2015年10月9日発行の新聞『被団協』384号の内容をご紹介します。
戦時体制の構築始めた政府
まずは防衛装備庁の確立へ
各種報道によれば、9月24日、党総裁の地位を確保した安倍晋三首相は、5日前に成立させた
ばかりの「戦争法」(安全保障関連法律)には触れず、経済再生を重視し、国民生活の充実に軸足を移したように見えます。
おそらくは、今は「戦争のできる国づくり」を前面に出せる時期ではないと思ったからに違いありません。自民・公明が確保していた議席数によって、 「法」そのものは国会で議決されたものの、戦争のできる国づくりに反対する市民の声」は日を追って高まったのでした。
10月2日付の「朝日新聞」によれば発足した「防衛装備庁」は、これまで陸海空の自衛隊などがバラバラに扱っていた武器の研究開発、購入、さらに民間企業による武器輸出の窓口役まで一元的に担うことになる、とのこと。さらに重視しなければならないのは、同紙によれば、昨年春「武器輸出3原則」を撤廃し、新たに「防衛装備移転3原則」を決定、一定の基準を満たせば武器輸出や国際的な共同開発・生産を解禁するもので、装備庁はその中心となる、とのこと。「安保法制の成立で自衛隊の活動範囲を地球規模に拡大したことと合わせ戦後日本の平和主義を転換させる安倍政権の政策の一環と言える」と同紙の社説は指摘しています。
『武器の購入や輸出は装備庁だけでなく、政府全体の判断となる。ビジネスの好機と見た経団連先月、「防衛装備品の海外移転は国家戦略として推進すべきだ」との提言をまとめ、政府に働きかけている』との事です。
「何よりも国会による監視が、これまで以上に重要になる」という言葉でこの社説は締めくくられていますが、そのためにも国会そのものを変革しなければならないのではないのでしょうか。
長崎の被爆者団体は抗議文を総理へ送付
長崎の被爆者5団体(長崎被災協、原爆遺族会、被爆者手帳友の会、被爆者手帳友愛会、
平和運動センター被爆連)は、9月18日に、「『なんということだ!』17日午後4時30分、参院平和安全法制特別委員会は多くの国民の反対を無視し、野党の反対を押し切り、憲法違反の戦争法案の強行採決を行った。この暴挙により、わが国は、また戦争する国になった。
先の大戦で、わが国だけでも310万人、アジアでは2千万人とよ言われる犠牲者の上に作られた平和憲法、その憲法のもとに70年間、わが国は本当に平和であった。(中略)
白・公の与党議員は国会議事堂前のそして全国津々浦々の夥しい怒りの声に耳をふさいで・・・何と卑劣な行為か。憲政史上最悪の汚点といわざるを得ない。長崎の被爆者は、安倍総理、あなたを始めこの法案に賛同した国会議員に対し、満腔の怒りと深い悲しみを伝えると同時に、平和憲法を守り、法案の廃案に向けて全力をもって戦いを継続することを宣言する。」と言う抗議文を総理宛に送付しました。
マイナンバー制度ってご存知でしょうか。今月(10月)5日に発足したばかりの新しい制度なのです。まず、私たちは日本人であろうと外国人であろうと、きちんと届けを出して日本に住んでいる人には、すべての人に12桁(ケタ)の番号がつけられます。この番号が『マイナンバー』なのです。こうすることでそれぞれの人(個人)に関わる情報を的確にとらえ、行政を進める上で便利にしようという制度なのです。この個人につけられた番号は、一生付いて回ります。結婚して姓が変わっても、原則として番号は変わりません。
このあと10月中旬ぐらいから、一人ひとりの番号を知らせる「通知カード」が簡易書留で、ことし10月5日までに住んでいた住所へ送られてくるはずです。ただ10月5日以後に転居された方や転居届けを出していない人については、転居先がわかりませんのでその分は届かないことになりますが、東京都の文京区では、届かないケースが25パーセント以上になるのではないかといわれているそうです。
「通知カード」は1月末ぐらいまでには、各家庭に届くはずだそうですが、留守をしていて受け取れなかった人の分などは、1週間は最寄の郵便局に保管されているそうですから、郵便局へお問い合わせ下さい。
行政にとっては一人一人の資産の確認などで便利な制度かもしれませんが、私たちにとっては、「変な制度」と言わざるを得ないようです。
もちろん、必要がないと思ったら申し込まないのはそれぞれの方の自由です。 (山田拓民)
