2012年8月9日発行の新聞『被団協』346号の内容をご紹介します。

◇67年目の「原爆の日」
核兵器廃絶への願い新たに
国家補償の「援護法」の実現を

 原爆の惨禍から67年目を迎えました。
私たちはこの間に、父や母、兄や姉、弟や妹、親戚や知人・友人の多くを失いました。あの日の惨状を思えば、自分が生きているのが不思議な気もします。
この間、核兵器は一発も実戦では使われませんでしたが、核弾頭を完全に廃棄した国はなく、それどころか、核保有国は増えてきています。
他国のことだけではありません。我が国でも、原子力発電所から出るプルト二ウムは核兵器に活用できる重要な資源であり、原発は他国に日本を攻めることを躊躇させる抑止力として有効だと説く政治家もいます。そして政府は、原子力発電所の再稼動を画策しているのです。
私たちは、ことし5月の定例評議員会で、すべての原子力発電所の機能停止を求め自然エネルギーへの転換を求めるとともに、憲法施行65周年に当たり、改めて日本国憲法を守り、核兵器の廃絶を目指す決意を表明しました。
いまの「被爆者の援護に関する法律」の問題点を国民の前に明らかにし、国家補償の被爆者援護法の制定を目指すことも、私たちの大きな課題です。高齢になったとはいえ、安閑としてはおれません。
もうひと踏ん張りしようではありませんか。


「二世の会」が3回目の会合
池田早苗さんが被爆体験を話す

 長崎市を中心とする被爆二世の会「長崎被災協・被爆二世の会・長崎」は、7月28日(土)、「第3回二世の会会議」を長崎被災協2階会議室でひらきました。前回の会議で、被爆者が体験した原爆の話を聞きたいという要望があったので、この日は会のはじめに長崎被災協の理事・池田早苗さんに、被爆の体験を語って頂きました。
池田さんの、姉や弟5人を毎日のように火葬していった話に、会場のあちこちですすり泣く声が聞こえました。参加した二世13名、三世3名は、「改めて原爆の悲惨さを感じた」「被爆者の思いを継承していきたい」と話していました。


その後、平和記念式典への参列のことや九州ブロックの被爆者相談講習会への参加について協議し、8月8日の「平和の灯」に参加するためのキャンドルをつくりながら、楽しく語り合いました。
(柿田富美枝)


《原爆症》とは、原爆の放射線のために被爆者が被ったケガや病気を指します。被曝して87年目が来るというのに、原爆の放射線は、いまなお、被爆者を苦しめています。それなのに政府は、被爆者のケガや病気に、きちんと向き合おうとしないのです。

原爆症認定のあり方
「検討会」が、中間発表

これから「作る」段階へ

 ことし6月28日、原爆症認定のあり方を検討するために、厚生労働大臣が作った「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」が、討議の「中間まとめ」を発表しました。
実は、厚生労働省は無茶苦茶なやり方で、被爆者からの原爆症の認定を求める申請を切り捨ててきたものですから、怒った被爆者が続々と裁判に取り組み、圧倒的多数の被爆者の訴えが裁判所に認められるという結果になったのです。被爆者の側が勝訴したのです。

集団訴訟が終結し…
これでは厚生労働大臣の面子(めんつ)も立たないと厚生労省側は、被爆者の側へ「何とかするからもう裁判はやめてくれ」と言い出したのです。そして時の麻生太郎総理大臣と 日本被団協との間で、「確認書」が交わされ、裁判はひとまず終了したのでした。そしてその時、原爆症認定のあり方についても、それなりの人たちを集めて検討し、改善することが約束されたのです。

動き出した「検討会」
こうしてできたのが「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」であり、この検討会が動き出したのが2010年の12月でした。
この検討会には、日本被団協からも代表委員の坪井さんと事務局長の田中さんが参加することになりました。委員の総数は13名。座長を務めるのは東京大学名誉教授の神野直彦氏。広島市、長崎市の副市長もメンバーに入っています。

