2016年8月9日発行の新聞『被団協』394号の内容をご紹介します。
長崎原爆被災者協議会
結成60周年記念のつどい
山口仙二氏ら12名が「原爆被害への国家補償と核兵器廃絶」を目指し、1956年6月23日に発足した長崎原爆被災者協議会は60周年を迎えました。7月23日11時より14時まで「長崎原爆被災者協議会結成60周年記念のつどい」をサンプリエールで開催し、約90名が参加しました。はじめに森内實副会長が「この日を迎えられたのは歴代会長らが困難を乗り越え、運動してきてくれたお陰だ。被爆二世とともに運動を継
続していこう。」と挨拶しました。
被爆二世の会・長崎、諫早の会員9名で「被災協60年の歩み」を群読しました。受付や案内などを二世たちが担当し、被爆者から喜ばれました。
日本被団協事務局長の田中煕巳氏は被団協の運動の歴史について講演し、一日も早い核兵器廃絶を訴えました。長崎市長の田上富久氏、衆議院の高木義明氏などから挨拶を受け、最後に被災協の田中重光副会長が「世界の人々と協力し、戦争と核兵器に反対していく」と述ぺ、
結成60周年の決意としました。(決意文は下記のとおり)
一結成60年にあたっての決意- 71年前、広島と長崎に投下された原爆は、一瞬にして町を壊滅させ、数十万の人々が殺傷されました。その多くは高齢者、女性、こどもでした。 町は一晩中、火の海となり地獄そのものでした。 爆心地で肉親を捜しまわっだ人々や、救援、求活動をした人たちが、突然、体中に紫斑が出て、血を吐さながら、死んでいきました。かろうじて生き残った人々も生活苦にあえぎ、原爆症に苦しみながら亡くなり、国の援護のないまま12年間放置されました。 1954年、ビキニ環礁での米国の水爆実験の被害によって原水爆禁止運動が起こり、原水爆禁止世界大会が開催されました。原水爆を許さないという国民、市民たちの声に励まされ被爆者は1956年6月23日、長崎で原爆被災者協議会を立ち上げ、8月10日、日本被団協が結成されました。ようやく被爆者運動が展開され、原爆医療法が制定されました。被爆者は国家補償の援護法と、ふたたび被爆者をつ7割以上となり、世界の圧倒的な声になっています。私たちは、国内はもとより世界の人々と力を合わせます。 今年5月27日、長崎では被爆者5団体が呼びかけ人となり、被爆者が訴える『ヒバクシャ国際署名』のスタート集会を開催しました。事務局は被災協、生協連、原水禁、原水協で構成し署名推進にあたっています。署名は2020年8月までに世界中から数億の署名を集め、すべての国に核兵器禁止条約締結を結ぶことを求めるものです。集めた署名は毎年国連に届けます。私たちは命輝く青い地球を未来に残すため、壮大な署名活動に全力で取り組みます。 戦後、日本は再び戦争をしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。 しかし、政府は昨年9月19日、ついに安全保障関連法を参議院本会議で強行成立させました。憲法9条が禁止する集団的自衛権行使に道をひらくものであり、憲法の平和主義を破壊し、立憲主義を否定する憲法違反の法律です。違憲の「戦争法」をただちに廃止することを強く要求します。私たちは戦争と核兵器に反対し貫き通します。 |
東長崎支部のつどい
7月17日(日)12時半より支部会を6名でおこないました。初めて会う人もいたので、自己紹介のあと、東長崎支部だよりを手渡し読み合わせをおこないました。
被爆者が訴える国際暑名について、被災協の新しい役員体制など、皆でなごやかに歓談しました。(支部長 吉田勲)
原爆写真パネル展、朗読会 ピースフルコンサート
7月30日(土)11時~16時、被災協2階会議室で原爆写真晨、朗読会を「被爆二世の会・長崎」が開催しました。小学生の娘に丁寧に説明する父親や、質問してくる台湾の若者たちの姿もありました。
「被災協結成60年」にちなんで被爆者運動の写真15枚を展示し、朗読会では結成メンバーの永田尚子さんのエッセイ、福田須子さんの詩などを5名で読みました。
被爆者の店前広場では暑い中でしたが、コンサートをおこない、平和の大切さをアピールしました。会場では国際署名を訴えました。
ピースマスクプロジェクト
7月8日(土)から5日間、高浜市のアーティスト金さんと二葉さんが被災協を訪れ、被爆者や二世、三世の顔の型を取りました。石膏の型から和紙で「ピースマスク」として作品を仕上げ、国内外で展示し、核兵器廃絶と平和を訴えるものです。インターネットでも発信されています。
被災協から20名が参加しました。型取りなどの作業の間は被爆体験を話し、アーティストの方々も感動されていました。
南山高校生徒会のインタビュー
8月2日(火)被災協のすぐそばの南山高校から生徒会役員4名が訪れ、被爆者の吉田勲理事、田中安次郎評議員から被爆体験を聞きまし
た。ビデオに編集し、平和の取り組みとして校内で見て学習するものです。吉田さん、田中さんはそれぞれ丁寧に説明し、学生たちも熱心に聞きとっていました。