被爆70年記念誌8月9日発刊
これまでに被爆して亡くなられたすべての被爆者へ鎮魂 の思いを込めて作りました。
一橋大学名誉教授の演谷正晴氏の特別寄稿「長崎被爆者の戦後70年に寄せる」をはじめ、被爆者と二世6名で50名が寄稿しました。戦争のできる国づくりを許してはならないという思いを込めたこの1冊をぜひお買い求めください
1冊1,500円,送料360円です。メールやハガキや電話等でご連絡ください。
大村支部が再始動 昨年6月より「大村被爆者のつどい」を開催し、そのあと数力月に1回のペースで大村市で被爆者の集いを開催し、毎回6.7名で被爆体験を語り合い、それぞれの悩みを出し合ってきました。 第4回の9月30日に大村市の被爆者5名、被災協の山田事務局長、横山理事柿田事務局次長と、大村在住の二世1名が集まり、大村支部を再開することを決めました。 大村支部は役員の後継者がいなくなり、20年以上休眠状態でしたが、被団協新聞の読者が23名いるので。支部を再始動してもらおうと、被爆者健診で案内チラシを配布したり、毎回、集いの案内を出して呼びかけてきました。 「こうやって集まるのは良いことだ。お互いに困っていることを出し合っていこう」と、橋貞央さんは支部長に、寺坂イネ子さんを副支部長に選出しました。二世の大宮美喜夫さんの「手伝います」という力強い声に被爆者たちは励まされました。 |
ベルギー・オランダ 遊説派遣 横山照子 9月17日から24日まで日本原水協からの派遣で出かけました。ベルギーのヘント市では毎年8月6日から9日までを広島・長崎に心を寄せる日として、市の中央を流れる川で灯篭流しを10年続けています。 私は国際平和俳句祭、平和団体の行事などに参加し、学校での証言を行いました。今年ヘント市では8月6日から9月26日まで平和の活動日として取り組まれていました。 ヘント市長に面会し、また前ベルギー首相で前EU議長のロンバイ氏にも長崎市長からのメッセージを手渡し、松尾あつゆきさんの俳句を紹介しました。オランダでは、オランダ赤十字の主催でハーグの大学で証言しました。証言の後の質問には「9条は?」「アメリカをどう思いますか」「福島は?」 「原発を何故再開するのか」『安保法案は』など日本のことをよく知っているものばかりでした。スケジュールびっしりの遊説の旅となりました。 |
9・26国連核兵器廃絶国際デー
9月26日(土)10時半より1時間、約50名で「9・26国連核兵器廃絶国際デ-2015年ナガサキの集い」を平和祈念像前で行いました。
長崎被災協と長崎県原水協の共催でオープニングは平和のうたごえ合唱団による歌で、被爆者のリレートークのあと、原爆で亡くなられた方々の冥福を祈り、11時2分に黙とうをおこないました。
写真パネルを展示し、多く の中国人観光客が熱心に見 入りました。「中国では見る機会がないので、有意義な展示になっだのでは」と参加者は話していました。現行法改正要求と核兵器廃絶アピール署名を観光客に訴えました。折鶴を折るコーナーには子供たちが集まりました。リレートークでは被爆者6名が被爆体験、平和への思いを語りました。小峰秀孝さんは「私の体は皆さんが見たらびっくりするような原爆による火傷のあとだらけです。きな臭い今の日本、戦争だけは絶対にしてはなりません。」と訴えました。
被爆二世の会の堀洋美さんが、瀋基文国連事務総長のメッセージを読み上げ、全員で「青い空は」「折鶴」など合唱しました。
9月の活動報告
4日 | ノーモアヒバクシャ訴訟・長崎地裁 |
7日 | 事務局会議 |
8日 | 新聞発送作業 |
11日 | 放影研連絡会(谷口) |
12日 | パグウォッシュ会議での宗教者懇話会企画準備会 (柿田) |
15日 | NPT報告団体回り(田中、柿田) |
16日 | 中央相談所理事会(横山) |
17日~18日 | 代表理事会(谷口、山田) |
17日~24日 | ベルギー遊説代表(横山) |
18日 | 被爆5団体記者会見(田中) |
25日 | 中国領事館祝賀会(谷口) 事務局会議 |
26日 | 国連核兵器廃絶国際デー |
28日~29日 | 九州ブロック代表者会議(谷口、山田、横山、柿田) |
30日 | 大村のつどい |
先月号の事務局日誌欄に8月9日の平和式典、政府への要請」に出席の板本フミエ副会長の名前を脱落していました。
*本をいただきました*
|