いよいよ新法の構想へ
この「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」は、それからことし6月まで12回の会合を開き、検討を重ねてきたのですが、「知る」段階、「考える」段階、「作る」段階と段階を区切って検討をすすめることにしていて、いよいよ新しい考えで新制度を「作る」段階を迎えたので、これまでの論議の跡を振り返り、これからの検討に役立てようとまとめられたのが、「中間とりまとめ」なのです。

どんなことが検討されたのか
たとえば新しい制度のあり方について「中間とりまとめ」を読んでも、なかなか討論の状況がわからないのです。例えば「被爆者は高齢化しているのだから、それを考慮して…」という意見のあとには「(被爆者にも)年金や介護保険の制度があるし、医療もタダだから、一般の高齢者との均衡にも留意すべきだ」という意見が出てきて、それが討論の末、その後どのようにまとまったか、は記されてないのです。

残留放射線の扱いにも
残留放射線の扱いについても、厚生労働省の「無害説」がもっときちんと検討されてよさそうに思えますが、「厚生労働省の認定でも勘案しているのではないか」など的はずれな指摘が採用されているにすぎません。

次は「作る段階」というのに…?

 「検討会」の作業も、「中間とりまとめ」によると、いよいよ最終段階である「作る」段階に入ることになっています。もちろん必要があれば「知る」段階、「考える」段階へ戻ることは示唆されていますが、これまでの経緯を考えると、期待できそうにありません。また、その一方で、許すことのできない審査が進行しているのですから、のんびりされても困るのです。今こそ、被爆者の声、国民の声を集中させることが必要なのではないでしょうか。 (山田拓民)

「中間とりまとめ」の1ページです。

 

「検討会」はこう言っています。

「検討会」の「中間とりまとめ」の中で「検討会」はその性格を次のように述べています。
原爆症認定制度については、平成12年12月に成立した「原爆症認定集団訴訟の原告に係る問題の解決のための基金に対する補助に関する法律」の附則に、原爆症認定の制度の在り方について検討し、その結果に基づいて、必要な措置を講ずることが規定されているとともに、平成22年8月、内閣総理大臣から原爆症認定制度の在り方の見直しの検討を進めることが表明された。
本検討会は、このような経緯を踏まえ、原爆症認定制度のあり方にについて検討を行い、その結果に基づいて必要な措置を講ずるため、厚生労働大臣の主催により設置され、平成22年12月からこれまでに、計13回の精力的な議論を行なってきた。

◎「中間とりまとめ」は、今後の検討の方向性として次のように述べています。
各区論点で示した認識の共有が図られている事項を前提としつつ、具休的に示した様々な意見がある事項については、更に十分な議論を行うことで、認識の共有ができる部分を広げていき、合意の形成を図っていく必要がある。
その上で、今後、本検討会は、新たな制度の詳細について議論すべく本格的に「作る」段階に入っていくことにするが、必要があれば再度「知る」「考える」点に立ち返ってより良い制度の設計を目指す。


長崎被災協 7月の動き

2日 6月25日の長崎地裁の不当判決に抗議し、長崎被災協など被爆者5団体が抗議声明を発表
3日4日 原爆症認定申請却下に対する異議申し立てでの意見陳述(6名、代理人として山田、柿田、田中が付き添う)
7日 「平和宣言」起草委員会 (谷口)
長崎2世のつどい (柿田)
10日 新聞『被団協』発送作業
11日 日本被団協代表理事会 (谷口、山田)→12日まで
14日 東京民医連平和学習集会 (山田)
18日 「手帳」申請の件について県庁で口頭陳述
(代理人として山田が付き添う)
21日 諌早9条の会の街頭集会「9条のつどい」で山田事務局長が被爆体験を報告
九州二世交流集会が佐賀県武雄市で開く (柿田)
26日 佐世保市で「原爆パネル展」山田事務局長が挨拶
28日 第3回長崎二世の会  (柿田)