成したときの、私たちの決意だったのです。


▽新刊紹介▽
 米軍基地の現場から 
沖縄・神奈川・長崎の新聞社が共同取材・執筆し、米軍基地の実態に迫る。
 


 沖縄の人たちの果敢なとりくみが報道される中で、沖縄に基地を押し付けていることの不自然さ、それを無視してまで、アメリカの出先機関であるかのように、アメリカの軍事基地の維持に政治生命をかける日本政府の不自然さが、かなり見えるようになった気がしている私たちですが、では佐世保の米軍基地についてどれほど知っているのでしょうか。県内8市に14の米軍施設を抱える神奈川に、どれほどの関心を持ってきたでしょうか。この本は、沖縄タイムス、神奈川新聞、長崎新聞という基地の街を抱える新聞社が、共同して取材、執筆し、昨年1月から6月まで断続的に連載した記事をまとめたものです。新聞記事として発表されたものだけに、内容は具体的で読みやすく、それだけにこの現実を支えている日米安保条耗とは一体何だろうという思いがこみ上げてきます。
1960年にこの条約が改定されてから今年で51年目。巻末には、敗戦の年から昨年末までの年表「年表で振り返る安保・基地問題」が掲載されています。安保問題、基地問題を考える上で便利な年表です。

(山田)



長崎被災協3月の動き

1日 新しい法人制度について 嶋会計事務所訪問 (山田・柿田)
2日 映画「いのちの山河」実行委員会 (山田)
7日 平和推進協会継承部会総会
(谷口)
被爆体験者の会が総会 (山田)
9日 新聞『被団協』発送作業
事務局会議
柴田弁護士葬儀 (山田)
16日 原爆青年乙女の会総会
被曝体験を語り継ぐ会
19日 東京で石田忠先生を偲ぶ会
(山田)
22日 いきいきコープ理事会
(柿田)
23日 新法人への移行について県と打ち合わせ
(山田・柿田)
事務局会議
26日 国家補償の援護法をめぐって有識者らとの懇親会(山田)
29日 事務局会議
30日 理事会・評議員会